第2話どうやら昇天しちゃったみたいね。

  2週間ほど船に揺られて、パレーシア帝国の皇城に到着した。

 陸路では半年以上かかる道のりも海路だと2週間で到着する。


 移動中も私はセルシオの首を頑なに離さなかった。

 帝国に到着するなり取り上げられてしまったが、私は必ず笑顔のセルシオを取り戻す。


  この2週間、何度もルイス皇子が対話を申し込んできたが、無視を決め込んだ。

 私の夫を奪った男の話など聞く必要はない。

 彼は私にとって夫を取り戻す為の生贄でしかない。


 見たこともないような豪華絢爛な皇城の内部に入ると、皆が私に頭を下げてくる。パレーシア帝国は聖女信仰があついからだろう。


 到着するなり、浴室に連れて行かれメイドに体を洗われる。

 浴槽に浮いているの真っ赤なバラの花びらが、愛おしいセルシオの血しぶきに似ていた。


 メイドたちの会話から、私は今晩ルイス皇子に献上されることが分かった。


 しかし、ルイス皇子もここにいる周りの人間も私が何をしようとしているか知らない。


「すべてご準備が整いました。カリン様、こちらでルイス皇子殿下がいらっしゃるまでお待ちください」


 浴室から出されると、繊細なレースが美しいシュミーズドレスに着替えさせられた。


 寝室で待つように言われ、私は部屋の中を物色した。

 書くものが全く見つからず、私は思いっきり自分の右手の人差し指を噛み切る。

 指からうっすらと血が滴り、私はもっと血が欲しくて反対側の手の人差し指も噛んだ。


 ベッドの下に潜りこみ、両手を使い魔法陣をかいた。


「おい、何してるんだ? そんな所に隠れても白い足が見えてるぞ」


 突然足を引っ張られ、ベッドの下から引き摺り出される。寝間着姿で微笑んでいるルイス皇子と目が合った。

 

「初めてだから怖いんだろう。アリアドネより僕を喜ばせてみろ。そうしたらお前を僕の隣に置いてやる」


 楽しそうに笑いながら口づけされそうになるが、目線の先にいたセルシオを見て思わず手で口元を押さえた。


「お前の大好きな夫の首を持って来てやった。明日には城門にかけられカラスの餌になるからな」


 ルイス皇子はかなり悪趣味な男のようだ。

 そして、今、私の中で彼を生贄にする罪悪感が消滅した。


 私が純潔だということは、私自身しか知らない。

 それなのに、なぜルイス皇子は知っているのだろう。

 私はそっと肌身離さず身につけている指輪に触れた。


 これは、姉が母と別れる時に渡された形見の品だと聞いていた。

 姉と私と同じ琥珀色をしていたという私の産みの母の瞳。


 その瞳と似た色の宝石であったゴールデンベリルの指輪だ。


 「おっと、指輪を外すなよ。アリアドネにもお前が、どんな声で鳴いて俺を楽しませたのか聞かせてやれ」


 ルイス皇子の言葉に私は全てを察した。


 この指輪には盗聴魔法がかけられていたのだ。

 それゆえにカルパシーノ王国での城内の会話は筒抜けだったに違いない。

(隠し通路の位置が露見していたのも私のせいだわ)


 ルイス皇子が床に座り込む私をお姫様抱っこして、寝台に横たわらせた。

(位置はばっちりだわ)


 彼が私に覆いかぶさって来て、深い口づけをしてくる。

 彼は自分を捕食者だと思っているのだろう。


 だから、私から捕らわれるとは全く想像できていない。

 私は彼の髪を撫で口づけに没頭するふりをしながら、彼の腹を突き気絶させた。


「ウッ!」

 その場にうつ伏せに倒れるルイス皇子を見つめる。

 彼は帝国の皇子で火の魔力を持っていることで有名だ。


 カルパシーノ王国の城に火をつけたのも彼の魔力だろう。


 魔力により発せられた炎は対象物を燃やし尽くすまで、なかなか消えてくれない。あの日の炎は必死に水を掛けても勢いを増すばかりの魔力の込められた炎だった。


 しかしながら、魔力のある高貴な血筋の彼は生贄にはちょうど良い。

 

 もう1人生贄が必要だ。


 彼女をこちらに呼び寄せなければならない。


「殿下! 失礼します! 大きな音がなさいましたが何かございましたか?」


 どうやら扉の外の護衛騎士に感づかれたようだ。

 今、彼らに部屋に入って来られては困る。


「あー! もう殿下、すごい激しいです! 私、壊れちゃう!」


 私はとにかく甘ったるい声をあげながら、ベッドを思いっきりギシギシ音がする程強く揺らしてみた。


 これはメイドのマリナが貸してくれた『メイド、絶倫皇子に夜伽を命じられる』という小説のセリフだ。


 セルシオを想い身につけた教養が、今、役に立っている。


 上手くごまかせたのか、扉の外の騎士が沈黙する。

 

