#シャルミュートしろ


 シャルロッテの寝落ち騒動は翌日行われた謝罪配信によって一応の収束をみせた。心配をかけた関係者及び視聴者、そして配信に同席した被害者である更科雪緒に謝罪の言葉を述べたシャルロッテが雪緒から許しを得たことで、視聴者も好意的な反応を返し事態は丸く収まったのである。


『それで、寝言でわたしに言いかけてたことは何だったんですか?』


『……何だったかしら』


『シャルさん!?』


 雪緒の問いにシャルロッテが2Dでもわかるぐらいに目をそらしたことで体重増加疑惑が再燃したのはご愛嬌というものだろう。


『それよりも、最後はわたしもびっくりしましたよ。まさかメイドさんが出てくるなんて。やっぱりお姫様は違いますね』


『……あんたに言われると皮肉っぽいわね。当たり前でしょ』


:草

:純粋な言葉の暴力が姫ちんを襲う!

:由紀夫ちゃんの方が高貴な感じするからね、仕方ないね。

:雪緒ちゃん定期

:清楚(真)には勝てない


 更科雪緒はシックな学生服と結わえた黒髪、おしとやかな見目性格から、お姫様を称しながら熱くなると口汚くなる言動や庶民的なエピソードが飛び出すシャルロッテよりもよほどお姫様をしていると言われている。

 天然な気のある雪緒の言葉に、顔が引きつりそうになりながらもシャルロッテは用意していた言葉を返す。


『あれは私の側仕えよ。普段は配信を見ないように言いつけてるんだけど、SNSでトレンド入りしたのを見つけてフォローしてくれたみたいね』


『あら、そうなんですね。けど、なんで配信を見せないようにしていらっしゃるんですか?』


『身内に配信とか見られるのってなんか嫌じゃない?こう、なんていうか、自分が余所で友達とどういう会話してるのとか知られたくないっていうか』


『わたしは気にしないですねえ。両親も配信は見てますし、配信の内容とかをきっかけに連絡もらったりとかしますよ?』


『雪緒はひとりぐらしでしょ?直接顔を合わせる機会が少ないからそうやって言えるのよ』


『え~そうですか?実家だったらなおさら会話のネタになっていいと思うんですけど』


『そんな毎回家族から今日の配信はどうだったとか感想聞かされても困るわよ。それに、ダメ出しでもされたら喧嘩になる自信があるわ』


 家庭崩壊まったなしよ、と言い切るシャルロッテに雪緒は苦笑だけ返してコメントは控えたが、視聴者のコメントは容赦なかった。


:これは手のかかる反抗期な娘ムーブ

:ちょっとした一言に姫ちんが噛みついて食卓がひえっひえになるのが見える見える

:王様は娘にどう話しかければいいか困ってるやろなあ

:パパの下着と一緒に洗濯しないでって言ってそう


『い、今は一緒でも気にしないわよ!」』


『前は一緒なの嫌がってたんですね……』


 言い訳のように反論するシャルロッテに雪緒は呆れたように突っ込む。

 シャルロッテはそうした会話の間も逐一コメント欄を確認していたが、いい具合に事故の件も流れて軟着陸しそうな様子である。そもそも寝落ちというものは寝坊と違い喜ばれる傾向にあるためそこまでの心配はしていなかったが、対応の取り方ひとつで評判は簡単に地に落ちるものだ。

 シャルロッテの先輩にもゲームに参加させていたリアフレの性別を話さずにいた結果、配信がしばらく荒れた人がいた。その人の場合は配信が荒れているのを承知で無視していたのだが、シャルロッテには荒れる原因を放置するようなことはとてもできない。

 今回の場合は忌々しいことに兄が上手いことやったおかげで火はほとんど消えていたようなものだったが、炎上することなく乗り切れそうなことにシャルロッテは密かに安堵した。

 と、そこで流れてきたコメントを見て、シャルロッテは眉をしかめる。


:家族と揉める度に例のメイドさんに小言を言われたりして渋々仲直りしてそう

:ボイスだけのイメージだけどメイドさんはけっこうお堅いタイプとみた

:わがままな姫ちんをやれやれ仕方ないですねとか言いながら世話してるんやろなあ

:そんなメイドにお世話されてえなあ俺もなあ

:メイドさんも配信に参加したらおもろい


 コメント欄が話題に挙げたのはメイド――兄である奏多のことだ。SNSでトレンドにもなったので話が盛り上がるのは当然と言えば当然であるが、自分の配信で身内の話題をされているようでシャルロッテはいい気はしなかった。


