嘘と煙草、君と夕 ~女装したらギャルと友達になった話~

桜百合

残暑厳しい九月の半ば、僕の人生に一つの事件が起きた。



「じゃあお前、ちゃんとその格好で帰れよ」


「結構似合ってるし大丈夫そうだね」


司馬しば桜井さくらいは、夏用のセーラー服を着た僕を見ながら、こみ上げる笑いを抑えるようにそう言った。


「うるさいなぁ…」


こいつら校門の少し先で別方向だもんな。でも今日くらいは付いて来てくれてもいいだろ…何でわざわざ泳がすんだよ僕を…。


「別にイケるな」


「ね~」


「イケるってなんだよ!

はぁ…次は絶対負けないからな」


「はいはい。

んじゃ、はるかちゃんは慣れないスカートの後ろ気にしながら、気を付けて帰るんだぞ~」


「じゃあね~遥ちゃん

言葉遣いもちゃんとするんだよ~」


「ちゃん付けやめて!バイバイ!!

…はぁ…」


問題はここから。ここからが地獄だ。


僕、沢田遥は健全な男子高生だ。六限の体育での、司馬真一と桜井ほのかとの賭けバスケに負けた罰ゲームとして、今日の僕は家に着くまで女装。女子高生の恰好をしつつ、さらに口調もそれっぽくしなければならなくなった。

こんなこと、馬鹿正直に実行しなくてもいいとは思うのだが、あの二人はこの学校に馴染めずにいた僕に声をかけてくれた大切な友達だから、裏切るようなことはしたくない。

しかしその反面で、女装はやりすぎだろうとも思うわけだが…やはりリア充の考えることはよくわからないな。


「っていうか何スカートって。なんでこんなにスースーするものを穿いてるんだよ女子は。なんかもう全方位怖いじゃんこんなの。

あとウィッグ蒸れすぎ。普段の髪型もそこそこ蒸れるけど比じゃないなこれは。絶対取る時むわぁってなるやつだ」


田舎でも都会でもない町だけど、学校の近くは川が流れている上に田んぼや畑まであるからか、ここら一帯はまさにと言うくらいの田舎道だ。だから畑に生えているよくわからない、少し背の高い植物が風に揺られる音に僕のような陰キャの声は簡単にかき消される。

早い話、独り言が言い放題なのだ。


「まあ電車乗っちゃえば一駅だから、ササっと帰って着替えよ…」


なんてことをぼやきながら田舎道を抜ける。ここから先は駅前に向けてにぎやかさを溜めていくように栄え始める。と言っても、あるのはドラッグストアにスーパー、個人経営の靴屋や雑貨屋など、シャッター商店街の様相とそう変わりはない。

僕はさっさと駅へ向かおうと足早に歩を進めていたのだが、そんな僕の視界の隅、スーパーの駐車場で何やら女子高生二人組が揉めているのが目に入った。


「…喧嘩?いや、車を囲んでるのか。

…何で?」


その瞬間、車からけたたましいサイレンの音が鳴り響くと、その二人はビクッと大きく身を震わせて漫画のようにあわあわと焦り出した。


「えっ車上荒らし!?嘘でしょ!!?」


僕は二人の元へ駆け寄った。すると僕に気づいた一人が、涙ながらにこう叫んだ。


「助けてっ!!」


ピンクの髪を高い位置で二つに結った、そんなギャルだった。


「…へ?」


二人が囲むその車の窓から中の様子を伺うと、助手席に赤ん坊が一人取り残されていた。

九月半ばの夕方とは言え、今日は天気も良く、気温は二十五度を超えるほどに暑い。そんな中密閉された車内の温度がどんなものかは、想像に難くないだろう。

当の赤ん坊は眠っているのか、呼吸をしているのが服の上からわずかに確認できる。


「うちらの友達が、二人で今っ、中にお母さん呼びに行っててっ、でももうっ五分くらい経ってるのに、戻ってこなくて…!」


「どうしよう…赤ちゃん死んじゃう…」


ピンクツインテの背中をさすりながら、黒髪ロングの地雷風ギャルは車内を窺うと、心配そうにそう漏らした。


…このスーパー、規模はそれなりだけど、五分もあれば店内放送くらいは出来ないか…?


