第4話

 とりあえず、先に結論だけを言っておく。


 ここは異世界でした。


 いや、何言ってんだコイツ的な白い眼は止めて欲しい。俺も自分が頭おかしいんじゃないかと何度も疑ってみたのだが、どうやら脳みそは平常運転しているらしい。


 まあ、その脳みそも借り物なんですけどね。


 ともかく、異世界だって事は間違いないっぽい。確信ではないけど9割9分異世界だと思っている。


 根拠は簡単、魔法があるからだ。


 この世界には魔法が文化の一つとして形になっているらしく、村人全員が魔法を使えるらしい。


 もっとも、使えるのは大抵ランプに火を点ける程度の小さなもので、敵を焼くとか凍らすとか、そんな事が出来るのはこの村では村長だけのようだ。


 そう言えば、初めて会った時に村長が森の見回りは自分が一番安全、とかなんとか言ってた気がするけど、あれは何かあっても自分なら対処できるって意味だったのね。






*  *  *






 俺がこの村―――世界に来てから1週間が過ぎた。


 体と状況はまったく変わらず、変化した事と言えばはイリスへのさん付が取れたくらいだ。


 俺…と言うよりロイドの身の回りの話をしておくと、まず両親は小さい頃に病で死んでしまっているらしい。家族は姉が1人だけ。その姉も大きな街に働きに出ていて村に帰ってくるのは年に1、2回程度なので実質1人暮らし。


 姉の仕送りと村人の協力でなんとか暮らしていたらしい。


 村人の中でも特に世話を焼いてくれているのが、幼馴染のイリスとその両親で、この1週間の食事もほとんど…と言うか全部世話になりました、本当にありがとうございます。




「うー、今日も無駄に良い天気だなー」




 体を伸ばしながら呟く。


 こっちの世界に来てから生活がえらい規則正しい。陽が昇ると皆起きだし、陽が沈めばさっさと寝る。


 まあ、電気が無いなら電灯もないわけで、夜は本当に真っ暗闇。そら皆さっさと寝るわ。


 そして朝起きれば、畑仕事したり、水汲みに小川まで行ったり、野草取りに行ったり、村の若い衆に連れられて森に入って木の実やキノコ探したり狩りしたり。


 あー、そういや初めて兎っぽい動物を解体するのを目の前で見せられた時は本当に吐いてしまったわ。毎日似たような光景を見たせいで今でこそ大分慣れたが、未だに自分でやろうとは思えない。いや、まあ食卓に並ぶ肉がこうやって調達されてるのは向こうの世界でも知ってたけど、目の前で見せられると色々ショッキングである。


 まあ、とにかくそんな感じで自給自足な生活を送っている。


 テレビやネットが無いのが物足りないと言えば物足りないが、それは別に退屈って事ではない。と言うか、退屈を感じる暇なんて無いくらい毎日が忙しい。


 元の世界での田舎暮らしってこんな感じなんだろうなあ。まあ、電化製品やネットがあるだけ楽だろうけど。




「ロイド、水汲みに行こ」


「おお」




 イリスに声をかけられて普通に返事をする。いい加減ロイドって呼ばれるのも馴れてきたな。それが良いのか悪いのかは別として。


 イリスの方も俺の記憶が無い状態に馴れてきたのか、暗い顔をする事は1週間前に比べればあまりなくなった。それでもたまに泣く事はあるけど。




「今日はいくつにする?」


「4つ」


「また途中で零すんじゃないの?」


「行けますし、余裕ですし」




 何の話かって言うと、手に持つ桶の話。


 この村には水道なんて上等なものはもちろん無いし、更には井戸も無い。水を確保するには20分歩いて小川に水を汲みに行くしかない。


 もうちょっと水場の近くに村作るなり、井戸掘るなりしろよと文句を言いたいが、どちらにせよ大仕事であり、そんな労働力どっから引っ張ってくんのよって話。


 そんな訳で今日も今日とて元気に水汲みのお仕事をするのですよ俺らは。


 最初は余裕ぶっこいて桶4つ持って、帰りに水の重さに絶望したもんだわ。それからは大きな桶2つに小さいの1つでなんとか頑張っていたが、そろそろ根性みせよう。


 別人の体に入っていても男だからな。


 いや、違うな。別人の…ロイドの体に入っているからこそ、イリスの前で少しは頑張って見せないとな。


 勝手に、とは言え借り手には借り手の意地ってもんがある。




「じゃあ頑張ってよ、はい」


「おう」




 手渡された木の桶を受け取る。紐で吊るされた桶はさほど重くないが、これに水を入れると涙が出そうなぐらい重くなる。しかもそれを20分持って歩くとかね、もう、絶望で目の前が真っ暗になってしまう。


