16 夏の日差しの中で


 俺が選んだ映画は、十年ぐらい前に放送していたアニメの劇場版のリバイバル上映で、感動してズピズピ泣いていたら、隣に座る小夜子が無言でハンカチを差し出してきた。


 縁にレースのついた綺麗な白いハンカチを汚すのは申し訳なかったが、使わないのも失礼な気がして、遠慮なく涙と鼻水でぐちゃぐちゃにさせてもらった。


「ごめん……ハンカチ、新しいの買ってやるから」

 終わったあとに映画館のロビーで申し訳なさそうに言えば、小夜子は涼しい顔でもう一枚のハンカチをバッグから出す。

「別に。ハンカチぐらい予備を持ってるわ」

 スマートで格好いい仕草だった。


「小夜子……そういうところ、玲司に似てるよな」

「兄さん、いつもハンカチを二枚持ち歩いてたわよね。私もよく貸してもらってた」

 小夜子が入り口に向かおうとするので、俺は「ごめん」と言って引き留める。


「グッズ、見てもいいか?」

「……いいけど」

 小夜子は実に興味のなさそうな顔でついてきて、俺が手に取るものを横から眺めていた。


「このアニメ、兄さんも見てた?」

「玲司は見てないって言ってた気がする」

 リバイバル上映記念に新しく発売されたTシャツを買うべきか悩みながら俺は答えた。


「今日の映画、兄さんと昔見たわけじゃないのね」

「昔見た時は、一人で行ったよ。……ごめん、興味ないのに付き合わせて」

「意外とおもしろかったわよ。でも、よくわからない部分があったわ。テレビシリーズも見てみようかしら。配信とかある?」


「俺、DVD持ってる。貸そうか?」

 嬉しくなった俺は、ついつい声のトーンが上がっていた。

 小夜子は一瞬きょとんとしたようだが、すぐにいつものクールな表情に戻って、俺の手元のTシャツを奪い取ってきた。


「そうね。お願いするわ」

 そして何食わぬ様子でレジに向かうものだから、俺は慌てた。


「待てよ、まだ買うって決めたわけじゃ……」

「私が買ってあげるわよ。誕生日プレゼント、これでいいでしょ?」

 学生からしたら安くないであろう金額のTシャツに、小夜子は迷うことなく現金を出している。


 そして、会計が終わったあとでようやく、思案するような表情を見せる。

「ラッピングしてから渡した方がいいかしら?」

「そのままでいいよ……ありがとう」

 小夜子に誕生日プレゼントをもらうのははじめてのことだった。妙な気分になりながら、Tシャツの入った映画館の袋を受け取る。


「このあとどうする? お茶でもしてくか?」

 お昼ご飯は各自食べてから待ち合わせしたので、あまり空腹感はない。

 受験生を長時間連れ回すのも申し訳ない気がして、一応聞いてみる。


「志岐が通ってた大学って入れるかしら?」

「今日?」

 俺が通っていた大学ということは、玲司が行きたいと言っていた大学でもある。そして今は、小夜子の第一志望の進学先となっていた。


「この間、オープンキャンパスに行くとか言ってなかったか?」

 思い出して言えば、小夜子はあからさまに嫌そうな顔をした。

「行く予定だったんだけど、隣のクラスの子で同じ志望校の子がいて……一緒に行こうってしつこく誘ってくるから、やめちゃったの」

 この様子だと、仲がいい友達に誘われたというわけではなさそうだ。


「それ、男の子か?」

「女の子よ。でも、私のことが好きだから付き合いたいって。何度も断ってるんだけど、しつこく絡んでくるの」

 俺は思わず、ぷっと吹き出していた。

「小夜子、モテモテだなぁ」

「男の格好をやめたら、離れていくでしょ」

「いや、案外、諦めきれないかもしれないぞ」


 見知らぬ人から無遠慮な視線を浴びせられることが多い俺だが、さっきから、小夜子にもそれなりの数の視線が向けられているのを感じる。


 モデルのようにすらりとした体型と、ヒールを履いてなくても高い身長。男のように短い髪をしているが、もともと中性的な顔立ちは、人形のように整っている。

 今日はロングスカートを履いているが、それがミステリアスな魅力を増幅させているように見えた。


「玲司よりモテモテかもしれないぞ」

「下手なお世辞はやめて」

「でもほら、玲司は、いろんな人に慕われてたけど、恋愛対象として見られることが多いタイプじゃなかったし」

 わりと、恋人というよりも友人にしたい相手、として見られていることが多かったと思う。あるいは、観賞用か。


「兄さん、少し変わり者だったから」

「よく、俺たちにはなにがおもしろいのかさっぱりわからないものを熱心に調べたりしてたしなぁ」

 それもジャンルがバラバラなので、よく困惑させられたものだ。


「本を読んでる最中に声をかけても返事をしてくれないこともあったし」

「下手に質問すると、謎のうんちくを聞かされたりとかな」

 思い出しながら、俺たちは自然と微笑んでいた。


 玲司との思い出は、いつでも昨日のことのように思い出すことができる。

 なぜだろう。今でもまだ、近くにいてくれる気がした。

 気になって振り返ったが、もちろん、大好きなあの姿はない。



 八月最終日の街は人が多く、たくさんの人が行き交っていた。

 夏休みの最後を楽しもうという学生も多いが、小さな子供を連れた家族連れも多い。


「……あれから八年もたつんだから、玲司ももう、生まれ変わったりとかしてるのかな」

 ふと、今まで考えたこともない発想が頭に浮かんできて、俺はそのまま口にしていた。


 小夜子もつられて、あたりを見回す。

「……私が子供を作れば、今度は兄さんの『母親』になれるかしら?」

「いや、なんだよそれ」

「冗談よ」

 小夜子は何事もなかったかのように前を向いて歩き出した。


 冗談に聞こえないあたりが怖いのだが、小さい頃の玲司にまた会えるかもしれないと思ったら、ちょっとだけわくわくした。


 一歩遅れた歩き出した俺の背に、夏の日差しが降りそそぐ。

 夏が終われば秋がくる。秋の次は冬。冬の次は春。そしてまた次の夏が。


 幾度夏を繰り返しても、俺たちは忘れることはないだろう。

 愛しいあの日々を。

 それは、永遠といえるものかもしれなかった。




   -END-


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朝がくるまで待ってて 夏波ミチル @red_k003

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