「…車の特徴」


「え?」


「その人、車のナンバーとか色は控えてましたか?」


「えっと、メモとかはしてなかったかも…」


「わかりました。ではその友達に電話で車種と色、ナンバーを伝えてくれますか?」


「あ、はいっ!」


それから間もなく、母親と思われる女性、店員、そして二人の女子高生が走ってきた。

車内はかなり蒸していたが、エンジンを切ってからそれほど時間が経っていなかったためか、一先ず赤ん坊は無事だった。そしてお礼にと僕にまで飲み物を買ってくれたその母親は、深々と頭を下げると帰って行った。

今日も一つ良い事をした。

僕は頂いた麦茶を一口、達成感と共に嚥下した。


早く帰ろう。


そう思いながら僕は駅へ向かって歩き出した。



しかしそれから数十分後、なぜか公園でその女子高生達と駄弁る僕の姿があった。

お忘れかもしれないが、僕は今、訳あって女子高生の恰好をしているだけの、健全で真っ当な男子高生だ。

そんな女装男子がガチの女子高生に囲まれているこの状況は、正直マズい。というかヤバい。

実は男だったなんてバレてみろ。この情報化社会じゃ僕みたいな人間は即晒し者にされるに決まってる!

女装下校して女子高生に近づく変態のレッテルと共に生きるなんてごめんだ!

何としても隠し通すんだ…!



「それにしても遥ちゃん、さっきは助かったよ。私らナンバーとかメモるの忘れてたからさ」


僕の左隣に座り、いちごミルクを飲みながらそう言ったウルフカットのギャルはゆいと言うらしい。先程お母さんを探しに店内へ向かった二人の内の一人だ。

…何と言うか、この見た目の僕と割と似ていると思う。でもなんだろう、この中では一番大人びて見えるからか、可愛いというよりは綺麗という印象だ。


「ね!私なんて慌てておっきい音鳴らしちゃったのに、バッて現れてサッて指示出して!

ヒーローみたいでかっこよかった!」


唯の左隣、地雷ギャルの膝に座るテンションの高いピンクツインテのこのギャルは舞菜まいな

かなり目立つ風貌と華奢で小柄な体格から、マスコットのように見えて仕方ない。


「本当、助かった」


舞菜を膝に乗せながら、ミネラルウォーターを飲む地雷ギャルは凜々りりと言う名前で、舞菜が好きなのか、彼女を撫でるばかりで僕にはあまり興味が無ないようだ。


「それな!まぢ超助かった、ありがと!」


店内へ向かったもう一人の彼女。いかにもなギャルらしい金髪を胸ほどまで伸ばした愛瑠あいるは、僕の右隣に座りながら、背中に腕を回し左肩を軽く叩いてくる。

筋肉がある方ではないとは言え、それでも女子と肉付きは違うと思うんだけど…気付かないものなのかな。

ていうかあんまり触られると…ちょっと…

…何か、凄いなギャルは。めっちゃモテるんだろうな。


「いえ、そんな…」


「てか私らが車種とかナンバーメモらずに行ったの、何でわかったの?」


すると突然、舞菜は唯に同調するように彼女の腿へ両手を乗せ、ずいと身を乗り出しては僕に顔を近付けながら快活に言った。


「それ!よく気付いたよね!」


いや…いやいや!距離が近い!なんでこんなに顔近付けんの!?キスの距離だよこれ!!しかもこっちはスカートなんだ!勃ったら一発でバレるんだぞ!!凄い褒めてくるし目見て話して来るし!てかギャルの目おっき!なんかキラキラしてるしめっちゃいい匂いする!!なにこれ香水!?


「え…あ…いや…」


見たことのない大きさでどこかきらきらした目と、嗅いだことのないいい匂いにクラクラする…!


「あ~ごめん、近かったよね」


「アッダイジョブ、デス…」



普段の僕は伸ばした前髪で両目を隠す、いわゆる目隠れ男子だ。目を隠す理由はシンプルで、人の目を見て話すことが苦手なためである。

普段よく話す司馬と桜井はそんな僕の事情を理解してくれているが、しかしこのギャル達は僕の事情など露知らず。ましてや黒髪ショートボブのウィッグと、桜井によって施されたメイクの出来からそれなりの女子となってしまっている僕が、実は男子であることに気付く様子なんかもまるでない。


相手が異性だとそれなりの距離感を保つのかもしれないけど、同性ならまぁ気にする必要はあんまりないもんな。

にしても近いな。凄いなギャルは。


「えっと…皆さんも凄いと思いますよ?