 マジ現代の水道万歳! 水道局に足向けて寝られねえわ。まあ、もう関係無いんですけどね。




「ねえロイド? ……ごめんやっぱり何でもない」




 川に向かって歩き出して10分程過ぎた頃、イリスが歯切れ悪く聞いてくる。


 言わなくてもその暗い表情で分かる。続けようとした言葉は「何か思い出した?」だ。でも、俺を焦らせないように葛藤した結果、言葉は呑み込んだんだろうな…。




「そう言えば、イリスは魔法が得意なんだっけ?」




 話題逸らしにしても露骨だったかな。




「得意って程じゃないよ。村の中では得意な方ってだけで、大きな街に行ったら私くらいの魔法使いはむしろ下手な部類だもの」


「そうなんだ? 魔法使えない俺からすれば、使えるだけでも羨ましいけど」




 魔法を使うためのイロハは一応常識の一つとして教えて貰ったが、全くチッとも理解できなかった。


 この世界の空気中には魔素とやらが混じっていて、人間はそれを呼吸するように体内に取り込んで自身の魔力へと変換する。


 この魔力ってのがゲームで言うMPで、これを体外へ出すことで物理現象を捻じ曲げた事象を起こす事が出来る…らしい。うん、全然分かんねえや。




「記憶無くても、そこだけはロイドのままだね……」


「え?」




 呟きがイリスの口から洩れる。多分俺に聞かせるつもりはなかったんだろう。




「あっ! ゴメン…記憶無いの責めてるみたいだね」


「いや、それは良いけど」




 俺は責められても仕方ないしな。




「記憶失う前のままってのは?」


「ああ、うん。記憶無くす前のロイドも全然魔法使えなかったの。普通の人が最低限使えるような簡単なのも全くね。『ここまで素養が無いのは逆に珍しい』って、トバル様が言うくらいだからね」


「何だ、俺が魔法使えないのは元からだったんかい」




 文句を言いたくないが…っつうか、言える立場じゃないけど、こんな異世界の人間の体に入るなら魔法使える体が良かったよ。


 魔法憧れてたんだよなー。使えるもんなら使ってみたかったよ…魔法。まあ、コレから頑張れば使えるようになる可能性もあるか。


 うん、小さな目標が出来た。




「魔法使えるようになりたいんだ?」


「そりゃ、まあ使えるんなら使いたいな」


「そこは前とは違うんだ? 前は『魔法が無い世界を探しに行くから良い』なんて言ってたのに」




 冗談に聞こえないよ。こちとら、その魔法無い世界から来てんだよ。


 まさかとは思うが、そのせいでこの体に入ったんじゃないだろうな?




「止まって!」


「!?」




 突然イリスが鋭い声を出し、それに従ってビクッとしながらもその場で停止する。




「何?」


「あそこ、森の茂みに魔物がいる…」




 イリスが緊張したように言うと、体を低くするように手で俺に合図する。


 指示通りに屈みながらイリスの視線の先を見ると、デカイ猪のような物体が森の茂みからノッシノッシと出て来た。


 全身に黒いモヤを纏って、ヤバい気配しかしない。と言うか実際ヤバい。コッチを見つけたら間違いなく殺しに来る。


 何故か?


 モンスターだからです。


 そう、この世界には魔法だけではなく、人間や動物を襲う魔物が存在する。


 普通の動物との見分け方は簡単、あのように全身に黒いモヤを纏っているヤバげなのが魔物で、それ以外が普通の動物です。




「見つからないように逃げるよ」


「分かった」




 こうして遭遇するのも何度目か忘れるくらい魔物とエンカウントしているので、俺も馴れたものである。


 1度、森の中で狼型の魔物に追いかけれた時は、本気で2度目の死を覚悟するくらいトラウマになりかけたけどな。




「森に近寄らないようにグルッと迂回して村まで戻るから」




 了解の返事をしようとした瞬間、背中をゾワリとした気配が襲う。


 ここは平原で、隠れるような場所は無く、身を屈めた程度で視界から消える訳はなく。当然のように黒いモヤを纏った猪らしき物が俺達2人をロックオンして突っ込んできた。


 


「走って!」


「言われんでも!」




 せっせと歩いて来た道のりをダッシュで引き返す。鬼のようなスピードで…いや、鬼がそこまで足早いかどうかは別として。




「ヤバいっ! 追って来てる! 追って来てるって!」


「魔物なんだから当たり前でしょ!」




 背後に迫るドスンドスンと重量感のある足音。


 超こええええええっ!!!


 慣れたとか調子こきました! マジスンマセン!! やっぱ怖いっス!!


