百舌の早贄 / 雪 六華 作

名古屋市立大学文藝部

百舌の早贄 前編

 今日の帰り道は、私の他に歩く者があまりおりません。

 日が傾きかけた頃合いに人気の無い道を歩くのは、少々の薄気味悪さを感じることもあるでしょう。しかし知り合いであろうとそうでなかろうと、人と顔を合わせるのが苦手なきらいがある自分には、かえって好都合でした。

 静かな夕焼けに、私が松葉杖と左足を引きずる音だけが響きます。家までもう少し、多少はあった人影も時間経過と共に消え失せた頃、日常の景色に浮かぶ一縷の違和感を、視界の端に捉えました。

 それは一つの帽子でした。国防カーキ色の生地にすり切れたつば、このご時世ではよく見かける軍帽です。家々の間を縫うように生えた枯れ木の枝へ、そっと掛けられていました。

 この道は毎日のように通りますが、その木に帽子など掛けてあることはありませんでした。近寄って手に取ってみると、後頭部の部分に似た色の端切れが継いであります。間違いありません。それは確かに、私が数日前に帰り道で落とした帽子でした。

 その日の帰路もしっかり被っていたつもりが、家に帰って母親に指摘されるまで気づかなかったものですから、いつどこで失くしたかも見当がつかない状態だったのです。それゆえ、見つけるのは殆ど諦めていました。思わぬ再会に驚き半分、嬉しさ半分と言ったところです。きっと親切な誰かが拾って、目につきやすいようにしてくれたのでしょう。

 なくし物を見つけた安堵と共に帽子を被ると、再びその枝が目につきました。帽子で隠されていた枝の根元に、細く折りたたまれた紙が結びつけてあったからです。もちろん、これも普段は見かけたことなどありません。

 何となく気になってほどこうとするも、杖を持っていない片手だけでは時間がかかります。なんとか枝から外して開いてみると、薄い鉛筆書きの字が折り目だらけの紙の真ん中に並んでいました。


『この帽子の持ち主様へ

 帽子を見て、きっと貴方はお国のために戦ったことのある人だと思い、この手紙を書きました。

 もし良ければ僕の話を聞いてくれませんか。実際に戦場までいった人に聞きたいことがあるのですが、そのような人が私の周りにおらず、話す当てが無いんです。

 落とし物を拾われただけで手紙を送られて、きっと困っていらっしゃると思います。もしもこんな私に返事をしてやろう、と思ってくださった時は、同じようにこの枝に手紙を結んでいただけると嬉しいです。』



 私が物心ついた頃には既に、左脚を人並みに動かすことがかなわなくなっていました。

 両親曰く、三歳の時に罹ったポリオが原因とのことでした。なんとか一命を取り留めたものの、左の膝から先は萎縮して痩せ細り、内側に大きく歪みました。罹る前の一、二年間は普通にその辺りを走り回っていたのよ、と言われても信じられないほどです。

 障碍を負ったという境遇を、恨んでいないと言えば嘘になります。周りの人に比べてできないことはどうしても多くなるからです。走ることも、野球をすることも、家の中で横着して足で襖を開けるといった動作もできません。できるのは、皆が大股で歩いて行く後ろを、松葉杖を使ってのそのそとついていくことくらいでした。

 幼い頃は学校にも行きませんでした。体練に参加できないのと、私自身が弱気な性格で、周りとは違う脚を見られることを嫌ったからです。ただ、家に引きこもる生活自体は楽しいものでした。勉強は年の離れた兄に教えて貰いましたし、父の蔵書を読んだり、母の内職を手伝ったりと暇つぶしにも事欠きませんでしたから。

 年を重ねるにつれて、そんなお気楽な生活も徐々になりを潜めていきました。

 世間一般では学校を卒業して働くのが当たり前の年頃になると、私自身も家でのんびりしているわけにはいかなくなってしまいました。といっても、無学で身体を使うこともできない私に、ろくな仕事はありません。結局母と同じように、内職に従事する生活をしばらく送っておりましたが、戦争が始まるとそれすら厳しくなっていきました。

 それ以前も、戦いに行けない若い男は得てして冷ややかに見られるものでしたが、戦況の激化に比例して私を見る目の数々も厳しくなっていくのが分かりました。そもそも、学校にも仕事にも行ってない私の『周囲』など、ごくごく狭い世界に過ぎません。しかし、狭いからこそ逃げ場が無い。私や家族は、常に町内の人々から批判の対象として槍玉に挙げられることとなりました。

