第9話

「どうかしら」


「どうって……」


 最後まで目を通し一息吐くなり、相瀬は言った。

 僕はグッと唇を噛みしめ、絞り出すようにして答える。


「面白いよ、凄く」


「その割には不満そうだけど」


 相瀬にとって、これは初めて書いた作品。にもかかわらずこれだけの話が書けるというのは、言ってしまえば『才能』以外の何者でもなかった。


 例え人格が変わったとしても、相瀬梨乃には揺るがない才能がある。その事実に悔しさを覚えたのと同時に、僕はこの作品を読みながら、昔のことを思い出していた。


「やっぱり君は凄いよ……」


 それは梨乃と二人三脚で漫画を創っていた当時の記憶。あの頃の僕らは必死になって、一つの作品と向き合っていた。そしてそれは、間違いなく僕らの青春だった。


「一つ聞きたいんだけど」


 あの頃に戻りたいとか、そういうわけじゃない。

 これはただの思いつき。

 でも、確認しないままではいられなかった。


「これ、ネームに出来たりする?」


「ネーム?」


 僕の問いに、当然相瀬は首を傾げた。


「漫画の下書きみたいなものなんだけど。出来れば君にそれを描いてみてほしい」


 無茶なお願いなのはわかってる。でも、初めてでこれだけの物語を創り上げた彼女なら、出来るような気がするのだ。


「僕はこの物語を漫画にしたい」


「ネームを作れば、この小説が漫画になるのね」


 僕が頷くと、相瀬は小さく微笑んだ。


「わかった。やってみるわ」


 ◇


 その僅か五日後。

 短編小説形式だった相瀬の物語は、三十ページのネームとなった。


「どうかしら」


「面白い……面白いよこれ」


 人格が変わる前の彼女とは少し作風が違う。

 それでもクオリティーという面に関しては、梨乃に引けを取らないものがあった。


「この約束するシーンとか、ネームにしたことでより際立ってる」


「そこはワタシもお気に入りのところね」


「コマ割りもいい。どこをどう見せたらいいのかがよくわかってる」


 正直ここまでの物を持ってくるとは思いもしなかった。僕の方である程度の修正をするつもりだったけど……そんなこと考える必要すらなかった。


 僕は今、間違いなく興奮している。

 こんなにも気持ちが高ぶっているのは久しぶりだ。漫画家を目指し、梨乃と二人三脚で創作していた時のことが、脳裏に色鮮やかな映像として蘇っていた。


「これ、僕が漫画にしてみてもいい?」


 こんな気持ち、何もせずに消化できるわけがない。

 このネームを漫画にしたい。

 その衝動だけで僕は相瀬に尋ねた。


「絶対にいい漫画にする。だから、君の物語を僕に預けてほしい」


「間宮くんがよければ、ワタシは構わないけれど」


 相瀬は一つ返事でそう言ってくれた。


「そしたらこのネームしばらく借りる」


 ◇


 こうして僕は、数年ぶりに漫画を描くことになった。

 いつかこんな日が来ることを想定して、絵だけは継続して描いていた。ペン入れ以降の作業に懸念はあるけど、それでも僕はこのネームを漫画にすると決めた。


「やってやる」


 自宅の作業机。

 タブレットに向けてポツリと呟いた僕は、下書きの一歩を踏み出した。


 それからの僕は、授業とバイト以外のほとんどの時間を漫画創作に費やした。

 特に締め切りがあるわけでもないはずなのに、早くこの物語を漫画にしたいという衝動がどんどん湧き出て来て、気づけば寝る時間すらも削って漫画を描く毎日だった。


 ◇


 そんな日々が十日ほど過ぎたある日。

 僕は大学の帰りに、夕食を買うため都内のコンビニに寄った。


「ファ〇チキ二つ。ああ、やっぱ三つ頼んます」


 すると僕が会計する隣で、一人の男性客がそんな注文を口にした。

 まさか一人で食べるのだろうか。だとしたら欲張り過ぎないか? なんて、心の中で思いながらその人を見れば、そこにいたのはボディビルダーのような大男だった。


 秋真っただ中でも関係なしの半袖。露出した腕は筋肉ムキムキで、まるで鎧を着ているかのよう。それに加えて独特な柄のステテコパンツ。僕は妙な既視感を覚え、その人の顔を見れば……「えっ」という、驚きとはまた違う野太い声が漏れた。


