第14話

「い、イリス…」




 マズイ、と思った時にはもう遅い。失敗しても時間の巻き戻しは出来ない。


 こんな事なら、さっさとイリスに今の俺の…ロイド君の状態の説明をちゃんとしておくべきだったと津波のように後悔が押し寄せてくる。




「どう、言う事…? 貴方はロイドじゃないの…?」




 一瞬の躊躇。「そうだ」と口にするのは簡単だ。でも、どう説明する? 俺自身の事、今のロイド君がどうなっているのか、どうすればこの状態を終わらせられるか。そんな事が頭の中を駆け巡った結果の躊躇だった。


 だが、その一瞬をイリスは肯定と受け取った。




「誰? 貴方は誰なの!? ロイドは…本当のロイドはどこに居るのっ!?」


「違う! イリス、話を聞い―――」


「やめてッ!!」




 今まで聞いた事がない、イリスの叫ぶような声。


 まるで魔物を見るような怯えた目、その奥で微かに俺に向けられた憤怒の炎。胸の奥の方で何か言葉に出来ないものがザワザワしている。


 ゆっくりと後退りで俺から離れようとするイリス。




「やめてよ! ロイドの声で、ロイドの顔で私を呼ばないでっ!!」




 胸の中のザワザワが大きくなる。これは悲しんでる、のか? 確かに俺自身に悲しい気持ちは有る。けど、なんだろう? この変な感じ。




「返してよ……! ロイドを返してよっ!!」




 叩き付けられる言葉の一つ一つが、重く鋭い刃となって俺の心を容赦なく貫く。


 自業自得とは言え…心が痛くて痛くてたまらない。


 肉体の痛みは元の世界でも色々味わってきたけど、心の痛みを味わう事なんて数えるくらいしか記憶にない。




「ちょっ、2人とも落ち着いて下さい!」




 見かねて明弘さんが俺達の間に立って仲裁に入る。


 情けない話だが、自力でイリスを落ち着かせて話を聞いてもらう術を見失っていたからありがたい。




「イリスさん、とにかく1度冷静になって」


「いや!」




 癇癪を起こした子供のように頭を振って、聞こえる言葉全てを否定するイリス。




「聞きたくないっ!! 何も聞きたくない!!」




 瞳を涙で濡らしながら踵を返して、どこかへ走って行くイリス。


 言うべき言葉も見つからないまま、追い掛けようと足を踏み出そうとした途端、一瞬振り向いたイリスの目が何かを言いたげに俺を見て、出しかけた足が石にでもなったように止まる。


 何かを伝えようとした視線は、結局俺に何も言わずに、痛みを堪えるようなイリスの表情とともに路地の曲がり角に消えた。




「……りょ、良太君…?」


「ああああーーーっ!! くっそっ!! 俺のくっそアホッ!!!」




 思わず無意識に頭を掻き毟る。


 体が他人の物でなければ、ここが人の目の無い場所だったら、そこらの壁や地面に全力で頭をぶつけていたかもしれない。


 それくらい今の自分にイラついて、ムカついた。


 くっそ…! マジでバカ過ぎるだろ俺!! 人様の体使ってるから、出来るだけ関係にヒビ入れないようにって…ヒビ入れるどころか、全力でハンマー振りかぶってぶち壊してんじゃねえかよっ!!