 人外の速度というのは恐ろしいもので、獲物を狙って走ると本当にビビるくらいに早い。


 実際、今現在俺達が走り始めて1分もしないうちに追いつかれた。


 このままじゃ2人揃ってあの魔物の轢き逃げアタックの餌食だ。人生で2度轢き殺されるとか冗談じゃねえけど…。


 俺はまだ少し体力に余裕があるけど、隣を走るイリスの息が上がっている。


 体格はロイドと同じくらいだけど、コッチは男だからな、筋肉量も体力も一応上だ。それにイリスは走り辛いスカートだし。


 2人とも逃げるってのは、流石に高望みか。


 ああ、クソ! 怖ぇなあ、怖えけど、さ!


 踏み出した足を滑らせてブレーキをかけて、振り向き様に右手に持っていた木桶を投げる。




「ロイド!?」


「そのまま走れっ!」




 木桶の一つが黒い猪の眉間辺りにヒットするがスピードは緩まず俺に向かって突っ込んでくる。


 クソ、震えるな! ビビってたらそれこそ生き残れる可能性が減るぞ!


 距離が3mまで迫ったところで、左手に持っていた木桶を猪の頭に被せる様に投げる。


 どうせコレくらいじゃダメージにはならない。が、それで良い、一瞬視界が桶に封じられて俺を見失う。


 その間に死に物狂いで横に飛び退いてかわす。




「あっぶな…」




 まずは成功、必要以上に体が硬直しないのは、立ち止まっている事のヤバさをアッチの世界で経験したおかげかな? だとしたら、あのトラック事故も無駄じゃなかった。


 黒い猪は、タックルを避けた俺にもう一度アタックを仕掛けようと方向転換して、すでにダッシュを始めている。


 やっぱ、スンナリと逃がしちゃくれませんよねえ。


 どうする? あのスピード、次は避けられるかな? コッチはもう完全に丸腰、かと言って魔法も使えない。


 考えろ、人様の体を勝手に借りてるんだ。そう簡単に命を手放す訳にゃいかねえよ!


 えーとえーと、このタックルを避けても延々繰り返されるだけだ。


 だったらあのダッシュを封じるには? 障害物…木、あ、そうか森! 平原じゃ好きに走れ過ぎて、コッチに不利過ぎる。森の中なら走れるスペースは限られる。


 ただし、他の魔物にエンカウントするリスクがある。あの狼型に遭ったら詰みだな。


 ま、リスクが有ろうが、それ以外に選べる道は無いんですけどね!


 ありったけの力を込めて森に向かって走る。


 この体の限界ギリギリのところまで力を出している、と太鼓判を押せる力走。


 が、世の中はどうにも無慈悲なもので、どんなに頑張って力を振り絞ろうと無駄な事がある。そう、今の魔物から逃げると言う状況がそれ。


 俺の全力の疾走なんて、黒い猪の前には所詮人間の出せるスピードでしかなく、簡単に追いつかれる。


 あのデカイ図体が当たったら絶対痛いじゃ済まないよなあ。骨折くらいで済めば恩の字。けど、その後はどうする? ダメージ抱えたまま逃げる事が出来るか?


 クソったれが、諦めてたまるかっつーの! 出来るかどうかじゃねえ、やるんだ!




「伏せてっ!」




 森の中から聞こえた声。


 倒れる俺。別に声に従った訳ではなく、単に突然思わぬ方向から声がかかった事に驚いて足がもつれただけだ。


 森の奥の方でチカッと何かが光ったと思った次の瞬間には、俺の頭上を何かが通り過ぎて猪の頭に刺さる。矢だった。


 猪が苦しそうな鳴き声を出して倒れ、スピードを殺せずに地面を転がる。




「アルト! まだ息がある!」


「分かってる! レイア、そこのチビッ子護れ!」




 森の中から駆けて来た男女のコンビ。


 男は起き上がろうとしている猪に向かって剣を抜きながら突っ込んで行き、女の方は倒れている俺の手を引いて起き上がらせ、自分の後ろに庇いながら猪との距離をとりつつ油断無く弓を構えている。




「これで、トドメだッ!」




 なんとか立ち上がった猪の首と地面の間に刃を滑り込ませ、一気に首を跳ね上げる。


 肉の裂ける音と共に首が宙を舞い、空中で黒いモヤの塊となって刺さっていた矢だけを残して四散した。同時に地面に残った胴体も同様に消え、地面に小さな黒い石が落ちる。




「た、助かった…?」


「うん、もう大丈夫だよ坊や」




 女の方が番えていた矢を矢筒にしまいながら笑って言う。


 脱力。あー、マジで死ぬかと思った…。


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