#2 何が起こってたんだ
今朝は、ひと電車乗り遅れて出社した。「おはようございます」の声に
「ギリ出社って珍しいですね、昨日は夜遊びですか?」の声が混じる。
まさか幽霊が見てるんじゃないかと、着替えるのにもキョロキョロしてたら朝のルーティンが狂いまくったとは言いにくい。
電車の中で相手は同級生だけど十五歳の少年で自在にどこにだって行ける幽霊だ。三十三歳のおばちゃんの寝起き早着替えを覗きに来るとは思えんわなあと、十分自虐したからこの話はこれでオシマイ。
席についたら山崎がディスプレイ見ながら
「昨日すみませんでした、大丈夫でしたぁ?」と一応聞いてきた。
課長席を見ると空だったから
「うん、課長もう資料持って先方に行ったみたいだしね」と答えたら杏奈が
「ほら、心配いらないって言ったでしょ。チーフは〝できる子〟なんだから」
と言いやがった。〝あのなあ〟と言いかけたら
「違う違う、〝ばっつぐんにできる子〟だよ。ねっ」と山崎……
それってフォローのつもりか?
「ぬくとかうね ぬくとかうね」
心で唱えたはずが声になってしまい自分でびっくりしてたら山崎が食いついてきた。
「なんですそれ? ぬくとか…… って」
「なんでもない、元気の出るおまじない。さっ仕事仕事!」
また一つ一つみれば違うんだけどザックリ眺めたらおんなじ一日が始まった。うっかり声に出したが、あれは山岡女史直伝の心を静めるおまじないなのだ。静める心のなさそうなあんたらには教えない。
ぬかにくぎ とうふにかすがい うまのみみにねんぶつ
こいつらには何言ってもムダという時、自分がイラつかないおまじない。
私のはその短縮形。山岡さんは一体何百回唱えたんだろうか。
昼休みは近くの公園に行った。公園の周りには複数のキッチンカーがやってくるが、ケバブランチの車は週一回しか来ない。ようやく猛暑を抜けた気持ちのいい季節、週一ケバブは外せない。
遠くに噴水の音を聞きながらベンチを独り占めしてかぶりつく。これよこれこれ! と思った時、強い冷気にゾクっとしたと思ったら市川が横に座っていた。非難がましく「さぶっ!」と言ったら「あっ ゴメン」と離れてしおらしくベンチの横に立ったからベンチの端に移動して反対の端をアゴで指し「座ったら」と言った。
けど、霊って座る必要あるのか?
だが、市川はベンチの端におとなしく腰かけた。白シャツに黒ズボンはどこから見ても中学生。今もし姿が見えたら一発で補導されるな。
「それ何だ? 美味そうだな」うん、中坊らしい第一声だ。「ケバブって言うんだ、中東の肉料理。美味しいよ」「へえ~」気の抜けた返事、そら食えないもんね。
でも、匂い位は分かるかなと思って鼻先につき出したら「くっさっ」と言って横向いた。そっか、仏に肉は禁物だったか。やばい、私は仏になる前に思いっきり肉食べとこ、精進料理ばっかじゃ死んじゃうもん、あっ、死んでんのか。
クスッと市川が笑った。
「なんだよ、心読むなよ」
「何でも読める訳じゃないけど、お前のダダ洩れだから」
「もし市川の心が読めたらなんか役に立てるのかなあ、私」
「無理だよ、自分でもよく分からないんだから」
光の繭の中で浄化され、成仏して魂だけになったら、生まれ変わる。
というのが正規の手順らしいけど、市川には強い心残りがあって成仏できず、舞い戻って来たらしい。
「その心残りが消えれば生まれ変われるんだよね」
「ところがそれが何だったのか、全く思い出せないんだ」
「十八年も心に残ってたのに? お母さんは? 行ってみた?」
「再婚してた。俺と同じ年の娘もいて幸せそうだった」
「同い年の妹か。そりゃあびっくりだな。じゃ、昔の彼女とか」
「そんなんいないわっ!」
「そらそうか、市川だもんね」
「大きなお世話だっ!」
「彼女じゃなくても、密かに好きだった子は? 告白せずに死んじゃったのが無念とかありそうじゃん」
「そ、そんなもんもいるかっ」
「わぁ~ 照れてる? きゃっわいい~」
また市川が消えた。
それから市川は姿をあらわさなくなった。助かったと言えば助かったけど、やはり出て来なきゃ来ないで気になる。冷たい風が吹くだけで、来ているのかと思ったりする。まるで昭和の待ち合わせみたいにこっちからは連絡できないからただ現れるのを待ってるだけ。
無事成仏してるんならいいけど……
いやそれならそれで一言挨拶に来ても……
まさかあのまま浮遊霊や地縛霊になって、なんて事ないよね。
秋風が木枯らしに変わる頃、久しぶりに亜矢とゆかりから招集がかかった。二人は中学の同級生で、私が帰国して入学した大学で再会して以来の連れだ。といってもお互い社会人になってからは、年に3回程度も会えれば御の字なんだけど、会えば大学生というより女子中学生に戻ってしまうからこの飲み会は本当に楽しい。
近況に昔話、仕事の悩みや家族のグチと一通り廻った頃には酔いも回り、気になっている事が口からこぼれた。
「ねえ、中学の同級生で市川って覚えてる? 」 僅かに間が空いて、
「ああ、あの子ね、亡くなったのよ。知らなかったっけ」
姉御肌の亜矢が唐揚げに箸を伸ばしながら、私の方を見ずに答えた。
おとなしいゆかりは下がり眉毛をさらに下げて困惑し、
「どうしたの? もうずいぶん…… 十五年位前の話でしょ」
「十八年だよ。じつはさあ、この前夢に市川が出て来たのよ。夢の中でも最初は誰だ? って思ったくらいだったんだけどさ。あの子、中学の時に事故で死んだのは聞いてたから、なんで私の夢に出てきたんだか、ちょっと気になってね。ねえ、事故ってどんなだったの? 」
不自然なのはわかってたから、予め用意して来た言い訳だったけど、夢に出たと言ったら、ゆかりは固まってしまい泣きそうになった。
「なになになに、古山奈緒さんの初恋の人は市川陽介くんだった。ってこと? 」 亜矢の茶茶もなんか固いし、ゆかりは黙ったままだし。
この話はもうやめようかと思ったが、言葉が勝手に飛び出した。
「ふたりは何か知ってるよね、私の知らない事。どうして私だけのけ者なの? 夢の中の市川、すごいおどろおどろしい顔してたのよ。気になるのよ。教えてよ」
突然、冷気が後ろを通って背中がゾクッとした。市川来てる。
ゆかりは亜矢の腕にしがみついている。〝おどろおどろしい〟は言い過ぎたか。
二人は顔を見合わせて、アイコンタクトを取ると亜矢が座り直した。
「そこまで言うなら話すよ。でも奈緒はきっと、聞かない方がよかったと思うよ。
それでもいいのね」
もちろん、今日はこれを聞こうと覚悟を決めて来たんだから。
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