第3話私はあなたの妹なんですか?

「カリン、夢みたいな人があなたを訪ねてきているんだけど!」


 私の育ての母であるミレイアが、赤毛の髪を振り乱しながらやってくる。

 彼女が私を拾ってくれて、私が自分と同じ境遇の子たちを連れてきてこの孤児院ができた。

 ここにいる子たちは皆、私にとっては家族だ。


 忘れもしない、アリアドネが私を訪ねてきたのは空が赤く染まる夕暮れ時だった。


「カリン、誰が来たのかな? 有名人?」

「アリアドネ・シャリレーンよね。私の姉だって言って来たんでしょ」

 みんなが私に興味津々な顔で尋ねる。


 私はミレイアの灰色の瞳を見つめながら、自分の気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと言葉を発した。


 もし、今の状況が夢ではないのであれば私は姉に出会う直前まで時を戻せている。

(孤児院の子たちの事も、セルシオも助けられるわ)


「そ、そうよ。何でわかったの? 本当に腰を抜かすほど美しい方ね。国を傾かせる程の美女と聞いていたけれど、本当にその通りだったわ」


 ミレイアの言葉に、彼女とそっくりなはずの私が誰からも彼女の双子の妹と気がつかれなかった事実を省みる。


 アカギレだらけの手に、ボサボサの髪、手入れの行き届いてない肌。


「カリン! 待っていられなくて勝手に入って来ちゃったわ。私の愛する妹⋯⋯ずっと会いたかった」


 艶やかなピンクゴールドの髪の毛をたなびかせ、琥珀色の瞳を潤ませてアリアドネ・シャリレーンが部屋に入ってくるなり私に抱きついた。


 彼女から漂う甘い匂いに、ハチミツを求めるミツバチのようにひかれる。

 


 姉は一目で誰もが心を奪われる姉の美貌を持っていた。

 孤児院にいる子たちも皆彼女の美しさに息をのんでいる。

 過去に私も彼女の美しさに盲目になった1人だ。


「アリアドネ・シャリレーン様ですよね。私はあなたの妹なんですか?」

 自分への確認のような質問だ。


 彼女はこの時から、おそらく私を利用する事を企んでいた。

 血の繋がった実の妹に対して信じられないような卑劣な行為だ。


 「そうよ。信じられる? 双子はかつてシャリレーン教で忌み嫌われるものだったでしょ。国王だった父は双子を産んでしまった母の尊厳を守る為、あなたをカルパシーノ地方の路上に捨てるしかなかったの。私は血を分けたあなたのことをずっと心配していたのよ」


 姉の琥珀色の瞳からは、ハチミツのように甘そうな雫がこぼれ落ちる。

 私が男なら、彼女の涙をすくい取り舐めとっていただろう。


 そして、その見た目とは違うしょっぱさに頬を緩め彼女をより愛おしく感じていたに違いない。


 彼女の持つ『傾国の悪女』の異名は伊達ではない。


 その仕草や振る舞いから、洗練されているのが一目で分かる。

 彼女が口を開くと、皆、彼女の言葉に耳を傾けた。

 姉は人の心を捉える天才だった。


 初めて彼女が現れた時は喜びで興奮した。

 自分の身内という人が有名なアリアドネで、彼女に愛おしく思われているのが自分だということに幸福感を覚え浮き足立った。


「そうでしたか。それで、今回はどういったご用件で19年ぶりに私を訪ねたのでしょうか?」


 もう少し喜んだ演技をした方が良かったかもしれない。

 それでも姉の企みを知ってしまった後では彼女の振る舞いが嘘くさい演技に見えた。

 

「ただ、会いたかっただけよ。私、セルシオ・カルパシーノに嫁ぐ事になったの……元奴隷の野蛮な人⋯⋯不安で仕方ないわ。もしかしたら、殺されるかもしれない。そう思ったら生き別れた妹に会いに来たくなったのよ」


「セルシオ・カルパシーノは素晴らしい人格者です。元奴隷だからこそ、虐げられてきた人々も含めて皆が幸せに暮らせる国をつくろうとしています。アリアドネ様の事もきっと幸せにしてくれるでしょう」