 ──ほら、あの家。息子がの家よ。

 ──非国民を養っているくせに、よく配給を貰いに来れたものだよ。

 ──斉藤さいとうさんのところのゆうくん。自分から志願して予科練に行くみたいよ。それに比べて、お隣は……。

 ──お国のために戦うこともできないのに、恥ずかしくないのかしらね。

 私に言われるならまだ耐えることもできるのですが、両親や兄に対し暴言を吐かれた時は、とても情けなく、胸が張り裂けるような思いでした。しかし、私には彼らに対し抵抗する術を持ち合わせておりません。ただ、家族に向けて『こんな身体になって、迷惑を掛けて申し訳ない』と謝ることしかできませんでした。

 ただ、戦争が始まって良いことがひとつだけありました。周りの若い男が皆兵士として駆り出されたせいで、私にも働き口が回ってきたことです。工場で弾薬を作る仕事でした。この生活が苦しい中で私でも稼ぎを得られるというのは、ありがたいことです。

 そうして工場と家を行き来する生活の中で、あの木に引っかけられている帽子と手紙を見つけたというわけです。

 いつも通り家に帰り、自室で手紙を読み返していた私は、誰に聞かれるでも無くため息を零していました。

 手紙には『きっと貴方はお国のために戦ったことのある人だ』と書かれています。落とした軍帽は所々擦り切れていて、破れを繕ったと思しきつぎはぎまであります。いかにも、戦場で爆破なり銃撃なりを受けてボロボロになったような風貌です。帰ってきた傷痍軍人の持ち物だと思われてもおかしくありません。

 しかし、私はこの脚です。戦場に行くどころか、竹槍の訓練すらしたことはありません。

 この帽子は、兄の形見です。私と違って五体満足で体格にも恵まれておりましたから、いち早く兵役に駆り出されて行きました。しかし、米英とは、戦いとは恐ろしいものです。若く健康だった兄の命を、ものの半年であっさりと奪ってゆきました。マレーで亡くなったとは聞いていますが、遺体すら帰ってきませんでした。その代わりにこの帽子と数点の遺品が戻ってきたのは、まだ幸運な方と言えるでしょうか。

 私に優しく接してくれる数少ない人物でしたから、兄のことは慕っておりました。なので、形見分けとしてこの帽子を貰っていた訳です。しまいっぱなしも何だかなあと思って、外に出る時に被っていたのがこんなことになるとは。

 そもそも出してきた相手も分からない、得体の知れない手紙です。見て見ぬふりをして捨てておくのも選択肢のひとつとして挙げられるでしょう。もしくは、これは身内の持ち物で、当人はもう返事を書ける状態に無いと言ってしまってもいいかもしれません。しかし、見ず知らずの相手に手紙を書くほどの『聞きたいこと』とは何なのでしょうか。それを考えると、無碍にするのも心が痛みます。かといって、『はい、戦争に行っていました』などと安易に嘘をつくこともできません。

 なんとも扱いに困る手紙をくれたものだ。そう独りごちても、解決するわけでもなし。

 相手がせっかく書いた手紙を無駄にせず、かといって私が大嘘をつかずに済む方法。そんな難問をしばらく考えた後、私は押し入れの中から埃の被った文箱ふばこを取り出してきました。

 先方の文字よりはやや濃いめの2B鉛筆で、悩みながらも短い文を綴りました。


『帽子の拾い主様へ

 まずは私の帽子を拾ってくださったこと、大変感謝しております。ありがとうございました。

 お手紙の方も拝見させていただきました。

 私ではお力添えできるかどうか分かりませんが、話を聞かないことには何とも言えませんので、ぜひお聞かせ願えないでしょうか。

 お返事は、同じようにこの枝へ結びつけていただければ結構です。お待ちしてます。』



 二、三日たった頃でしょうか。仕事に疲弊した身体を引きずって帰り道を歩いていると、またあの枝が目に止まりました。理由はもちろん、私の胸元程に位置する細い枝に紙が巻き付けてあったからです。