『はいはい皆さん、気になるのはわかりますけれど、あんまりメイドさんの話題を広げないようにしてくださいね。シャルさんの身内とはいえあくまでも一般の人なんですから』


 画面上のシャルロッテが渋い表情をしているのを見た雪緒が、視聴者に対して注意喚起をする。リアルに関わる事柄であるだけに、ライバー側から話題にするのはともかく視聴者があれこれと口にするのは問題という共通認識もあり、大方の視聴者は彼女の言葉に素直に従った。中には件のメイドを余程気に入ったのか未練がましく口にする者もいたが、それもすぐに他のコメントにより流れていく。


『まあ、あれのことはいいのよ。今回は緊急事態だったから助けに入ってきただけで、あれが配信に出てくることはもうないわ。そう何回も身内にフォローされるような事態が起こることもないだろうしね』


『シャルさん、あんまり言い過ぎるとフラグにしか聞こえないです……』


 自信満々に言い切るシャルロッテに対する視聴者たちの気持ちを、雪緒は完璧に代弁して見せた。



    ※



 先日の寝落ち騒動から数日。世間というか、V界隈でもシャルロッテの寝落ち騒動については本人の謝罪配信もあり落ち着きをみせ、話題は別のVTuberがやらかした炎上沙汰に移り変わっていた。奏多としてはこのまま事件が風化していくのは有り難いことだ。

 しばらくは自分の評判の良さに浮かれていた奏多であったが、冷静に考えると奏多の声がネットの海に拡散されすぎた場合、その声音からリアルの知り合いに察知される可能性がある。

 奏多の女声を聞いたことがある人物など限りがあるから気にしすぎかもしれないし、そういった人物も大抵は奏多の趣味に理解のある人ばかりであるから奏多としてはそうそう困ることはないが、芋づる式に佳苗の身バレをしてしまえば彼女に申し訳が立たない。

 その佳苗とは、寝落ち事件以降も以前の通り没交渉だ。これを機に少しでも関係が改善して家庭環境が良くなればと密かに期待していた奏多だったが、世の中そうは上手くいかないらしい……と、落胆していたのであるが。


「……お兄、ちょっといい?」


 奏多は自室のベッドの上で佳苗との関係についてあれこれと考えているときに、控えめなノック音と共に本人が声をかけてきたので心臓が跳ね上がったように感じた。動悸を抑えながら、軽く息をととのえて何事もないような風に返事をする。声音で感情を推察されないようなことなど、奏多にとっては朝飯前だ。


「どうぞ」


 了承を得て扉を開けた佳苗は部屋には完全に入ってこないで、扉の隙間から顔だけ出してきた。その表情は何か不本意な話であるのか、嫌々というか、どうしようもないので仕方なくというかな渋い表情をしている。

 そんな表情をしてまで自分の元に出向くのであるから余程のことなのだろうとは思いつつも、そこまで自分を頼るのが嫌なのだと思うと精神的に辛いものがあったが、その気持ちを押し隠しつつ奏多は努めて穏やかに佳苗に問うた。


「どうしたんだ。今は確か配信してる時間だろう?」


 時刻は夜九時を過ぎている。本日は八時から同期のライバーとのコラボ配信と聞いていた。少なくとも二時間は配信する予定であるからその間は静かにしていろとお達しを受けていたので、当然今は配信をしていなければならない時間のはずだ。

 配信の時間はSNSを通じて視聴者に通知していることであるからして、配信を遅刻するのは問題だ。中には開き直ってクズキャラとして売っているライバーも存在するが、シャルロッテがそういう芸風で売っているとは聞いたことがない。

 そうすると配信時間をずらしたのだろうと奏多は予測したが、奏多の問いに佳苗は答えなかった。


「……ちょっと見て欲しいんだけど」


 そう言って奏多の返答も聞かずに佳苗は顔を引っ込めてしまう。なんだなんだと奏多が自室の外に出ると、佳苗は既に隣にある自分の部屋へ入るところだった。彼女は振り返ると渋面顔のまま奏多へ手招きする。部屋の中まで着いてこいということだろう。