 本当は、姉がセルシオと結婚するのは嫌だ。


 私がセルシオの側にいたい。


 姉は回帰前、言葉巧みに私が姉の身代わりになるように誘導した。


 元奴隷だとか、王族だとか何の意味もない。

 セルシオが人を変える力を持つ程の深い思いやりを持つ男だと私は知っている。

 彼の周りの人間は皆、彼を尊敬し愛し彼の志の為に何かしたいと思っていた。


 きっと、姉もセルシオの妻になったら幸せになれる。

 私は自分のセルシオを求める気持ちを閉じ込め、孤児院を守ることに集中することにした。


 この孤児院で生きる人も私にとっては大切な人だ。


「私と代わってよ。私、ずっと辛かったの。戦利品のように男にまわされてきたのよ。彼が好きなの。一緒になりたい」


 姉が突然隣にいた護衛騎士に寄り添った。


 回帰前は隣の騎士が好きだから、セルシオと一緒になりたくないと伝えるだけだった。


 そこで私は自分には好きな人もいないし、アリアドネの代わりに嫁入りすると伝えたのだ。

(戦利品のように男にまわされてきた……姉自身がそのことを言及するなんて……)


「嫌だ! 行かないでよ! カリンは僕と結婚するの!」


 急に後ろから私の足にしがみついて来た声はの主は孤児のマリオだ。

 彼の水色のふわふわした髪が膝裏をくすぐってくる。

 まだ7歳の彼は将来私と結婚したいと可愛いことをいつも言ってくれた。


「アリアドネ様、私にも愛おしい人たちがいるんです。このマリオも、ここにいる全ての人が私の守りたい家族です。セルシオ国王陛下とお幸せになってください」


 私は膝をつきマリオを抱きしめながら、アリアドネに伝えた。

 セルシオの名前を発するだけで、声が震えそうになる。


 きっと私はあれ程に愛せる人に出会えることは2度とない。


 それでも、彼と夫婦になれば姉が幸せになれると私には確信があった。


 譲りたくない彼の妻という立場があっても、私には孤児院の子たちを守る義務がある。


「私のことはアリアお姉様と呼んで。両親が亡くなった今、私とあなただけが唯一の血が繋がった家族なの」


 姉が私に自分のはめている指輪を渡そうとしてくる。


 母の形見だという盗聴魔法のかかったゴールデンベリルの指輪だ。

 私はその手をそっと制した。


「私を捨てた両親の記憶……私にはないんです。私にとってはミレイアが私の母であり、この孤児院にいる可愛い子たちが私の家族です」


 私の言葉にあからさまに姉は顔を歪めた。


「では、その見窄らしいご家族とお幸せに……」

 姉は聞こえるか聞こえないかのような声で囁くと、背を向けて去っていった。


「カリン! お姫様になれるチャンスを奪ってごめんね。でも、僕はできる限りの努力をしてカリンを幸せにするから!」


 マリオの水色の瞳には切なそうな私の顔が映っていた。


 私はセルシオも、孤児院も守りたかった。

 それならば、これが最善の選択だ。


 きっと、カルパシーノ王国にいれば遠くからセルシオを見る機会はある。

 その時に一瞬でも彼の瞳に私を映してくれたら、それだけで十分だ。


♢♢♢


「今日は僕がカリンと寝るんだ!」

「私がカリンと寝るのよ!」

 毎晩のように私の隣で寝る権利を争う子たちが愛おしい。


「今日はみんなで固まって寝よう!」

 私は孤児院の子たちを思いっきり抱きしめた。

 その温かさに集中して、セルシオの妻にもうなれない寂しさを紛らわしたかった。


コンコン!


 眠りについていると子供たちが咳をしているのに気がついて目が覚めた。

「煙?」

 目を開けるとあたりは煙が充満していて、窓の外は炎で真っ赤に染まっている。

「火事よ! みんな逃げて」

 口元を手で押さえながら、ミレイアが部屋に入って来た。

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