Ⅺ-ⅱ

「家康公の出した大命とはすなわち、何れ世界の何処かで起きる工業革命の火種を、未然に摘み取ることだ。世界の有り様すら変えるそれら全ての芽を先んじて刈り取ること。だがそれも、俺の祖父の代で潰えた。父は幼い俺を連れ、家康公の最後の遺命を果たすべく東を目指した」

 男の口調はいつしか独白のそれへと変わっている。目の前の夷人の出自がどうあれ、首を刎ねれば死ぬことに変わりはあるまい。心の臓がふたつあるという類の話でもなければ、聞く価値はない。

 機腕そのものでなく檻籠を斬ればどうか。

 どこを斬る。歯車の車軸、逆流弁、あるいは結合部か。蒸気機械への知識が乏しい。

「戦の時代だった。だが戦は俺の想像する物とは違った。強者を見た。強者の死を見た。数に押しつぶされ、流れ弾にうち倒され、飢えに毒に病に死んでいく強者たちを見た。無双と信じた我が父もまた、道半ばにして鉛玉に頭を撃ち抜かれて死んだ」

 懐かしむように、機腕は己の鋼鉄の左腕に視線を落とす。昇降機は上昇を続け、既に歯車の噛む軌条は岩壁ではなく天守の内壁に設えられている。

 あるいは壁面ごと軌条を斬るか。それで殺せるか。壁を足場に斬り結ぶとして、こちらは汽刀をすでに一度抜いている。高所の取り合いとなれば二度蒸気を噴かせるあちらが優位。結局のところ足場なしの戦いは蒸気噴進の扱いの勝負になる。

「あれこそが家康公の予見した破滅と絶望だ。我らの生まれる遥か前から、個人の武など戦場の趨勢を決する何物にもなりはしなかった。だがそれは武の意味を否定するものではない。武は戦場に集う全ての者にとって何よりも重く、何よりも強い意味を持っていた。戦場の神は、人の振るう剣にこそ宿っていたからだ」

 機腕の男はもはやこちらを見ず、ただ語り続けている。

 甚衛はただ、この軋みながらなおも昇り続ける昇降機の、長い長い軌条の終着点を見据えた。

「人は人のままである限り決して神仏にはなれぬ。大権現とて人として死に、しかる後に祀られたに過ぎぬ。神を神と規定するのは人の営み、その届かぬところ。切り開いた森の境界の向こう、我らのまだ至らぬ場所に神はおわす。それは天象であり、豊穣であり、神は死である。生ある限り、我らは神の御許に傅くこと叶わない。ただ一処、戦場を除いて」

 語りたくば語ればよい。甚衛には聞く耳も返す言葉もない。あるのはただお前を殺す刃と、それを成す殺意だけだ。 

「わかるか。戦場だ。戦場こそが生きながらにして半ば死に、生きたまま神域に立ち入ることのできる、我々にとっての唯一の聖域なのだ。だがそれももう遅い。人は遠ざけられれば死を忘れてしまう。目前の敵を鍔迫り合って斬り殺した時。遥か彼方に向け引き金を引き、一瞬の内に殺した時。そこに存在する死は、己の内に取り込められる死は同じものなのか? 否だ。断じて否だ。殺す手管が進歩すればするほどに、人を殺すという体験は薄められていく。人は人を殺しても死ななくなる。百人二百人殺しても狂わなくなる。毛を抜くほども痛みを負わず、命じるだけで、従うだけで死ぬ。獲物を定め、挑み、迫り、返り血を浴びて食い破る、そんなものはもう戦に必要ない。 戦場から神性が消える。人は鮮烈な体験を失い、戦の神に近づけなくなる。蒸気が殺すは人のみではない。これは神をも殺す毒だ。故にこそ、家康公は己が築きし城と技術の粋をもってして、この穢土に停滞と安定をもたらそうとしたのだ」

