#778 『テナント募集の空きフロア』

 母と一緒に、某デパートへと買い物に出掛けた際の事である。

 前々よりそのデパートの改装工事の話は聞いていた。だが開店したまま工事が施工されると言う事までは知らなかった。

 そしてその日はまさに三階のフロア全てがその対象であったようだ。化粧品を見ていた私の元に、「ちょっと来てよ」と母が呼びに来た。

 どこへ連れて行かれるのだろうかと思えば、それは上階へと向かうエスカレーターで、登る最中に見上げる上のフロアは闇そのものであるかのように暗かった。

「なにこれ」と思わず声が出た。行き着いた三階のフロアは何も無く、所々に非常口を示す案内看板の灯りが点っているだけ。後はもうひたすら暗闇ばかりの寂しい空間となっていたのだ。

「なんか面白いじゃない」と、母は無邪気に簡易バリケードをまたいでそのフロアの中へと入って行く。

「入っちゃ駄目だよ」と私は止めるが、「少しなら大丈夫よ」と、母はどんどん進んで行ってしまうのだ。

「ねぇ、やめようよ!」私が強い口調で言うと、「ちょっとトイレ行って来る」と、向こうに見える通路の方へと歩き去って行ってしまう。

 信じられない。仕方無く私はそのエスカレーター付近で立って待つ事にした。

 遠くでポッと、灯りが点いたのが見える。おそらくは母がトイレの照明を点けたのだろう。後で警備員に怒られなきゃいいけどと、“テナント募集”の貼り紙を眺めながら母を待つが、一向に帰って来る様子が無い。

 やがて放送が流れた。お客様のお呼び出しをお伝えします――とアナウンスされ、そして呼び出されたのは私の名前だった。

 インフォーメーションセンターへと出向くと、母はそこにいた。何でも化粧品のコーナーから忽然と私の姿が消え、心配していたとの事だ。

 母には、その時の事実を未だ言えずにいる。

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