 自分が『返事は枝に』と言ったのに、ちゃんとその通りの風景があるのは、何だか不思議な心持ちです。前回よりも便箋が大きいようで、片手でほどくのには手間取りました。

 数日前に送った返事には、話を聞かせてくれとは書きましたが、自分が軍人だったかどうかには言及していません。嘘はついていませんが、相手の勘違いをそのまま利用し、そう思うなら思わせておこうと言うわけです。それは嘘と変わりないのではという良心の呵責は、心の隅に追いやっておくこととします。

 こうして私の身分を誤魔化しつつ、返事を出すこと自体はできました。しかしそれは、彼の言う『実際に戦場までいった人に聞きたいこと』に対する返答を先延ばしただけに過ぎません。悩んだ末に導き出された、とりあえず話を聞いてから考えれば良いだろう、という慢心の結果でした。

 その場で手紙を開いてみると、前と同じように筆圧の弱い文字が、前よりも多く並べられていました。


『お返事ありがとうございます。

 お言葉に甘えて、書かせてもらいます。

 僕は二週間後、予科練に行く予定になっています。

 貴方様も知っていると思いますが、予科練は自分で兵士になりたいと言って行く場所です。だから、僕の周囲の人は皆、自ら戦いに行くとはとても勇敢だ、と褒め称えてくれました。

 でもそれは違います。そもそも、予科練に行くのは親に勧められたからなんです。

 お金が無いから高等学校には行かせてやれなかったけど、予科練なら大丈夫だと。お国のためになるならぜひ行ってこいと言われたんです。

 流されるがまま入隊の準備が終わり、もう出発まで二週間となりました。

 自分で言い出したわけじゃ無いから、今更になって怖くなってしまったんです。どんな訓練をさせられるのか、最終的には飛行機に乗って特攻をしなければいけないのか……。

 こんなことじゃいけない。男なんだから、国の有事に戦いにも行けないでどうするんだと思っても、戦いになんて行きたくないと考えてしまう自分がどうしてもいるんです。

 そこでお伺いしたいのは、貴方様が戦争に行った時の話です。

 貴方様も戦争に行くと決めた時、(もしくは、僕と同じように周りから勧められた時?)どういう気持ちだったんですか。どうやって、自分を奮わせたんですか?

 あの拾った軍帽を見て、こんなボロボロになるまで戦って帰ってきた勇敢な人が近所にいるんだ、もしかしたら何か教えてくれるかもしれないと思ったんです。

 こんな僕にご教授いただければ、と思います。ぜひよろしくお願いします。』


 最後まで読み終わってみて真っ先に思い浮かんだのは、『大変な手紙が返ってきてしまった』という一文でした。

 どんなことが聞きたいのかはまったく検討もついていませんでしたが、彼の士気に関わるこんな重大な質問が来るとは。しかも何やら、こちらはただの兵士から勇敢な兵士に栄進しております。返事を出すには、さらに嘘を重ねなければなりません。

 それよりも私を困惑させたのは、この手紙の差出人のことです。

 彼は手紙の冒頭で、もうすぐ予科練に行くのだと伝えてきました。合わせて、私の帽子を拾って手紙を木に結べる人物と言えば、当然我が家の近所に住む人ということになります。

 元々が小さい町です。若く健康な男の大体は、とっくに赤紙で徴兵されていたので、予科練に志願できるような若者は限られていました。それに加えて、私のような障碍しょうがい者でも職に就けるくらいの人手不足です。わざわざ自分から名乗りを上げて戦いに行く男なんて、珍しいくらいでした。

 しかし、そんな中で自ら志願したとして、町内で話題になっていた子がいました。


 ──斉藤さんのところの勇次くん。自分から志願して予科練に行くみたいよ。それに比べて、お隣は……。


 勇次。ああそうだ。私の隣に住む男の子は、確か勇次と言う名前ではなかったか。

 存在こそ知っているものの、私自身が出歩かないせいで、殆ど面識はありません。せいぜい、自分より少し年下だったか、くらいの認識です。向こうも私のことは知っているでしょうけども、きっと名前も分からないに違いありません。だからこそ、私が肌身離さず身につけている帽子を見て、軍人の持ち物だと勘違いしたのでしょう。

 彼もまったく素知らぬ相手だからと悩みを吐露したつもりが、まさか隣人に話しているなんて考えもしてないと思います。

 とりあえず手紙を折りたたんで、また帰路へと戻ります。

 一度答えてしまった以上、無視もできません。聞きたいことが分かれば上手いこと返事を書けるだろう、という私の慢心が招いた結果です。甘んじて受け入れるほかありませんでした。ただ、考えるのは家に帰った後の自分に任せれば良いと、また僅かな先延ばしを図ったわけです。