「えーっと…状況が良く分からないんですけど、訊いても大丈夫ですか?」


「………!」




 熱くなった思考の渦に呑まれていた俺を、明弘さんの静かで穏やかな声がニュートラルな状態に戻してくれる。


 …落ち付け俺! 後悔はイリスにちゃんと謝った後だ。ああ、ロイド君にもだな。ゴメンねロイド君、イリスの事また泣かせちまったよ…。




「イリス探しながらで良いですか? 門は封鎖されてるから、街中に居ると思うんで」


「ええ良いですよ。どうせ僕も街中の見回りの最中でしたから丁度いいです」




 走って探せばすぐに見つかるかもしれないが、それだと話聞いてもらえるか分からんし。時間置く意味でも歩いて探すか。


 とは言っても、この街の状況が状況だ。いつまた騒ぎが起こるか分からない以上、イリスを1人にしとくのは危険過ぎる。急いで探すけど急ぎ過ぎない…みたいな。


 自分で言っといて難しい注文だな…。




「それで、さっきの会話はどういう? イリスさんが良太君を本物のロイド君と勘違いしていた、と勝手に判断していましたけど。あってますか?」


「いや、俺がロイド君なのは勘違いじゃないんです……半分は」


「半分?」


「えーと…俺、っていうか、今明弘さんの前にいるこの体は、俺…阿久津良太の体じゃなくて、コッチの世界のロイド君の体なんです」


「ん? え? うん? どう言う事? 体と中身が別々の人間って事?」


「はい。そう言う事です」


「……え? 本当に? からかってるんじゃなくて?」


「ええ、からかってるんじゃなくて」


「…………信じられない…」




 そりゃ、普通はこんな話、信じられないよなあ…。当の本人である俺自身だって、未だに夢じゃないかとたまに思うくらいだし。




「本当ですよ。元の世界で事故に遭って死んじまって、気付いたら異世界の別人の体の中って、説明するのがバカバカしくなるくらい現実離れした話ですけど。んで、コッチの世界で会ったイリスには仕方なく記憶喪失って嘘ついて……」




 改めて人に説明してみると本当に意味不明な状態だな、今の俺。思わず真面目に説明した自分の事を鼻で笑ってしまうわ。




「死んでるって…。え? それ、俗に言う異世界転生…とはちょっと違うのかな?」


「そッスね。名称付けるなら、異世界取り憑きとか、異世界乗り移りとか、そんな感じじゃないッスか」


「……にしても、こう言ってはアレだけれども。良太君は、あまり幽霊的な感じがしないんだね…。あっ! 気を悪くしたらゴメンなさい!」


「いや、別にそれは良いですけど。俺自身、こうして他人の体とは言え、普通に生活してると自分が死んでるって実感が沸かないんで、多分そのせいかな?」


「でも、話と聞いて納得できました。日本人なのに外見が外人さんなのは変だなって、ずっと思ってたんですよ。それに、イリスさんの事もちゃんと話せば分かってくれますよ、きっと!」




 俺の目を真っ直ぐ見ながら微塵の迷いも見せずに言う。


 こう力強く言われると、何もかんも上手くいくような気がするんだよなあ。こういうところも勇者としての力の1つなのかね?




「ありがとうございます。つっても、根本的にこの体をロイド君に返す方法がないんで…」


「んー、そうですね。では、僕から1つ提案なんですが、この騒ぎが終わったら一緒に旅に出ませんか?」




 予想外の提案に、思考が白くなる。


 急いで頭を再起動させて、今言われた言葉を反芻する。




「え? 旅ですか?」


「そう、旅です! 良太君の体と精神を分離させる方法が見つかるかもしれませんし。それに死者を蘇生させる方法とかも」




 言われて始めてそれに思い至る。


 そうか! アッチの世界じゃ死んだらそこで終わりだけど、魔法だのスキルだのアッチにはない不思議な力の存在するコッチの世界でなら、俺の体が生き返る方法だってあるかもしれないじゃねえかっ!!


 アホか俺は!? なんで、こんな簡単な事に気付かなかったんだよ!!


 目の前にパアーッと光が差し込んだような錯覚。今まで暗く見えていた異世界だったが、途端に希望溢れる色鮮やかな世界に思えた。




「はいっ! 是非行きましょう!!」




 イリスも、ロイド君に体返す方法探しに行くと言えば反対しないだろうし、問題ないだろう。


 そうとなれば、イリスを探して何とか話を聞いて貰わないとな! うん!




