カラスの羽

@Nabeshima_Goshaku

カラスの羽

 おじいさんもおばあさんも、そのまたおじいさんもおばあさんも知らない、昔々のこと。

 里から離れた山際に一人の男が住んでいました。男は忌み子として生まれたので、何も悪いことはしていないのに、罪人として里の人々から疎まれていました。男は村の人達が何も知らずに自分を怖がっているのを見て、なんとも可哀想な人達だと思っていました。それでも男は彼らをばかにすることはなく、自分の仕事を毎日せっせとこなして生きていました。


 ある日男が山から薪を拾って返ってくると、家の前に一羽のカラスがいるのを見つけました。屍肉をついばむので、カラスも里の人々から嫌われていました。きっと里に降りたところを追い払われて、こんな外れにまで来てしまったのだろう。男はカラスを哀れんで、山で拾ってきたくるみを一つ、カラスの前に落としてやりました。カラスはその大きな爪でくるみをひょいと拾い上げると、空高く飛んでいってしまいました。

 男があばら家の中でくつろいでいると、なにやら変な音が鳴っているのを聞きました。カツン、カツンという音です。男ははじめ誰か下駄を履いた人が歩いているのかと思いましたが、男の家には誰も近づきません。不思議に思った男が戸を開けて外に出てみると、眼の前にいきなりくるみが落ちてきて、パカンと割れました。そしてすぐにさっきのカラスが降りてきてくるみを食べ始めたのです。なんと賢い生き物なのだろうと男は思いました。

 それから男は山に入るたびにくるみを拾ってきてはカラスにやりました。カラスは男の顔をすぐに覚え、いつも男を見かけると挨拶をしました。男は、嬉しそうにぴょんぴょんはねて小さくカァと鳴くカラスをたいそう可愛く思いました。

 いつしかカラスは男の家の前に細い薪を持ってくるようになりました。男は里で唯一人、カラスが好きになりました。カラスも男のことが好きでした。

 ある朝男が家の中で休んでいると、里の方から悪童たちが歩いてきました。悪童たちは男の家を蹴り飛ばし、ぎしぎし鳴って揺れるのを見て笑いました。男にとってこんなことは慣れっこだったので、静かにしていればまた収まるだろうと思い、息を潜めて隠れていました。しかし、今日は運がなかったのでしょう。蹴った板のところに穴が空き、悪童たちが中にいた男を見つけてしまったのです。男はすぐに家の中から引きずり出され、袋叩きにされました。男はじっとうずくまり、なるべく怪我をしないよう、なるべく早く終わるように祈りました。悪童たちは手加減せずに思い切り男を蹴りつけました。砂埃が舞って、男は涙を流しました。

 いきなり、空の上からカラスの声がしました。大きな大きな声でした。悪童たちは驚き、空を見上げました。カラスはすぐに降りてきて、悪童たちの頭をつつきました。こんこんこん、ごんごん、ざくり。あまりの痛さに悪童たちは飛び上がり、尻尾を巻いて逃げていきました。

 男はカラスに言いました。「ありがとう。でもどうして俺を助けてくれたんだ。」すると驚くことに、カラスは人の言葉で話し出しました。「あなたが私を助けてくれたからです。私はあなたがほどこしをしてくださらなければ、きっと道の上で干し肉になり、今頃猪の糞になっていたことでしょう。それを見ていた神様が私にあなたの助けになれと申し付けられたのです。」そう言うとカラスは身震いして、その黒い羽を一枚地べたに落としてまた言いました。「どうかこの羽を戸の前に貼り付けてください。私はカラスたちの長ですから、そうすれば私の仲間があなたを知り、いつでもあなたを助けに来るでしょう。」

 男はカラスが話した通り、羽を戸に貼り付けました。次の朝男が目を覚まして外に出ると、なんということでしょう、戸の前にちょうど一日分の薪が積まれていました。男はカラスが仲間に自分のことを話したのだと思いました。そして、心の底からカラスに、そして神様に感謝しました。

 しばらく経ったある日のこと。男は外から争うような音と悲鳴が聞こえて、家から飛び出しました。あの悪童たちとその親がカラスに襲われていたのです。男が止めに入ると、カラスたちはすぐに屋根の上へ飛びました。男がどういうわけか話を聞くと、大人たちは子供からここであったことを聴き、様子を見に行ってみると、あばら家の周りに大勢のカラスが飛び回っているではありませんか。それを見て大人たちは男が死に、その屍肉をカラスがついばみに来たのだと思い追い払おうとしたのでした。

 男はカラスの長を呼び、この人たちは自分の死体が辱めを受けないようしていただけだと伝えました。カラスの長はまた身震いし、今度は羽をいっぱい落として言いました。「彼らにもこの羽を戸の前に貼るよう伝えてください。私達が里をお守りしましょう。」

 そうしてこの里では、皆が戸の前にカラスの羽を貼るようになりました。何度も何度も戦がありましたが、その度にカラスたちは里を守りました。そこからこの里は「烏羽村」と呼ばれるようになり、それがなまって今は「粕羽」と呼ばれています。

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