#508 『大家からの電話』
深夜、スマートフォンの電子音で目が覚めた。
何の通知かと思えば、それは電話の呼び出し音だった。
表示を見ればそれは僕が管理を担当している賃貸アパートの大家さんで、少しだけ迷った挙げ句、結局僕はその通話ボタンを押した。
「もしもし、寺岡さん?」と、聞き慣れた大家さんの声で僕の名前を呼ぶ。同時にその背後がやけに騒々しい事に気が付いた。
「何かありましたか?」と聞けば、「可能ならばちょっと来て、立ち会ってもらえないか?」と言う妙な発言。理由を聞けば、アパート一階の小林さんの部屋から奇妙な声がするとの事。
「騒音被害ですか?」と訊ねると、「そんな感じなんだけどね」と、大家さんは言う。それならば警察案件ではと聞けば、騒音と言う程のものではないと返して来る。
どうやらその住民の小林さん、家の中で誰かと言い合っているらしく、聞き取れない内容の言葉でずっと何かを呟いているのだと言うのだ。
「なるほど、今大家さんの電話から聞こえているのが、その方の声ですね?」
大家さんの電話に出た途端に背後から聞こえて来た、騒々しい声の正体が分かった。
だが、大家さん曰く、「違うよ」と言う。何でも大家さんは自宅へと戻って、部屋から電話をしているらしい。「アパートの音なんかここまで聞こえる筈が無い」と言うのだ。
だが確かに聞こえる。人の話し声のような、うめき声のような、聞いている人がとても不安になる、不鮮明かつどこか感情的な話し声がずっと聞こえ続けていた。
「分かりました、伺います」と伝え電話を切った。到着するとその小林さんの部屋の両隣の住民だろうか人々が、大家さんと一緒に部屋の前でたむろしている。
ドアの前まで行けば、確かに先程、電話で聞いたのと同じ声が中から聞こえて来る。
泣き声のような時もあれば、激高したかのような怒鳴り声のようなものも混じっている。
合鍵はあるものの、その程度の事で勝手に開けて良いと言うものではない。だが、何度インターフォンを押しても応えは無いし、声も止まない以上仕方無いと言う事で、警察へと連絡してその立ち会いのもとで開けると言う事にした。
やがてアパートの前にパトカーが停まる。そうして警察官の見ている前で解錠され、ドアが開くのだが――
「ここから先は立ち入らないでください」と、部屋の中から漏れ出る腐敗臭を嗅ぎ、警察官は僕らに立ち入りを禁止する。そうして中へと入って行き、しばらく経った後、「誰もおりません」と警察官が出て来た。
そうして僕らも中へと踏み込む。既に部屋の窓は開いており、先程嗅いだ強烈な腐敗臭はもうどこにも無かった。
部屋には、本当に誰もいなかった。既に隅々まで探されたのだろう、部屋中の押し入れやドアが開いていた。
結局、事件ではないと言う事で警察官は引き返して行ってしまった。両隣の住民も、「あの声って何だったんだろう」と首を傾げながら戻って行く。
残された僕と大家さんは途方に暮れながらその部屋に残っていたのだが、突然にその部屋の中に響き渡る声を聞き、同時に悲鳴を上げていた。
「勘弁してください!」
それは悲痛な男の叫び声だった。
声は、「嫌だぁぁ――嫌だぁぁ――」と、廊下の向こうに遠ざかって行き、やがて途切れた。
その部屋で何があったのかは知らないが、結局その部屋の住民、小林さんは、行方不明のまま戻って来る事は無かったのである。
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