普通気付けないですよ。赤ちゃんが取り残されてるとか」


そう言うと再度舞菜はこちらへ身を乗り出した。


「マ?!でもそれなら凄いのは唯てゃもだよ!」


「え、私唯てゃ?」


「うん。だめ?」


「だめじゃないよ。じゃあ私、舞菜ちゃんって呼んでいい?」


「うん!」


何だ?このやり取りは


「お二人…というか、皆さんとゆ、唯さんって、もしかして初対面ですか?」


「そうだよ?」


そうだよ?って…ギャルは人見知りしないのか…?いきなりあだ名まで付けて…凄いなギャルは。

でもそうか、一人だけ制服が違うのはそういうことだったのか。


「うん。ドラッグストアの帰りで何か仲良くなってさ」


「もうね〜唯てゃもね赤ちゃんに気付いたらすぐ店内に走ってってさ、カッコよかったよ!」


「確かに。唯ってさ、なんかお姉ちゃんって感じしない?」


二人の会話に愛瑠も加わって、いよいよ本格的に女子トークが始まってしまった。こうなると僕みたいな陰キャは基本置き去りだ。

ぼーっと空を見つめ、買ってもらった麦茶を飲むくらいしか、今の僕に出来ることはなかった。


「わかる!実際どう?言われる?」


「ん~あんま言われないかな。

むしろ妹みたいって言われることが多いよ」


「マ?ウチらん中じゃ一番お姉ちゃんっぽくね?

…あ待って三年?」


「え?うん。

待って、皆二年?」


「そだよ〜。遥は?何年?」


「あ、えっと…二年」


僕のことは普通に遥か…。いや別に、期待してたとかそう言うわけじゃないけど…。


「マ?タメじゃんよろ〜」


舞菜はそう言うと、僕の手を軽く握り、握手をしてきた。

なんか、ここまで距離が近いとと言うか、距離感を気にされていないと、それはそれで気が楽だな。


「てかあ、唯も遥もメッセのアプリやってるっしょ?ID交換しよ!」


「いいね!しよしよ!」


「…

 …えっ?」


矢継ぎ早に展開される会話についていけず、反応が遅れてしまった。

…ヤバい。

僕のメッセージアプリのアイコンはゴリゴリのすっぴん。つまり男の僕だ。メカクレで司馬と桜井と肩を組んでるプリクラだ。

やってないと嘘を吐こうにも、きょうびメッセージアプリを入れていない人間なんて、よほどの機械音痴かガラケーの民くらいだろう。


くそ…こんなことになるなら時計の一つでも買っておくんだった。なに麦茶を飲みながら呑気に電車の時間を確認していたんださっきの僕!おかげで「実はスマホ持ってないんです」が使えないじゃないか…!

このままじゃ男ってバレる…

アイコンを変える時間は…ない…ヤバい…ヤバいヤバいヤバい!


「ほら、遥も出して」


くっ…ギャル過ぎるだろ舞菜…

知恵を絞るんだ僕…なんとか男だとバレないように…

違和感のないように…


「みっ…皆で撮ったやつアイコンにしたいから…先に写真撮ってもいいかな…」


僕は天才か?


「えっ!何それめっちゃいい!撮ろ撮ろ!」


すると舞菜が今度はすかさず同意してくれた。

やはりと言うか何と言うか、さすがはギャルだ。


「いい?皆寄って!

唯てゃもうちょっとしゃがんで、遥もうちょっと詰めれる?

