第14話

 ――それは人間に能力が出現するようになった未来の日本の話。


 原因も仕組みも明確になっていない『能力付与現象』は、五歳の誕生日に百万人に一人の確率で起こると言われる一種の奇病だった。


 能力を発現した子供、加えてその家族は、国家の特別VIP待遇となり、ありとあらゆる費用を国に負担してもらえるという特典を得る。その代わり能力を発現した子供は、将来国の繁栄のために国家機関『シーズ』に勤めなければならない。


 片親故に余裕のない生活を強いられていた主人公――レンは、五歳の誕生日に不思議な光に包まれた。能力の発現である。


 待望の能力を得たことで、レンの母親は泣いて喜んだ。

 これで未来は保証された。この貧困生活からも解放される――こうして二人が抱き合ったその瞬間、母の身体はまるで風船が割れるかのように爆散した。


 レンが発現した能力――それは『触れた物の命を奪う』というあまりに危険な能力だったのだ。


 能力を得たことで、レンの将来は保証された。

 しかし、たった一人の家族である母を失った。


「僕を独りにしないで……」


 悲しみに暮れるレン。

 孤独となったレンの存在を危険と判断した国家は、その人権を剥奪し、山の中へと追放した。当時レンは五歳。実質これは処刑であった。


 窮地に立たされたレンは、やがて山小屋に暮らす一人の老父に拾われる。

 能力を知ってもなお、レンを受け入れると言ったその老父。二人は本当の家族のように暮らしていたが……ある日、ゾンビ化した人間に襲われた老父は帰らぬ人となった。


 こうした辛い過去を乗り越え大人になったレンは、国家機関シーズへと赴いた。


 国の繁栄の為と表向きでは謳っているシーズ。

 しかしその内情は、犯罪者の粛清機関。能力を発現しながらも、国のルールに従わない犯罪者――『アブノーマル』を見つけ捉えることが、レンたち『パドラー』の仕事だった。


 しかし、『触れた物の命を奪う』という能力を持っているがため、同僚から冷たい扱いを受けるレン。そんな彼が所属したのは、危険因子ばかりを集めた特別班――『レッド』だった。そこでゾンビ化した人間に両親を殺されたという少女――サクラコと出会う。


 最悪の能力『触れた物を生き返らせる』を所持した男――『黒木』を倒すため、レンたちパドラーは、平和を脅かすアブノーマルに立ち向かっていく――


 ◇


 相瀬の言った通り、この作品は序盤からして頭一つ抜けていた。

 物語の構成という面でもそうだけど、少年漫画で育った僕のツボにこれでもかと突き刺さる疾走感のある内容だった。


 王道かつシンプルなストーリー展開。読み手を掴む事件の数々。さすがは梨乃の書いたシナリオだと、数年ぶりに嫉妬に近い感情を覚えた。


「凄いなこれ。こんなの隠してたのか」


 長編にもなりそうなこの作品は、百ページほどで綺麗にまとめられている。相瀬が一番という理由もわかる。それくらいに見事なハッピーエンドだった。


「君の言う通り、僕もこれが……」


 これが一番好きだった。

 そう呟きかけた僕は、ベッドに寄りかかり寝息を立てる相瀬を見て言葉を切った。


 いくら面白かったからとはいえ、さすがに待たせ過ぎた。僕がネームに目を通している間、テレビもつけずに静かにしてくれていたから、そりゃ眠くなるのも仕方がない。


「相瀬、おい相瀬」


「んんっ……」


「起きろ、相瀬」


 僕は彼女の肩を軽く揺らした。

 こうしてみると、やはり彼女は梨乃なんだなと思う。そりゃ身体は同じなのだから当たり前だけど、それにしても眠っている時の彼女は、普段とは違い少し愛らしく映った。


「待たせてしまって悪かった」


「んん……うん……?」


 ようやく目を覚ました彼女。

 眠そうに目をこすりながら僕を見た相瀬は、その澄んだ黒の瞳を揺らした。


「光……?」


 そして、僕を”下の名前”で呼んだのだ。


「どうして私の家にいるの……?」


「梨乃……なんで君が……」


 この瞬間、平静だったはずの僕の心は焦りに侵された。

 目の前の彼女は相瀬じゃない。間違いなく梨乃だった。だとしてもどうして……どうしてこのタイミングで人格が変わったんだ。


「私に会いに来てくれたの?」


「ち、違う。僕はもう一人の君に誘われて……」


 状況の整理が追いつかない。

 僕が困惑していると、梨乃は不服そうに目尻を下げて言った。


「……私が誘っても来ないくせに、もう一人の私なら来るんだ」

「は?」


 ピキッと、空気が割れるような音が聞こえた。

 やがて唇を震わせた梨乃は、その瞳に涙を浮かべる。


「私じゃない方がいいんだ……」


「何言って――」


「どうせ光は、私なんか消えちゃえばいいって思ってるんでしょ‼」


 急に憤り声を荒げる梨乃。

 これは交際当時にもよくあった、感情の乱れから起きる癇癪だった。こういう自分勝手な解釈で機嫌を悪くするのは、どうやら今も変わっていないらしい。


「どうしてそうなる」


「だってそうじゃん! 光、私のこと振ったんだよ⁉ なのになんで家に居るの⁉」


「だからそれはもう一人の君に誘われてだな……」


「ほらやっぱり! 私に会いに来たわけじゃないじゃん!」


 毎度のごとく、話は平行線を極めていた。


 これが僕らの喧嘩。

 物事の表面だけを見て判断する梨乃に、詳細を語るも通じない。一度機嫌を損ねた梨乃はライオンのように獰猛で、幼子のように聞き分けがない。


「私に用がないなら帰ってよ」


「……っ」


 色々と言い返したいことはあった。

 でもここでそれを言ったところで、状況がプラスに働くわけじゃない。


 だから僕は沸き上がる感情を無理やり飲み込んだ。

 今も昔も、不毛な争いは僕の倫理に反する愚行だから。


「ホントに帰るの……」


「君が帰れって言ったんだろ」


 雑に靴を履き、かかとを潰したまま家を出た。

 玄関の扉が閉まる最後の瞬間、小さく後ろを振り返れば……僅かな隙間の向こうには、悲し気な顔で僕を見送る梨乃がいた。


 早くも僕に謝りたそうな、後味の悪い面持ちだった。


「クソッ……」


 梨乃のああいうところが嫌だった。

 どうしようもなくワガママで、僕の気持ちなんて考えてもくれなくて……目の前にある愛に必死に縋り付こうとしている。母親から受けられなかった愛情の隙間を、僕で埋めようとしている。


 その点相瀬は、梨乃とは違いドライだ。

 僕の気持ちを尊重してくれて、自分勝手な物言いで僕を困らせることもない。僕とのあいだに一本の線を設けてくれている。言ってしまえばそれは、中学までの梨乃そのものだった。


 あの頃の梨乃は、確かに僕にとっての特別だった。

 だから僕は相瀬を梨乃に重ね、特別に想っているのだと思う。


「何なんだよ……この気持ちは……」


 僕が求めているのは『相瀬梨乃』なのに『相瀬梨乃』じゃない。

 相瀬と梨乃、二つの人格が現れたことで、僕の心にはどうしようもない感情が芽生え、やがてそれはやり場のない怒りへと変わった。

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