Episode 03
夫の名はルシ、妻の名はアマリアといった。
ルシは1年ほど前に体調を崩して以来ずっと床に伏せており、そのまま体調が回復することなく先月の暮れに亡くなった。
ルシはココルに水とチョコをくれた、あの宿屋の女将の息子だった。
「実はルシさんのお母様からルシさん宛てに手紙を預かっていたのですが・・・。大変申し訳ございませんが規則ですので、ルシさん宛ての手紙はこちらで破棄させていただきます」
いかなる理由があろうと、届け先の相手以外に手紙の内容を伝えることは禁止されていた。
たとえそれが、心の底から夫を愛していた妻であっても。
ルシの母親からルシに宛てて書かれた手紙は、誰にも読まれることなくココルの記憶の中にだけ残ることになる。
「大変申し訳ございません」
「どうしてココルさんが謝るんですか、むしろ謝らなきゃいけないのは私の方です。本来ならすぐにでもルシが亡くなったことを彼のご両親に伝えなきゃいけないのに、それすら出来ていないんですから」
アマリアはそう言うが、彼女のような華奢な女性が一人であの宿屋まで行くことは容易ではないだろう。
それに彼女は数軒離れた家に住む自分の両親の世話や、ルシと一緒に耕していた畑の世話も全て一人でやっていた。
「ココルさん、一つお願い事を頼まれてもらえないでしょうか?ルシのお母さんに手紙を出したいんです」
アマリアからルシの母親に宛てて読まれた手紙を、ココルはしっかりと記憶した。
「たしかに承りました。必ずルシさんのお母様に届けます」
アマリアは「よろしくお願いします」と言い、ココルに頭を下げた。
すると、誰かが家のドアを叩く音が聞こえた。
アマリアがドアを開けると、ドアの前には村の少年と彼の父親が立っていた。
「突然お伺いしてすいません、うちの息子が運び屋さんにどうしても話したいことがあると言ってきかなくて」
父親がココルとアマリアに向かって何度も頭を下げているのをよそに、彼の息子は「ねぇねぇ」と言いながらココルに近づいた。
「ねぇ、運び屋さん、運び屋さんは手紙ならどんな所にでも届けるって本当?」
無邪気な少年の質問に、「うん、本当だよ」とココルは深く考えずに答えた。
「僕、ルシお兄ちゃんに手紙を出したいんだ!」
そう言われて、ココルは一瞬動揺した。
「もちろん大丈夫だよ。手紙の内容はもう考えてあるの?」
ココルは必死に取り繕った笑顔で少年に尋ねた。
こんな幼い子供に、「死んだ人には手紙を届けることはできない」なんて口が裂けても言えなかった。
「うん、えっとね・・・」
少年は自分の気持ちを言葉で表すのに一生懸命だった。
それでも彼はルシへの想いをしっかりとココルに伝えた。
「たしかに承りました。必ず、ルシさんにお届けします」
するとココルのその言葉を聞いた少年は、「そうだ!パパもルシお兄ちゃんに手紙を出そうよ!村のみんなでルシお兄ちゃんに手紙を出そうよ!」と言って家を飛び出した。
「本当に申し訳ありません。本当に、申し訳ありません」
少年の父親はココルとアマリアに何度も頭を下げた。
「僕は全然構いませんよ。もしよければ、ルシさん宛ての手紙を預かりましょうか?息子さんもああ言っていたことですし」
「でも、ご迷惑じゃありませんか?」
「じつは僕、一度見たり聞いたりしたことはずっと覚えていられるんです。なので、何通増えようが全く問題ありませんよ」
「本当に良いんですか?・・・それなら、お言葉に甘えて」
あれだけ謙虚だった少年の父親は、いざ話始めると「やっぱり今の部分は無しでお願いします」や、「さっきの部分なんですけど、今から言うことに変更できますか?」と何度も修正を加えてココルを少しだけ困らせた。
その間にもアマリアの家には村人たちが次から次へと集まってきた。
「次は私のをお願い!」
「その次は俺のを頼む!」
アマリアの家に集まった村人たちは、ルシに届けたい想いを余すことなくココルに伝えた。
その光景を、アマリアは目を真っ赤にしながら黙って見つめていた。
村人たちがアマリアの家を出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「ココルさん、もしよければうちで晩御飯を食べていきませんか?」
「こんなに長居してしまったうえに、晩御飯までご馳走になるなんて申し訳ないですよ」
「そんな遠慮しないでください」
「本当にお気遣いなく」
「そうですか、それは残念です。せっかく村の人から卵をいただいたので、たまご焼きを作ろうと思っていたのに」
たまご焼きと聞いて、ココルの目の色が変わった。
「少しですが砂糖もあるので、お好きなら甘いたまご焼きも作れますよ」
卵も砂糖も滅多に手に入らない稀少な食材だ。
甘いたまご焼きなんて、この先いつ食べられるか分からない。
「甘いものはお好きですか?」
「・・・お好きです」
「どうします?食べていきますか?」
「・・・せっかくなので、お言葉に甘えさせていただきます」
好物を前に“待て”をさせられている小型犬のようにソワソワしているココルを見て、アマリアはクスクスと笑いながら「すぐ作るので、ちょっと待っていてくださいね」と言い台所へと向かった。
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