 ここ数年で奏多が佳苗の部屋に入ることは皆無だったと言っていい。家の掃除を奏多が請け負うことはままにあるのだが、佳苗は自分の部屋に奏多を入れようとせず、自分で掃除をしていたので入室する機会がなかったのである。先日も含めてこれだけの頻度で佳苗の部屋に入室するのは近年まれに見る快挙と言ってよかった。

 佳苗に続いて奏多が部屋に入ると、佳苗はデスクに向かうと奏多に対してPCモニターを指し示した。


「これ、配信したいゲームが画面に映らなくて困ってるの。どうにかならない?」


 モニターはふたつ並んで置かれており、これは所謂デュアルモニターというやつだ。片方にはゲーム画面が映されており、特に問題はないように見える。もう片方のモニターには配信ソフトが画面いっぱいに開かれており、ソフトの中央に現在配信されている映像であろう画面が映されていた。

 配信映像の右下にはシャルロッテの立絵が表示されているし、その隣にコメントも流れている。左側に置かれた立絵はシャルロッテと同期である制服姿のお淑やかなお嬢様然とした更科雪緒と、全体的に青味がかった装いに宝石のように輝く瞳が特徴的なアイオライト・ベテルギウスのふたりだ。

 画面の外枠には必要な素材がしっかりと表示されていたが、にもかかわらず画面中央に表示されるべきゲーム画面は表示されておらず、そこは真っ暗なままであった。

 奏多ここにきてようやく状況を把握できた。どうしてこのタイミングなのかは配信を視聴していなかったのでよくわからないが、配信途中からやろうとしたゲームが配信ソフトと同期せず画面に映らないらしい。

 他のライバーと一緒に配信している以上、配信画面に映せないから諦めますとは簡単に言うことができなくて、仕方なしに奏多に頼ってみたというところか。

 いや、配信者ではない奏多に声をかけるぐらいなので藁にもすがる思いなのかもしれない。

 奏多はなんとかできると安請け合いできるほどの自信は無かったが、これを解決すれば多少は妹の好感度が稼げるかもしれないという下心から、佳苗にうなずいてみせる。

 佳苗はちょっとほっとした様子でPCの前を奏多に譲る。奏多はゲーミングチェアに座ると、場の空気をほぐす冗談のつもりで声音を作って佳苗に話しかける。


「ところで姫様、念のために確認しますがまさか配信のマイクを切り忘れてるようなうっかりはしておりませんね?」


 それを聞いた佳苗は、まなじりを吊り上げて憤然と反論する。


「あのね、それぐらい当然やってるに決まって……」


 一瞬女声で話しかけてしまい佳苗の怒りを買ったかと思い焦った奏多であったが、言葉尻がどんどんすぼんでいく佳苗を見て状況を察して顔をひきつらせる。

 恐る恐るコメント欄を確認してみると、そこには明確な答えが広がっていた。


:できてないぞ

:これはやってしまいましたなあ

:姫ちんこういうとこあるよね

:よくできた茶番だあ

:メイドきたあああああああ!!!

:メイドさんちっすちっす!

:同期の必死の呼びかけもむなしく……


「……姫様?」


「だ、だれにでも過ちはあるわよね……」


 奏多が思わず半眼で佳苗を見ると、佳苗は目を逸らしながら言い訳にもならない言葉を発する。奏多は思わずため息を吐いた。最近の佳苗のことはあまり知る機会がなかったが、どうやら奏多と仲が良かった頃からうっかりなところは変わっていないらしい。奏多の口から思わず小言が漏れる。


「まったく、個人情報に関わることなんですからもっと慎重になさっていただかないと……。姫様は相変わらずですね」


 疎遠な実兄から女声で小言を言われた佳苗は一瞬なんとも言えないような表情を浮かべたが、それでも配信に声が乗っている現状下手なことはできず、奏多の言葉に素直に乗っかり反論する。


「ちょっと!私がいつもやらかしてるような言い方しないでよね!Vスタの間じゃどちらかというと良識派で通ってるんだから」


「ほう、そうなのですか?おかしいですね。私からすれば姫様のうっかりエピソードのひとつやふたつやみっつ、すぐに披露できるのですが」


「う゛えっ!?ま、マジで辞めなさいよ!?そ、そんな話してる暇があったらとっとと配信画面の方確認してよね!」


「はいはい。ですが、私も配信ソフトに詳しいわけではございませんので、期待しないでお待ちくださいね」


 なんだかふたりが仲が良かった頃のようなやり取りに奏多はくすりと微笑み、配信ソフトの設定を確認していく。


:良識的だけどポンなところを隠せない姫ちん

:これは微笑ましい姫と従者のやり取り

:早く姫ちんのうっかりエピソード披露して?