 けれど、その目論見も無駄でした。家に帰っても、母親の出してくれた夕飯を食べても、あの手紙のことがずっと頭から離れなかったからです。

 考えても、立ち向かっているのは前回以上の難問です。最終的に文箱へ向かったのは、明日の準備等々、やることをすべて済ませて逃げられなくなってからでした。

 帰宅後の殆どの時間を費やした結果、具体的に書くことまでは決められませんでしたが、多少の方針は固まりました。

 まず、予科練に行くことを怖がっている相手へ、無責任に『日本男児たるもの戦え』だとか『国のために死んでこい』とけしかけないこと。助言する立場になってしまったけど、決して上から目線にはならないこと。そして最後に、差出人が私だと絶対にばれないようにすること。

 多少は鉛筆の先が空を切るだけの時間もありましたが、三十分も経つと、手紙と呼べるだけの体裁が整ってきました。


『帽子の拾い主様へ

 教えてくださってありがとうございます。

 もうすぐ予科練に行かれるんですね。勧められたとはいえ、相当な覚悟を持って決断されたのでしょう。そう考えていらっしゃらないようですが、私から見れば、貴方は十分に勇敢な方です。

 かといって、貴方は既に勇ましいのだから、恐れることなく憎き米英に向かいなさいなどと、簡単に言うつもりはありません。覚悟を決めたとて、怖いものは怖いのですから。

 どうやって自分を奮わせていたのかとの事ですが、特別なことをしていた訳では無いです。便箋を持って行って、残した家族に手紙を書きました。そうすると、絶対に生きて帰ってやるという気持ちが湧くんです。

 逆に家族から手紙が帰ってくることもあります。これも、私の生きる気力となってくれました。

 貴方の場合でしたらご両親、いらっしゃったらご兄弟、その他にもご友人や恋人に送るのも良いかもしれません。そして、予め手紙を送ってもらうように頼むと良いと思います。

 ありきたりな回答ですみません。陰からですが、貴方の幸運と無事を祈っています。』


 書き終わると、いつもなら寝ている時間を既に少し過ぎていました。枝へ結びに行くのは、明日仕事に行く時でいいでしょう。

 内容はすべて想像の産物でした。前はよく戦地の兄から手紙が届いていたなあ、というのをなんとか膨らませた結果です。

 この文章が相手にどう受け止められるかはわかりません。よく考えれば、誰かに対して長い手紙を書くのなんて、これが初めてです。彼はこれを読んで、何を考えて、どんな返事を書いてくれるのか。そんな不安を胸中に渦巻かせながらも、朝を迎えるべく布団を捲りました。




 元々我が家にあった文箱は、手付かずの便箋が十数枚入っているだけでした。兄が戦地へ赴いていた頃にはこれを使ってやりとりをしていましいたが、今となっては無用の長物と成り果て、襖の奥で眠っていたからです。

 それが今箱を開けると、数枚減った代わりに折り跡だらけの手紙が同じ枚数分入っております。

 二回目の返事を出した後、『答えてくれてありがとうございます』と綴られた手紙が返ってきました。やれやれ、これで終わりかと思ったのもつかの間、その礼の後にはこのように続けられていました。

『……参考までに、貴方様が行っていた戦地のことを聞いてみたいです。銃撃などもあったと思うのですが、いつ手紙を書いていましたか? 落ち着いて眠れるような場所はありましたか?』

 勿論、そんなこと知らないぞと筆を投げる選択肢はとっくに消されていました。渋々新しい便箋を取り出して、又聞きの知識と妄想で捏造した返事を出したのが、早いものでもう十日ほど前になります。

 不思議なことに、手紙のやりとりは未だ続いておりました。

 といっても、短い期間なのでせいぜい二、三通程度ですが。内容は向こうが訓練の内容や戦地での生活について問うのを、こちらが答えるといった流れです。私はこのために、兄が生前に戦地から送ってくれた手紙まで引っ張り出して、いかにも数年は第一線で戦っていたような顔で文章をしたためておりました。

 けれど、この枝を介した文通もそろそろ終わりの気配が近づいていました。勇次君がこの町を出発する予定の日が翌日まで迫ってきていたからです。

 長いようで短い、濃厚な時間でした。空襲警報が鳴るより気持ちをかき乱されていたかも知れません。もちろん、決して嫌な気分ではないのですが。むしろ家族以外の人と交流を持てたことが、かりそめでも嬉しかったくらいです。

