#167 『敷金』

 友人のSから逢えないかと連絡が来た。

 数年振りに逢うSはやけに顔色悪く、やつれていた。聞けばもうほとんどアルコール依存症みたいになっているのだと言う。

「どうした? 何があった?」と聞くと、「見て欲しいものがある」とだけ言って、Sは自分の住むマンションに俺を連れて行こうとするのだ。

「奇妙な事ばかり起きるんだよ」と、強い酒の空き缶ばかりが転がるワンルームマンションの一室で、Sは言う。言いながら、震える手で酒の缶を開けようとするので、俺はそれを強く制止し、昔のように馬鹿話をしながらコンビニの弁当を食べ始めた。

 結果、Sの言う奇妙な事は全く起こらなかった。それには流石に、S自身も驚いていた。

「度数の強い酒の飲み過ぎ。飲まなきゃそんな事起きないんだから少し自制しろ」と俺はたしなめる。するとSもまた、飲んだら起こると言うならもう飲まないと素直に言う。

 その晩はSの家に泊まって行く事にした。俺はせんべい布団を借りてSの横で寝転がる。電機を消して真っ暗になると、あれほど「飲まなきゃ眠れない」と言い張っていたSは、すぐに高いびきを上げ始めた。それを聞いて俺も安心はしたが、今度は逆にいびきがうるさすぎて眠れない。

「勘弁して欲しいなぁ」と寝返りを打てば、目の前にSの顔があった。

 ぎょっとした。Sはぱっちりと目を見開いて、俺を通り越し向こう側を見ている。どうやらスマホでもいじっているらしい、青白い明かりで顔が照り返している。

 だが何かおかしい。良く良く見ればSはスマホなど持ってない。じゃあこの光源は何なのだろうと疑問に思っていると、Sのいびきが全然収まっていない事に気付く。――Sは、目を見開いているSの、更に向こう側にいた。

 マズい、確かにこの部屋はおかしい。思った瞬間、Sは悪夢でも見ているのかうなされ、暴れ始めた。だが起こそうにも間に“もう一人のS”がいて起こせない。俺は思いきって布団をはね除け、暴れているSを引きずって玄関まで行った。そして外へとSを放り出すとようやく目を覚ます。そしてSは自分のマンションの中を見て悲鳴を上げていた。

 俺も見た。部屋の中央で紐にぶら下がる男性の姿を。

 ファミレスで夜を明かして、不動産屋に連絡を入れた。すると不動産屋は頑なに、「事故物件ではない」と突っぱねるし、敷金礼金は返せないと言う。

「なら一回、あんたがそこに泊まってみろ」と、俺は言い返す。結局、ウチで寝泊まりするSの元に、敷金礼金は返って来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る