いくよ?はいチーズ!」


天才的なひらめきでその場をしのげたのも束の間、舞菜に勢いよく腕を引かれ、そのはずみで僕の手の甲が彼女の胸に当たってしまった。


たわわというわけではない寧ろ控えめなサイズ感だからこそ、より一層それがそれであるという事実が僕の心に沁みた。

感触が勝手に反芻される。

僕の手の甲から全身へ、水面に起きた波紋のように広がっていく…

目の前が、溶けだした入浴剤のような泡に飲み込まれ、真っ白になった。



そして気が付くと僕は、駅前の通りを唯と二人で歩いていた。


「…はっ!」


「わっ、何?どうしたの?」


唯は僕の声に反応すると、心配そうな面持ちでこちらを見つめてきた。


「ご、ごめんなさい!ちょっと、ぼーっとしてて…」


思わず立ち止まりながら弁明する僕を、唯は怪訝そうに伺ってくる。

見つめられることに慣れていない僕は、落ち着かない視線を泳がせるしかなかったのだが、それが功を奏した。

歩道側に立つ彼女の背後、その店頭に張られた硝子には、反射した僕らが映っていた。

僕の視線に気付いた彼女もつられるように硝子を見る。


「思ったけどさ、私たち、顔似てるよね?」


「あっぼ…私も、思いました」


髪型はかなり違うが、唯は綺麗系であるのに対し、僕は自分で言うのは恥ずかしいが、どちらかと言うと可愛い系の顔立ちだ。目尻がキレているかタレているか、僕らの顔にはそれくらいしか違いらしい違いは無いように思う。


「パーツが似てるのかな?」


そう言いながら唯は硝子に寄り、腰を少しだけ曲げ、膝に手をつきながら前髪をいじりだした。

何の気なしに僕もその隣に立ち同じ動作を取ると


「なんか双子みたい」


硝子越しにはにかむ彼女と目が合った。普段は人と目が合わないよう意識している僕だが、このように不意に合ってしまうことはやはりある。そうなると僕は相変わらずと言うか、つい目を逸らしてしまうのだ。


「…もしかして遥ちゃんって、人と目合わすの苦手?」


「あっ…はい。

わっ私、自分の顔があまり好きじゃなくて…」


女装に違和感がないことから伝わると思うが、僕はかなり女顔だ。

そのせいでオトコオンナとからかわれたこともあるし、ホモだの受けだの、ありもしない噂を広められたこともある。

そのため目を合わす、また「人に顔を見られている」という状態にストレスを感じてしまうのだ。


「そう?私はね、自分の顔大好きだよ?

だってほら、結構可愛くない?」


唯は「好きじゃなくて…」から言葉を繋げられずにいた僕に体を向けると、笑顔を見せてそう言った。

それは、目尻を細めわずかに歯を見せる、アイドルや女優がするような笑顔だった。

それを慣れたように自然に向けてくる彼女は確かに可愛かった。

語調が落ち着いているからローテンションな印象を受けるが、中身は意外と明るい…ギャップか…。


「だから遥ちゃんの顔も私は好きだよ。似てるからね」


今まで感じたことのない何かに胸のあたりを締め付けられるような、そんな感覚に僕は言葉が出てこず、まごまごとしていると


「今度はさ、二人で遊ぼうよ」


そう誘われた。


「えっ…あ、はい!是非!」


「やった」


健全で真っ当な男子高生は単純だ。綺麗な人からの誘いを断るなんてこと、出来るわけがないのだ。

彼女は先に歩き出し、立ち止まったままの僕を振り返る。何気ない動作に目が惹かれる。


「もう少し冷静になれよ僕…」


暮れてきた空を背にして笑顔を向けてくる彼女を見ながら、そう小さく呟いた。



唯は駅前のマンションに住んでいるらしく、僕とは途中で分かれることになった。

女顔に細い身体、そして地声が高い上に、女性っぽい声と喋り方を意識していたからか、僕の女装は最後までバレなかった。

電車はかなり空いていて、左右が空いている席に座れた僕は目を閉じた。

いつもならあっという間の一駅をどこか長く感じながら、焼き付いて離れない彼女の笑顔を、つい反芻してしまう。


火傷しそうな程頬が熱いのは、きっと、冷めやらぬ残暑のせいだ。



* * *



「ただいま」


ここに私の居場所はない。ここに私の居場所はない。ここに私の居場所はない。ここに私の居場所はない。


半端に閉められたカーテン。

その隙間から射す茜色の斜陽に照らされた机の上には、山のように積まれた吸い殻。空っぽの缶チューハイ。


遺影。


あの人の最期。


お風呂とトイレとキッチンと、あとは私の部屋だけ。リビングはあの人のだから、あの日のまま。


二人で使おうと買った冷蔵庫も、結局私専用。


私の部屋の、机の上。昨日洗った灰皿。ポータブル扇風機。


夕方からお酒が飲めて、開けた窓から街を見下ろせて、煙草が吸える。私は今日も大丈夫。


「遥か彼方の遥ちゃん」



遠い、遠いあの山に、この煩い陽が吸われるまでは、部屋の明かりは点けない。



私の居場所はここ。私の居場所はここ。私の居場所はここ。私の居場所はここ。

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