着任のご挨拶

 我が身の前に置かれた書類を整理していると、扉が叩かれました。


「はい。どうぞ」

「失礼します」

「どうかされましたか?」

「先ほどの母娘さんはおかえりになられました。最後まで心配そうな顔をされておりましたが、わかってはくれたようです」

「そうですか、よかったですね。まだまだ法律の元で市民が貴族に物申すということに慣れていない方も多くいます。それを広めることも仕事の一つです」

「はい!」


 我が身は話が終わったと思って、紅茶を入れるために湯を沸かします。


「あの!」

「どうされました?」

「改めて、ご挨拶させていただきます。マリアンヌ・ローレライ・マルチネスです。本日より、法務省特別裁判官シャーク・リベラ子爵様の秘書官としてお手伝いをさせていただきます。よろしくお願いします」

「これはご丁寧なご挨拶ありがとうございます。ですが、あなたも物好きですね。このような場所に就職を斡旋していただくなんて」

「えっ? どうして私が斡旋されてきたと?」


 それは分かるでしょう。


 私がここに赴任して二年が経ちます。

 その間に、秘書官の一人もつけられることはありませんでした。

 全体を管理している受付や倉庫番が仕事を持ってくる日々だったのですから。

 自分から志願した上で、誰かの後押しがなければ我が身の秘書官にはなれません。


「マリアンヌ様は、まだまだ様々なことを学ばなければいけないようです」

「どういうことでしょうか?」

「私の仕事をどこまでご存知ですか?」

「特別裁判官として、起訴不起訴キソフキソを判断します。判断基準ハンダンキジュンとなる法律に見合った判決を下して、ハンコを押す仕事だと思っています。また訴え者が揉めている際には裁判を行なって第三者として判別を下します」


 どうやら仕事の内容はわかっているようですが、結局は大まかな部分でしかありません。


「ふむ。マリアンヌ様風にいうのであれば、貴族としての礼儀が全くなっていません」

「えっ!」

「あなたは第二王子と根本的なところで差はありません。シル男爵令嬢とも大差がありません」


 厳しいことを言うようですが、夢を見てやってきたならお帰りいただいた方がいいでしょう。


「どっ、どういうことでしょうか?」

「法律とは、多くの者が生活する上で守っていけば、生活を整えることができるというだけのものです」

「……はい」

「そこには正義も悪もなく。ただ、事実に基づいた判断を第三者が行うのです」

「それは……私が人助けをして、貴族に対して一方的な母娘の味方をしていたことを言われているのでしょうか?」


 やはり賢い女性ですね。

 我が身が発した言葉から、自分の何がいけなかったのか理解されています。

 ほとんどの人は自分の何がいけなかったのか理解できなくて、理不尽なことを言われていると思ってしまうものです。


「そうです。我々は法を厳守する者であり、人助けをするような慈善事業をしているわけではありません。法の元では、王も、貴族も、平民も、人種も、物も平等です。もしも、あなたが正義や優しさで法律に関わろうと思っているならおやめなさい」


 さて、どうでしょうか? 今までも一人でやってきたので、このままいなくなっても問題はありませんね。


「リブラ様は、やっぱりお優しいのですね」

「えっ?」


 予想に反して、マリアンヌ侯爵令嬢は笑っておられました。


「私はダレガノ男爵令嬢の一件で、自分の不甲斐なさを知りました」

「……」

「もっと、上位貴族として、他の令嬢たちを率先して指導していれば、あのようなことが起きなかったかもしれません。それは私のオゴりです。今のリブラ様のように厳しい言葉を他の令嬢たちにかけてあげることができませんでした。ですから、私はあの時のダレガノ男爵令嬢のように、法を厳守するお仕事のことを何もわかっていません。一つ一つどうぞご指導をお願いします」


 これは一本やられましたね。


 どうやら彼女には我が身から発せられる皮肉は通じないようです。

 しかも、しっかりと己の失敗を糧にして、前に進もうとしておられます。


「マリアンヌ様はお強いのですね」

「はい! それと、どうぞ私のことはマリアと呼び捨てにお願いします」

「愛称とは随分とハードルが高いですね」

「でしたら、マリアンヌでも構いません。今日より、リブラ様は私の上司になられます。仕事中は侯爵令嬢のマリアンヌではありませんから」


 清々スガスガしいほどにキッパリと告げる彼女は、何かを吹っ切ってここにいらしたのでしょう。

 これは我が身の敗北を悟りました。


「降参です。わかりました。マリアンヌ。今日より我が身が管轄する法務省特別裁判官室へようこそ。シャーク・リブラです」

「ありがとうございます! マリアンヌ・ローレライ・マルチネスです!」


 我々は正式に名乗りあって、手袋越しに握手をしました。


「一つ気になっていたことがあるんです。質問をしても?」

「はい?」

「ローレライという二つなは、もしかして人魚の?」

「ええ。私の先祖が人魚だったそうです」

「そうなのですね。お答えいただきありがとうございます」


 個人情報であるためそれ以上の詮索は致しません。


「あの! 誰かおられますか?」

「おや、本日一人目の相談者が来たようです。せっかくです、マリアンヌ。助手として勉強してください」

「はい! リブラ様」


 我が身に新しい仲間が増えて、本日の業務を開始します。

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