 振動しつつ上昇する籠が蒸気の雲を抜けて、眼前に景色が広がる。

 巨大な天守閣の中腹から見下ろす穢土の街並み。既に陽は遥かに沈み、闇で覆われた深い宵闇を裂いて、夜の無い町がその輪郭を灯している。

「この景色を見ろ。夜の闇をものともせず燃え盛る炉と吐き出す蒸気を。これは決して特別なものではない。俺は見てきた。倫敦ロンドンで。巴里パリ巴建バグダッド、そしてなによりここ穢土で。断言するぞ、人の手はいずれ月にも届く。人はあの望月すら我が物にする」

 頭上に懸かる呆れるほど大きな月を機腕が見上げる。

 甚衛はその喉笛を食い破る方法だけを考えている。

「あるいは俺たちが生きているうちに、面白いほど人が死ぬ戦が始まる。だがそこに神はいない。戦場から返り血が、命を引き裂く手応えが消える時、戦から半神の英雄は消える。人は神から遠ざかる。蒸気が神を殺したのだ。闇を駆逐し、病を祓い、地の恵みすら意のままに操る人の叡智が神から人の信仰を取り上げた。神を殺したものは神性を得て新たな神となる。竜を屠った英雄が不死身となるように、神を殺した科学は人々の信仰の拠り所となる」

 わかっていたことだ。

 失われたものは戻らない。脳裏を何度も横切る花の言葉を、甚衛は何度でも嚙み砕き飲み下す。


「ドクターを斬ったそうだな。あれは下らぬ男だが、作るものだけは美しい。粗にして雑にあらず、野にして卑にあらず。ずっと単純でいて、だからこそ完成した美しさがある」

 機腕が刀を抜く。刀身の鏡面が凍り付くような月光を照り返す。

「これが一本目の蒸気刀オリジナル・スチームソード、奴の最高傑作だ」

 死者には何も届かない。

 蒔田円木マキタ ツブラギはサムライで、主家無しで、すぐ殴る偏屈でへそ曲がりなこの世で唯一の甚衛の家族だった。

 家族だったのだ。

 円木は幾本もの刀で腹を貫かれて死に、今はもう、墓の下で眠る白骨に過ぎない。

 もう二度と人の作った飯に文句を言わず、餓鬼以下の馬鹿げた揶揄いは飛ばず、暇に飽かせて甚衛を殴ることもない。

 もう二度と戻らない。人を殴ることしか知らないあの拳骨が、老いさらばえて骨と皮だけになったあの手が。あまりに稀なのでとうの昔に忘れてしまったのに。気まぐれに甚衛を撫でてくれる感触を、もう甚衛は思い出せやしないのに、次の気まぐれはもう永遠に失われてしまったのだ。

「世界を巡って蒸気刀を見つけた。しかしすでに刀に宿っていた神を、銃が殺しつつあった。汽刀はそれを、僅かに延命させただけだ。もうずっと前から武に意味などない。とっくに戦場から神は消えていた。俺たちは亡霊だ」

 だからおれは、奪われたものを取り返すために戦うのだ。

 奴に奪われたおれの人生を、もう一度手に入れるために戦う。


「もはや人は科学を崇め奉る。かつて神と人が渾然としていた時代があった。ここに神と人が地続きである時代がある。いずれ神と人が決して交わらぬ時代が訪れる。剣の時代サムライエイジが終わる。だがまだ剣の神性は消えてはいない。人は牙を欲していたのだ。太古の時代より非力で無力な己が身を食い破る無慈悲な暴力を恐れながら、憧れていたのだ」

 奪い奪われることはこの世の摂理。

 貴様という名の理不尽を、おれという理不尽で叩き返しに来たのだ。

 軌条が終点を迎える。

 機構が膨大な蒸気で辺りを塗り潰し、獣を押し留めていた檻が開く。

 甚衛と機腕。二匹の獣は、爪と牙だけが、おのれらを繋ぐ唯一の縁であることをはじめからとうに分かっている。


 


 俺は。

 機腕の口がそう動く。

 獣だ。剣戟ちゃんばらに夢を見、爪と牙の似姿に心を奪われた馬鹿で愚かな成り損ないの。

 お前もそうだろう。

 言葉はない。それは音より疾い踏み込み故に。

 白煙が晴れる。


 ただ二刀と一合がある。

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2024年9月21日 15:00
2024年9月23日 15:00

SAMURAI AGE 狂フラフープ @berserkhoop

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