 ですからこうやって最後の手紙を出すのも、一抹の寂しさすら感じておりました。

 最後、というのは、たまたま私の番が回ってきただけです。内容もたいしたことはありません。前と同じように相手の質問に答えて、文末には差し出がましいながら、無事に帰って来られるように、結びの言葉を入れただけです。

 私は言うなれば、彼の人生を少し通りがかっただけの他人です。千人針のようなたいそうなおまじないはしませんしできません。しかし、こうやって彼の無事を文で祈ることくらいは許されるはずです。

 片手で手紙を結ぶのは、相変わらず骨が折れます。それに辺りは薄暗くなり始めていましたので、ますます時間がかかっていました。

 そうして夢中になっていたものですから、私の少し後ろで土を踏む音に気が付かなかったのです。

 それは一度きりではなく、距離を縮めながら繰り返されます。そこでようやく、私に向かって誰かが近づいているのだと分かりました。

 時間帯も相まって薄気味悪さを感じた私は、ゆっくりと振り返ります。もたもたしていたから、もしかしたら不審者と思われたのか。道端の木の側にいる私にわざわざ近づいてくる理由なんて、それくらいしか思いつきませんでしたが、その予想は大きく裏切られました。

 そこに立っていたのは、私より三寸は背丈のある男性でした。がっしりとした体つきで、どことなく威圧感がありましたが、そのぱっと見の印象とは裏腹に、短く刈り揃えられた髪や垂れた目尻からは、親しみやすい優しさも感じさせます。生憎、その顔に見覚えはありませんでしたが。

「あの、」

 声を聞いてみても、やはり覚えはありません。やはり端からは怪しく見えたのか。弁明の言葉を考えていると、相手もどう言葉を続けるか、考えあぐねている様子が見て取れました。何故話しかけてきたのか、私の方が不信感すら覚えます。

「何でしょう。何かありましたか?」

 相手の薄い唇が、私の目の前で微かに上下します。

「……その帽子、って。あの……。前に落とされたりとか、しませんでしたか?」

 その帽子。紛れもなく、私が被っている兄の軍帽を指しています。

 その瞬間、私は相手の正体を悟りました。だって帽子を落としたのは、家族か拾った相手くらいしか知らないのですから。

「え、いや……」

「違いますか? あの、僕。ここでその帽子を拾ったんです、けど、」

 その問いに、肯定の返事をすることはできません。それはすなわち、あの手紙の内容が嘘であることを認めてしまうからです。

「あ、し、知りません!」

 そう絞り出すや否や、右足が帰り道の方向に踏み出しました。

 急いで杖を動かしても、私の歩く速度など簡単に追いつかれてしまうくらいのものです。相手の体格ならなおさらでしょう。それでも、逃げの姿勢を取ってしまった以上は、誤魔化しようがありません。

 勇次君は追ってきませんでした。私を呼び止めるような声は聞こえましたが、そんなものは簡単に振り払えます。

 あの木から家までは、私の足でも数分です。そんな短い距離でも、必死に逃げ帰ったものですから。家に着く頃には喉が痛くなるほど呼吸が荒くなっていました。

 上下する肩を押さえ、呼吸を整えた後、大きな溜息が勝手に口をついて出ました。

 流石に、あれで誤魔化せたとは思いません。こんな小さな町に、木の側で何やら枝を触っている軍帽の男が二人もいるわけはありませんし、何より態度が怪しすぎました。

 まさか、手紙を結んでいる瞬間そのものを見られるとは。いくらこの二週間出会わなかったとは言え、そもそもお隣同士なのです。もう少し警戒をしておくべきだったと舌打ちしても、後の祭りでした。

 ここまで来たのなら、最後まで隠し通しておきたかった。もう一線を退いた兵士として、大人しく彼を見送りたかった。

 彼は私を帽子の持ち主だとは気づきましたが、隣の住人であることには言及しませんでした。しかし、この脚を見れば、手紙の内容が偽りであることには気づいただろうと思います。何故なら流石の米英でも、脚を細く歪ませる爆弾など持っていないでしょうから……。

 日が沈み、薄闇に包まれる部屋の中で、私の後悔は誰にも知られることなく渦を巻いておりました。

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