#207 『もう一人いる』
某収録スタジオでの事。普段は自宅での作業が多いのだが、大詰めともなると同じ空間で作業した方が効率良いと言う事もあり、スタジオを一室借り切っての徹夜作業が続いたりする事がある。
とある作業時。借りたのが、「なにかいる」と仲間内でも評判なKスタジオ。仕事柄、僕の作業が一番最後の工程と言う事もあり、アシスタントのI君と共に二日も家に帰れていないと言う状況が続いていた。
深夜二時を過ぎた辺りで、「ここのミックスが完成したら珈琲買って来よう」とI君と話していた時だ。突然、室内に鳴り響くブザー音。パニックに陥る僕とI君。深夜だけど、とりあえずオーナーさんに連絡しようと言う事になり、それからどう連絡が行ったのか、セキュリティを担当する警備会社のスタッフがスタジオに駆け付けて来てくれた。
青白い顔をした、やけに背の高いやせぎすな男性だった。内錠を外しドアを開けると、エントランスの辺りで周りを一瞥し、「あっちですね」と勝手に奥の廊下の方へと向かって行ってしまう。
「あっちは……」と、アシスタントのI君が言う。このスタジオを借りる人は誰も近寄りたがらない、行き止まりの廊下の方角だ。そこにはスタンドタイプの灰皿が一つだけ置いてあり、普段は喫煙所となっている場所なのだが、大抵は外に出て煙草を吸う。なにしろそこは奇妙な空間で、部屋など何も無いのに行き止まりだけの廊下が延びていて、照明も無い暗い場所にポツンと、“消火栓”の赤いランプが灯っているだけ。実際にそこで人影を見たと言う人も少なくはない場所なのである。
やがて警報が止み、警備の男性が戻って来た。「何だったんですか?」と聞けば、男性は無表情のままで「単に非常ベルの誤作動ですね」と言う。僕とI君は胸を撫で下ろしながら、「良かった」と安堵する。但しそれは、I君が計らずも「いつもの怪奇現象かと思いました」と漏らすまでの事だった。
それを聞いた途端、男性の表情が変った。「やはりそうでしたか」と頷くと、ポケットから、指か何かで押して割ったのだろう、非常ベルのボタンの透明カバーを差し出した。
「誰かが押しましたよ」と、真剣な顔で言う。そんな筈は無い。僕ら以外は誰もいなかったし、内側から施錠をしていたのだから。すると男性はそんな事は分かってますとばかりに、「あの通路、行き止まりの辺りにもう一つ、部屋がありますね」と言うのだ。
男性に促されてその廊下を進み、突き当たりの廊下をスマホのライトで照らしてみる。すると、まさにその突き当たりの床の部分だけが、長年人が足を置いたであろう磨り減り方をしており、そこの一画だけ色が違って見えるのである。
目の前の壁を見る。確かにその壁の向こうには、もう一つ部屋がある。そんな気がして来る。どうしてそこを塞いでしまったのかは分からないが、その突き当たりの廊下の意味だけは理解出来た。
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