 ふと、セルシオの首が目に入り、私は気持ちを強くした。


 私は彼の為なら何でもできる。

 彼を想うだけで、無敵の女になれるのだ。

(もう1人の生贄をお呼びしなくちゃね)


「アリアお姉様、すぐにいらした方が宜しいわよ。殿下はすっかり私に夢中みたい。お姉様の計画的に大丈夫か、妹として心配なの……」


 私はそっと指輪に囁いた。

 パレーシア帝国と通じていた姉は、今、城内に滞在している可能性が高い。

 

 この城の人間は私の入浴の手伝いをしたメイドまで、私の正体を知っていた。

 姉が帝国と組んで何をするつもりなのかなど今は興味も湧かない。

 私は、ただ世界一愛おしいセルシオを取り戻すだけだ。


「アリアドネ様、困ります。今、ルイス皇子殿下はご就寝中でして……」

 しばらくすると、扉の外で揉める声が聞こえた。

 騎士たちは、私とルイス皇子が真っ最中だと思っているのだろう。


 私はそっと扉を小さく開けて少し俯きながら囁いた。


「殿下が3人で楽しみたいとおっしゃっておりまして、アリアお姉様をお呼びしたのです」

 私の言葉に顔を赤くした騎士は絶句して、姉を部屋の中に通した。


「何? 旦那の首なんか持ち込んで4人で楽しもうって訳?」


 姉は私の前で上品で優しいフリをしていたのだろう。

 しかし、今はセルシオの首を見下しクスクス笑っていて冷たさを隠していない。


「アリアお姉様、なぜ私をカルパシーノ王国に嫁がせたのですか? 一緒になりたい護衛騎士がいた話は嘘ですよね」


「ふふっ、なんで王女の私が護衛騎士なんかと一緒になるのよ。元奴隷のセルシオ・カルパシーノの妻なんて嫌に決まってるでしょ。だから、あんたに押し付けたのよ」


 姉は妖艶に笑いながら寝台に近づき、天蓋についた薄い布をめくった。


 姉の3度の結婚の扱いは酷いものだった。

 彼女は戦利品として、情婦同然に側室として迎えられ続けた。


 セルシオ率いるカルパシーノ王国が姉が嫁入りしたエウレパ王国に勝利した際に、セルシオは彼女に正妃として迎えると伝えた。


 それは、セルシオが姉の境遇に同情していたからだろう。


「えっ? ルイス、気を失ってるの?」


 寝台のルイス皇子を仰向けにさせながら、姉は驚きの声をあげた。


「そうよ! どうやら昇天しちゃったみたいね」

 私はすかさず姉の体をベッドの上に思いっきり叩きつける。


 うまく気絶させるツボをつけなかったのか、姉は咳き込みながら私を見上げた。

「野蛮な女ね! さすが捨てられた孤児だわ。元奴隷とお似合い!」


 私にとっては最高の褒め言葉だ。

 私は、セルシオ・カルパシーノの妻であることを何より誇りに思っている。

 彼が教えてくれた体術も、今、私が目的を達する為に役に立っている。


 私はセルシオを見た。


 彼はそっと目をつぶっている。


 私はまた彼の美しいルビーのような瞳に、自分の姿を映してくれる事を願いながら時を戻す呪文を唱えた。


 ベッドの上で死なない程度に、声を出せないよう姉の胸を圧迫する。


「レンラタイナーセンテラテンド、ライラッテクイナー……」

 私の唱える言葉の意味が理解できているのか、姉が必死にもがき出した。

 

 古い魔術書にあった時を戻す呪文。


 私は1度読んだものを覚えるのが得意だ。

 その能力をセルシオに褒められたのが嬉しくて、手に入る書物を全て読み尽くした。

 この魔術が本当に発動するかなんて分からない。


 しかし、その本にはこの世界は聖女が時を戻して成り立っている有限な世界だとあった。


 生贄に魔力を持って生まれた高貴な人間と、神聖力を持つ聖女が必要だ。


 私には、私に卑劣な真似をしようとたルイス皇子が高貴な人間とは思えない。

(帝国の皇子ということで要件が満たせるといいけど⋯⋯)

 

 セルシオが取り戻せる可能性が少しでもあるのなら、私は何だってできる。

 私は彼を取り戻す為に一か八かの賭けに出た。

 

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