「なんやなんや? わいの顔に何か付いとりますか?」


「え、あ、いや……その……」


 男性は目が合うなり首を傾げる。ごつい体格の割にはつぶらで優しいその目に見られ、どうしたものかと口ごもっていると、


「あっ! 君はまさかあん時の!」


 男性はぱっと表情を明るくして、意気揚々と僕を指さした。


「昔うちに漫画持ち込んでくれた子やんね?」


「は、はい。ご無沙汰してます」


「ホンマやねー。えらい大きなって、びっくりしたわぁ」


 どうやら僕の事を覚えていてくれたらしい。

 というのも、この人は某有名出版社の編集者。確か名前は江原さんだったはず。昔梨乃と初めて創った漫画を持ち込んだ時に、対応してくれた編集者だ。


「どう、その後は。漫画描いとる?」


「ま、まあ。ぼちぼちです」


「ほーん」


 それから僕たちは会計を済ませコンビニを出た。どうやら江原さんは、これから担当している漫画家さんの家に行くそうで、駅までの道のりは一緒だった。


「ほんでな、わいの担当してる先生がえらい厄介もんでな」


「へ、へぇ」


「いっつも締め切りギリギリに原稿上げるねん。ホンマ勘弁してほしいわぁ」


 ファ〇チキをむしゃむしゃ食べながら、流暢な関西弁で愚痴をこぼす江原さん。


 ちなみにこの人は関西出身じゃない。

 バリバリの東京生まれだった気がする。


 昔漫画を持ち込んだ際に、「東京生まれの人間が関西弁で喋っとったらおもろいと思わん?」という訳のわからない思想を熱心に語られ、僕らの漫画の話題は早々に打ち切られた。


「ファ〇チキ食べる?」


「いえ、結構です」


「えー、めちゃめちゃ美味いのにー」


 加えてこの人は、昔から熱狂的なファ〇チキファンだった。ファ〇チキを食べながら持ち込みの対応されたことで、原稿の一部に油のシミが付いたことを今でも覚えている。


「こういうジャンクなものに依存せぇへんと、やってられへんからなぁ」


「大変なんですね、編集者のお仕事も」


「そりゃ大変よぉ。今年で十四年目なのに未だ下っ端やし」


 持ち込み原稿にシミを付けるような人だ。

 そりゃ何年経っても下っ端だろう。


「その、なんで大変なのに編集者続けてるんですか」


「そりゃ漫画が好きだからに決まっとるやん」


 そう言うと江原さんは、唇をテカテカにしたまま僕を見た。


「君はどう? 漫画好き?」


「どう、でしょうね」


 相瀬の作品をきっかけに、最近また漫画を描き始めたけど。中学の時に比べたら、漫画に対する熱はだいぶ下がったように思う。


 もちろん人並みには漫画を読むし、面白い作品に出合えば胸が高鳴る。

 でも、四六時中漫画の事を考えていたあの頃に比べたら、好きというほどのものでもないような気がした。


「まあ、何にせよ、描き続けとるのは凄いことやと思うで?」


 残り僅かのファ〇チキを口に放り込んで、江原さんは続ける。


「そういえば君、タッグ組んどったやんね?」


「ええ、まあ」


「シナリオの子は? まだ書いとる?」


 これは……少し答えにくい質問だ。

 江原さんは梨乃の実力を高く評価していたから、書くのをやめたと伝えるのは、何だか申し訳ないような気もする。


「もしかして、今も君の相方だったり?」


「いや、今はもう一緒にはやってないですね」


「なんだ残念。せっかく良いコンビやと思ったのになぁ」


 と、ここで。江原さんのスマホが鳴った。

 どうやら相手は担当している漫画家さんらしい。


 おそらくは締め切りを伸ばしてほしいとか、そう言ったことを言われたのだろう。相変わらずのエセ関西弁で、モノの見事に論破していた。漫画家さんが可愛そうになるくらいの正論だった。


「ほな間宮くん、またいつでも持ち込んでなぁ」


「はい。今日はありがとうございました」


「おおきに」


 柔らかい笑顔で手を振りながら、江原さんは走り去って行く。

 舞妓さんじゃない人間が使う『おおきに』に、そこそこの違和感を覚えながら、僕は彼の大きな背中をしばらくのあいだ眺めていた。

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