「いやー賛同してもらえて良かった! 魔道皇帝の件が片付いたら、1人で旅に出るつもりだったんですけど、やっぱり知らない世界で1人は不安だったんですよ」


「って言うか、良いんですか? 戦いの後の話って死亡フラグの筆頭ですよ?」


「えぅ…、そういう不吉な話は止めて下さい…」




 ドンヨリした目をした明弘さんと目が合い、同時に「プッ」と吹き出してしまった。


 周りの目があるから流石に笑い転げるところまではいかなかったが、暫く男2人が道の真ん中で肩を震わせて笑うのを我慢すると言う馬鹿な光景を披露してしまった。




「ハァ…落ち着きました。ともかく、さっさと魔道皇帝と決着を―――」


「(ボソ)死亡フラグ」


「プッ! クク…ちょっ、やめ、今、つぼに、入っ、ククク」




 笑いのド壺に嵌った勇者を尻目に、俺は「あ、私他人ですよ」という澄まし顔で歩く。


 その横で笑いを必死に堪えながら明弘さんが恨めしそうな目を向けて来たが、俺は華麗にスルーした。




「ゼェゼェ…危ない危ない…ルディエの人達が悲しんでいるのに、勇者の僕が笑い転げてるわけには行きませんからね」


「で、話の続きなんですけど」


「……良太君、シレッと話再開しようとしてるけど、一発引っ叩いて良いかい?」


「借り物の体なんで遠慮しときます」


「…君、本当に良い性格してるな……。まあ良いや、それで?」


「明弘さん、1人で旅に出るつもりだったって、やっぱり目的は……」


「はい、元の世界に戻る方法を探す為です。アッチの世界に残して来たモノがいっぱいあるので、早いとこ戻らないと。あっ、そうだ! 仕事の途中でコッチに召喚されたから、社長に頭下げないと」


「え? もしかして仕事の途中って、トラックの運転中って事ですか? 無茶苦茶危ないじゃないですか?」


「そうだね。昼間の甲州街道だし、交通量考えれば相当危ないよなあ…。大きな事故起こしてないと良いんだけど…」




 ……あれ? 甲州街道?


 知ってる場所だ。毎日学校の帰り道に通っている。


 明弘さんが、召喚される前に居た場所は八王子の甲州街道。




――― 嫌な予感がした。




「……明弘さん。明弘さんがコッチの世界に来たのって何日前でしたっけ?」


「11日前ですけど?」




 俺達がルディエに着いたのが8日目。穴の底へ2日経過して、脱出したのが昨日。


 俺がコッチに来たのも11日前。


 手が震えた。


 今、自分の目の前にあるかもしれない事実が恐ろしくて、震えが止まらない。




「もう1つ聞いて良いですか…?」




 やめろ、訊くな!?


 理性が叫ぶ。これ以上を訊いたら、知りたくもない事実が俺に突き付けられるかもしれない。


 1度確かめてしまえば、もう後戻りはできない。残酷で無慈悲な真実は俺を決して逃がしてはくれないだろう。その真実で、どれ程の痛みと苦しみを味わうのだとしても。


 けど、訊かないなんて選択肢はないだろう。


 これは、俺の―――阿久津良太の死に関わる話なんだから!




「明弘さんがコッチに来た正確な時間って分かりますか?」


「ん? 何だい急に? えーと、確か最後に時計を見たのが34分だったから、15時36分あたりじゃないかな?」




 俺が事故にあった時間は覚えてる。


 今でもあの時のスマフォの表示を鮮明に思い出せる。


 15:36


 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


 やめろ、これ以上聞きたくない!


 笑っておどけて「何でもない」って言って、この話を終わりにしろ!




「場所…甲州街道のどの辺りを走ってましたか…?」


「さっきから一体何を…?」


「答えて下さい…!」


「あ、はい。ええと、秋川街道の近くで何とかってラーメン屋が見えたけど…なんだったかな?」


「来陽軒…」


「ああ、そうですそうです。その近くです」




 知ってるよ。事故の直前にカグと、そこの味噌が美味いって話をしてたから。


 ああ、なんだコレ……確定じゃねえかよ…!?


 手の震えは止まった。代わりに体を支配したのは、自分でもおかしいと感じる程の怒り。


 ドロドロとした溶岩のような熱の塊が、心の奥の方から頭に向かって昇ってこようと体の中で蠢いている。




「……コッチに来る前の話、詳しく教えてもらえませんか?」


「…? 詳しくと言っても、運転していたら妙な声が聞こえて、おやっと思った時には意識がフッとなくなって、気付いたらコッチの世界に来ていたってくらいの説明しかできないですけど」


「乗っていたトラックがどうなったか知ってますか…?」


「いえ。確かめる術もないので」




 理性がこれから口に出そうとした言葉を押し留めようとする。


 ああ、くそ、分かってる、分かってるよ!! この人が悪いんじゃない!! そんな事は頭じゃ理解できる。


 だけど! 理解したって、納得出来ねえんだよっ!?




「俺ですよ…!」


「は?」


「テメエの乗ってたトラックに、俺は轢かれて死んだんだよっ!!!」




 明弘さんの表情が凍る。


 もっとも恐れていたモノが目の前に現れた。そういう顔だ。




 その時、辺りに轟音が響き渡り、街を取り囲むように真っ黒な光が天へ伸びる。




「敵襲うううーーーーッ!!!」




 誰かの叫びに似た声が街中に木霊して、王都ルディエは戦場となった――――。








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