3ー2
佐々山邸の周りは、婆さんが言ったとおりたくさんの人でごった返していた。
「先生、こっちです」
佐々山邸の玄関に、サーベルを下げた巡査が何人か入っていくのを見て僕は言った。
なぜそんなことを言ったのか自分でも不思議だが、三人の婆さんに僕は渡されたのだということをなぜか理解していた。
巡査に続いて邸内に入ると、そこは広い玄関ホールだった。中央に緩やかにカーブした大きな階段がある。死人が出たのはその階段の右手にある部屋らしい。女中や大勢の男女が青ざめた顔で遠巻きにしていた。
「この人たちはなんですか?」
僕はそばにいた制服の巡査に訊いた。
「今夜この家で大勢を招待して
先生と僕を誰かと勘違いしているのか、巡査は少し堅苦しい調子で言った。
「心中したのはここの奥様と家庭教師です。詳しいことはあちらに警部がおりますので」
恰幅のいいカイゼル髭の男が、ちょうど倉庫室に入っていくところだった。
「行きましょう」
鏡花先生も、まるでこれが仕事だとでもいうように、胸を張り難しい顔で重々しく歩を進めた。
「失礼します。こちらは泉鏡花先生です。僕は助手の寺木と申します。詳しくお話しをうかがえますか」
「これはこれはご苦労さまです。私は藤ノ木と申します」
藤ノ木警部は慇懃に頭を下げた。そして倉庫室の中に招き入れると、概要を説明し始めた。
ごく自然に警部の話を聞きながら、僕はふと我に返った。
この流れはなんだろう。警部は人違いをしているようでもなく、先生は心中事件の話を聞くのが当然というようにうなずいている。
どうやらこれは尋常ならざることが起きている。つまり僕の考えではこの状況は、あの目の光る婆さんたちの
「男のほうはたぶん自分で腹を刺したのでしょうな。それから女が短剣を抜いて自分の喉を突いた、とまあこういうことです」
警部の説明はつづく。
凶器の短剣は、佐々山嘉門のコレクションで十七世紀のヨーロッパの王室のものだという。もっとも本物かどうかは疑わしいが、と警部は付け加えた。短剣は奥の棚に木箱に入れられていたものだ。倉庫室には嘉門と稲以外は決して入らない。
「鍵は一本だけで、合い鍵も作っていないそうです。今夜はここのご主人、佐々山嘉門が出かけている間に皿を仕舞っておくようにと言って、この一本だけの鍵を稲に渡したのだそうです。ところが嘉門が帰ってみると倉庫室のドアの外に皿が入った桐箱が落ちていて、ドアには鍵がかかっていた。稲を探したがどこにもいない。倉庫室の前に戻って桐箱を拾い上げると、その下に倉庫室の鍵があった。その鍵でドアを開け、中に入ると家庭教師の並木慎太郎と稲が死んでいたというわけです」
「ちょっと待ってくださいよ」
鏡花先生がハンカチで口を押さえながら言った。死体から黴菌が飛んでくるとでも言いたげだ。
「倉庫室の内側の鍵というのはどんな鍵ですか?
「いえ、この鍵です」
警部は近くにいた巡査から、紙包みを受け取り開いて見せた。鍵は黒い鉄製のもので、頭は王冠をかたどり、鍵山は下駄の歯のようだが複雑な文様が刻み込まれている。
「この鍵一本で、外からも内からも開け閉めするのだそうです」
「嘉門は廊下に落ちていた鍵でドアを開けたのですから、部屋は内側から鍵をかけていたことになりますね。どうやって閉めたのでしょう」
「まあ、どうにかして閉めたのでしょう。心中ですからね。だれにも邪魔されたくない、とかそんなとこでしょう」
慎太郎と稲の遺体は寄り添い合うように部屋の中央に横たわっていた。慎太郎は金ボタンのついた一高の制服で、目をつぶってはいるが苦悶の表情を浮かべている。腹を刺したのだろう、腹部が血で汚れ、床には血だまりができている。
稲は乱れた着衣のままだった。血まみれの手で短剣を握り、自分の喉に突き立てたようだ。はだけた白い胸に幾筋も血が流れていた。
警部は死体を運び出す指示を出したあと、三人の女中をここに呼ぶようにと言った。
「嘉門は慎太郎と稲の関係については、まったく気づいていなかったと言ってます。情けない夫ですなあ。ショックを受けて書斎で横になっているそうです。とはいえ妻の不貞や死んだことより、大事な皿が割れたことのほうがショックだったみたいですがね」
応接室の客人たちは所番地と氏名を訊かれ、順次帰っていった。
「まったく、この人の多さはどうでしょうなあ」警部はカイゼル髭を指先で捻り、「なにもこんな日に心中をしなくったてよさそうなもんだが」と続けた。
「心中じゃありませんね」
鏡花先生は細い顎を撫でながら言った。
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