布団袋
真っ赤なトッポBJに父を乗せ、フェリー乗り場まで送っていった。
海沿いのくねくね道の途中には椰子の木が生えていて、比較的温暖とはいえ南国とは言いがたい気候の島に植えられてなんとか生き、耐えているのを見ると、いつも少し残念な気持ちになるのだ。長く住んでいる人々はなんとも思わないのだろうが、私はまだ、見る度に、残念な気持ちになる。
天気は良くも悪くもなく、大型のフェリーは穏やかな内海をゆったり進むに違いない。誰かにお土産を買う訳でもなく、来たときと同じように少ない荷物の父は、うん、とうなずき、軽く手を振って、フェリーに乗って行った。
無神経なまでに明るい音楽を垂れ流しながらフェリーが発進すると、もともと少なかった見送りの車も次々と帰って行き、駐車場にはトッポBJがぽつんと残された。
遠ざかるフェリーのお尻を、しばらくの間、眺めていた。
仕事で、フェリーに乗って帰っていく観光客を港まで送るときは、「どうぞお気をつけてお帰りください。またのお越しを心よりお待ちしております」と、駐車場で降ろしてしまえばそれまでだ。入れ替わりにフェリーで到着した客をバスに乗せ、数を数えて、ホテルまでの道中、運転手が安全運転してくれる間に私はマイク片手に注意事項やらなんやら説明してと、大忙しで。
島に来てからフェリーを見送るなんてことを、したことがなかったので。
航路が真っ直ぐなのだろう、横腹を見せずに、ゆっくりとフェリーは小さくなっていく。視界を遮る小さな島もなく、船影はずっと見え続けていて、薄曇りの空に向かうのに酷く、酷く時間をかけた。
私はただ、つっ立って、フェリーを見続けていた。父を見送っているというのに、腹が立つほど長い時間だった。
家に帰ると猫が「まぁ」、と鳴く。知らない人がいなくなってほっとしているのだろう、父が来る前と同じように私の横やら前やら後ろやらをついて歩く。
父の使った布団からシーツとカバーを外して洗濯し、まだ午前中だったので布団を干す。
父は使った離れの部屋にごみ一つ残さず、洗面所もぴかりときれいで、私に負担をかけることなど一切なかったが、私は窓を開けて、掃除機をかけ、洗面台を磨き、お風呂も掃除する。
ばたばたと動き回りながら、父と話したことを思い出す。
母猫と遊んでいても私を見つけると逃げてしまう子猫が物干し場でうずくまっていて、たやすく抱き上げることができてしまい、動物病院に連れて行ったときのこと。
お風呂場に、腐海から出てきたかと思うほどの巨大なムカデが出現し、その胴体は青みがかっていて、ご近所様から伝授された対処法が一瞬で吹き飛んだときのこと。
少し前に乗ったタクシーの運転手が、島で数人しかいない女性のタクシー運転手で、島に来た当初は工場で働いていて、生まれて初めて「とろい」と言われ、別の仕事を探したと話していたときのこと。
借りていた家は二階建ての離れもある大きな家で、父が帰ったその日でなかったとしても、家人が帰るまでにやることはいくらでもあった。ばたばたと動き回っているうちに午後三時。布団を取り込む時間になっていた。
猫に「待て」をして物干し場に出て、布団を運び込み、離れの部屋で畳んだ。
ホームセンターの通販で買った布団セットなのでそれほど高いものではないが、ゆるい暖かさにぷかりと膨らんでいた。熱々でもなかったので、買ったときの四角い布団袋にそのまま収納し、押し入れにしまっておこうと思い、まずは敷き布団を入れ、掛け布団を、入れて、入れて、うん、入れ……。
どうにも入らない。
ぷっかぷかに膨らんだ布団は私がどれほど潰しても、体重を乗せても、元々入っていた布団袋に入らない。片方を押さえてねじ込んでも、もう片方がぷかりと膨らみ、全体的に押さえ込んだつもりでも決して平たく潰れることはなく、どんなに押し込んでもジッパーを閉めるにはほど遠い。袋から出す前とは布団が含んだ空気しか変わらないはずなのに、私の思い通りにならない。ただ、袋に入れてしまいたいだけなのに。
袋に、入れてしまいたい。それだけなのに。
ふと手を止めて。布団にのしかかるのもやめて。じっと、床に座り込んでいた。西陽が弱まり、しん、とした家の中で一人、何もせず、ただ、時が過ぎた。
その後、家人が帰るまで何をしていたのか、夕飯を作ったのか作らなかったのかすらも、覚えていない。
離婚しようという気持ちが初めて鎌首をもたげたのは、たぶん、あの時だったと思う。
素晴らしい自然と、素敵な人々が住む島。穏やかな景色は今でも私の大切な思い出で、是非とも旅行におすすめしたい場所である。
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