:いつもは他のライバーを引っ張る側だからこういうのは新鮮だなあ

:待たされてる同期二人もこれにはにっこり


 しょうもないやり取りに時間を使ってしまったが、視界の端で配信画面に流れるコメントを確認すると批判的なコメントはほぼ無いと言ってよさそうだ。

 同じくコメントを見ていたらしい佳苗は、同期二人を放置していたことに気がついて慌ててデスクに置かれたヘッドホンのイヤホンジャックをPCから抜き取る。


「ご、ごめんね、ふたりとも。もうちょっと待っててちょうだい」


 申し訳なさそうに謝罪する佳苗に、立絵からして表情が笑顔から変化しない二人は佳苗をからかうように声をかける。


『うちは構わないよ~。おかげで面白いやり取りも聞けたしねえ』


『わたしもシャルさんとメイドさんの会話だけでご飯三杯はいけそうです』


「雪緒はそうやって食べ物で例えを出したりするから食いしん坊キャラに見られるのよ」


『わ、わたしは食いしん坊じゃありません!』


『雪緒ちゃんは今までの積み重ねがあるからねえ』


「今更否定したところでどうにかなるものじゃないわよね」


『ひ、酷い……!というか、今のはどう考えてもシャルさんをいじる流れだったじゃないですか!』


『隙を見せる方が悪いんだあな。これが』


 そんなあ、と嘆く雪緒を笑うふたりとコメント欄を尻目に、奏多は設定を確認しながらスマホで対処法を検索していく。サイトに載っていたトラブル対策を上から順に試していき、設定オプションのチェックをひとつ外して適用すると、配信ソフトにゲーム画面が表示された。


「姫様、できましたよ」


 奏多がやれやれなんとかなったかと安堵しつつ佳苗に声をかけると、佳苗は喜色満面の様子で声を上げた。


「マジで!?お兄、やるじゃん!……ぁ」


 つい奏多のことをお兄、と呼んでしまい佳苗は顔をひきつらせる。ここまで女声でやってきて、今更兄ですとは言い難い状況での失言に奏多は内心でこのポンコツめ!と罵倒しつつ即興で言い訳を考える。


「……姫様、おにぃは色々誤解を産むので止めてくださいと申し上げていますでしょう。ニーナとお呼びくださいますよう」


「あ、ああ~……、ごめんって。昔からそう呼んでるからつい」


「まったく。姫様のご学友から兄だと思われていた私の身にもなっていただきたいですね。……とにかく、これで問題なく配信できるかと思いますので」


『おお〜、よかったよかった。メイドさんさんきゅーでーす』


『ありがとうございました。メイドさんって凄いんですね。シャルさんのお世話だけじゃなく、触ったことのない配信ソフトのトラブルも解決できるなんて』


 ふたりに話しかけられた奏多はあまり自分が出しゃばるのはと躊躇したが、この場合は発言しない方が問題だろうと思い仕方なしに返答する。


「無論、メイドですので」


:草

:メイドってすげえや!

:メイドだからで出来るもんじゃないやろ……

:出来とるやろがい!

:メイドさんさんきゅーでーす

:ニーナさんまじ有能

:さんきゅーでーす!


「姫様の同期のお二方、並びに愚民の皆様。本日もご迷惑をおかけいたしました。私はこれで失礼しますが、引き続き配信をお楽しみください」


 奏多はコメント欄の反応を見て、今回も何とか乗り切ったと安堵しつつ席を佳苗に譲った。


「本日もは余計よ……」


 ぼそりと呟かれた佳苗の言葉に苦笑しつつ部屋を出て行こうとする奏多に背後から声がかかる。


「お兄!」


 奏多が振り向くと、佳苗が最初と同じように渋い顔をしつつ口をもごもごさせていたが、やがて小さく言葉を発する。


「……その、ありがと」


「……ニーナです。姫様」


 奏多はもう一度苦笑を浮かべてから、しっかりと訂正をして部屋を出た。

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