第24話

 今日は冬真っただ中の割には暖かく、外出にもってこいの快晴だった。


 編集部最寄りの駅前。

 清々しいほどの晴天に対して、僕の体調は曇天も曇天。五分遅刻で集合場所へとたどり着いた僕のことを睨むのは、まるで別人のような恰好をした元カノだった。


「五分遅刻」


「はぁ……お待たせして大変申し訳ありませんでした」


「遅刻しておいて、なんで不満そうなの……?」


「だって君、僕が遅刻すると理由も聞かずに拗ねるじゃん」


 もちろん遅刻はわるいことだ。

 正当化するつもりはこれっぽっちもない。


 でも、遅刻にだって様々な理由がある。それを聞かずにノータイムで機嫌を損ねられると、それはそれで納得できないというもの。


「別に怒ってないし。どうせ二日酔いで動けなかったとかでしょ?」


「的確に当ててくるあたり、さすがは腐れ縁なだけあるな」


「いやいや、顔色みれば一発で分かるから」


 原稿が完成してすっかり気が抜けた僕は、昨晩独りでしこたまお酒を飲んだ。何とか目覚まし通りに起きれたのはよかったけど、その先にあったのは絶望。おかげで準備には時間が掛かり、見事に乗るはずだった電車を逃した、というわけだ。


「まあ、最近はずっと頑張ってたし、たまにはいいんじゃないの」


 てっきり怒られるかと思ったけど……梨乃が怖いくらいに寛容になっている。


 コンタクトから眼鏡に。いかにも女子大生っぽい化粧から黒髪の雰囲気に合う薄化粧に。そんな見た目の変化に加えて、どうやら性格までもが丸くなってしまったようだ。


「ピアス、付けるのやめたのな」


「ああ、それね」


 中でも僕が一番驚いたのが、ピアスの有無だった。


「最近は付ける機会もなかったから。穴も塞がったし、いい機会だから捨ててみた」


「捨てた……⁉」


 僕が声を大にすれば、梨乃は眉を顰める。


「何、その反応」


「いや、一応それ僕があげたピアスなんだけど」


「だから捨てたの。そもそも私たちは別れてるし。元カレからの貰い物なら普通捨てるでしょ」


 何一つとして間違いのない主張だ。

 むしろ僕はそれを望んでいたまである、けど……


「……なんか君、みるみるうちに薄情になってないか?」


「色々と吹っ切れただけ」


 捨てられたら捨てられたで、何だか寂しいなと思う気持ちもある。

 でもまあ、これで僕らが前に進めると思えば、ピアスくらい安い代償だ。


 ◇


 その後、僕らは編集部に二つの作品を持ち込んだ。


 担当してくれたのは江原さん。

 急な話だったがために、ファ〇チキとコーラを差し入れたら、新しいオモチャを買ってもらった子供のように喜んでくれた。


「うん! 両方ともめちゃオモロいやん!」


 相変わらずの爆速で原稿に目を通した江原さんの反応は良好。両作品とも気に入ってくれたらしく、流れるようにして連絡先と名刺をくれた。


 編集者の名刺を貰う。

 これはひとえに、漫画家としての能力を認められた証だ。今までの僕なら舞い上がるほど喜んでいるところだけど、今回に限っては冷静なままだった。


 なぜなら、この二つの作品に絶対的な自信を持っていたから。

 いや、自信じゃない。これは紛れもない僕らの最高傑作だ。だから面白くないわけがない。その確信があった。


「ほな、二つとも会議に回してみるなぁ」


「はい、よろしくお願いします」


 江原さんとの相談の結果、梨乃がネームを描いた『終焉のギフテッド』を連載候補。相瀬がネームを描いた作品を読み切り候補として、会議に出してもらえることになった。




『読み切りと連載、どっちも決まったでー』


 そんなメッセージが届いたのは、それから一週間後のこと。

 持ち込みの時こそ冷静さを保っていた僕だったけど、デビューとなれば話は別。吉報を聞いた僕と梨乃は、過去を忘れて抱き合ってしまうほどに喜んだ。


 ◇


 あるバイトの日。

 僕は夜谷さんにとある相談を持ち掛けた。


「夜谷さんってどんな経緯で今のペンネームにしたんですか」


「ぐっ……」


 デビューを控える漫画家なら、必ず悩むであろうペンネーム。ぜひ先輩の意見をと思い尋ねれば、原稿に向かう夜谷さんの手がピタリと止まった。


「夜谷さん?」


「ん、んん……」


 この反応……もしやこの質問は地雷だったのだろうか。夜谷さんのペンネームは『闇ノシャドウ』。確かに独特なペンネームではあるけど……。


「自分から言えるとするなら、ペンネームはよく考えて決めた方がいいよ。絶対」


 力強く言った夜谷さんは、長いため息を吐いた。


「その時のノリとかで決めると、あとあと後悔で死にたくなるから」


「は、はぁ……」


 どうやらこの話題は地雷だったらしい。

 それ以降の夜谷さんは、三十秒おきにため息を吐くメランコリーになった。


 ◇


 読み切り掲載まであまり時間がない。

 僕と梨乃は幾度となくペンネームについて話し合ったけど、今のところ有力な候補はない。

 そもそも二人で一つのペンネームにするか、それとも作画と原作で分けるか。

 脳がよじれるほどに悩んだ末、ようやく辿り着いたペンネームに、江原さんはこう言った。


「ほんまにこれでええん?」


「ええ、僕らにはピッタリの名前です」


「そうだね。私たちにはこれしかない」


 こうして遂に、僕らの読み切りが掲載された本誌が発売された。

 人気作に挟まれた本誌後半に、僕らの作品はあった。


 ”アイセリノ 幸せのメリーバッドエンド”


 僅か32ページの読み切りは、たくさんの読者の心を掴んだ。


 そして世間の期待が大きく膨らんだ『アイセリノ』の初連載。江原さんを含む三人四脚で創り上げた『終焉のギフテッド』は、後にシリーズアニメ化されるほどの大ヒットを生んだ。


 実の娘が漫画家で大成したことを知った愛乃さんは、それはもうしつこく梨乃に連絡を寄こした。どうやら彼氏に振られ、生活費の宛が無くなったらしい。


 親子としてやり直そう。

 そんな母親の自分勝手な願いを、梨乃は容赦なく突っぱねた。そして漫画家『アイセリノ』として、第二の人生を歩むことを決意したのだった。


 ◇


「ねぇ、光。私たちってさ、夢を叶えられたのかな」


「さぁ、どうだろうな」


 アシスタントの机がずらりと並んだ作業場。

 椅子にもたれかかり天井を仰いだ僕は、その真っ白な景色にミリペンを突き立てた。


「でも、これだけは言える」


 それはあの日、子供だった頃から変わらない。

 初めて漫画というものに触れたあの瞬間から、僕の気持ちはこれだった。


「僕は漫画が大好きだ」

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