完璧令嬢と類まれなる王子による救国の婚約破棄

集金可家持

完璧令嬢と類まれなる王子による救国の婚約破棄

 



 薔薇が香る離宮で密かに行われていたその夜会は、その瞬間、静まり返った。

 人々の騒めきがぴたりと止む。

 ただならぬ雰囲気は言葉なく人々に伝わり、何気なさを装った視線が交わされ合ううち関心は広間の中心に集まる。


「お前との婚約は破棄させてもらうぞ、イングリッド・ウェルシア!」


 伸びやかな美声でレイモンド第一王子がきっぱりとそう告げると、周囲はいよいよ水を打ったように静まりかえった。

 レイモンド王子の眼前には、長い豊かな髪を巻き、絹に刺繍を施した豪奢なドレスを纏う、一際華やかな女性が金地に黒薔薇をあしらった扇で顔を隠すようにして立っていた。

 背筋の伸びた姿勢の良い立ち姿は、今しがた彼女に婚約破棄を宣言した男より少しだけ背が高い。

 そう、彼女こそがイングリッド・ウェルシア公爵令嬢。

 しかし、扇を翻してあらわにした翡翠色の瞳には驚愕の色はなく、むしろ、どこか――退屈そうでさえあった。


「だからお前は嫌なんだよ、イングリッド!」


 レイモンド王子はその端正な顔に引き攣った笑みを浮かべる。

 こんな時でさえも、いつものように落ち着き払ったイングリッドに我慢ならないのだろう。

 才色兼備、文武両道――何をやらせても人目を引き、そして何もやらずとも、ただ立ち尽くすだけでもまた人目を引くほどの美貌のイングリッドは『完璧令嬢』などと呼ばれている。レイモンド王子にとっては目障りなほどに優秀な婚約者だった。


「すごいものを見せてやろう…っ!」


 王子は慌ただしく懐中をまさぐると、紺色の滑らかな絹布を取り出し、無造作にその包みを開く。あらわれたのは古ぼけたティアラだった。

「!」

 周囲は息をのみ、あたりはにわかに緊張に包まれる。

 反応に満足した王子は、自慢げにあたりを見回し、意気揚々とティアラを掲げて言葉を続けた。


「お前たちははじめて目にするであろうこのティアラこそが、我が王家の家宝、光竜の冠…! このティアラを頭上に戴いた女こそが王妃なのだ!!」


 レイモンド王子はその傍らに隠れるように身を潜めていた少女、マリアに目を向ける。

 マリア・ディシア男爵令嬢――。

 誰もが知る、レイモンド王子お気に入りの少女だった。

 桃色がかったピンクブロンドはこの国には稀有で、マリアの他に持ち主はいない。そのせいか、ひどく大人しいのにどこか目をひく、特に男たちの目をひく少女だった。


「見ろ、イングリッド。マリアのこの無垢な瞳を。私の後ろでこうも大人しくに控える献身の心を!」

「……」


 未だ何一つ言葉を返さぬイングリッドに、レイモンドは畳み掛ける。


「お前が喉から手が出るほど欲しがっていたティアラだぞ? …ふふっ…別の女のものになるなんて考えたこともなかっただろう? …お前は光竜の加護を受けるわたしを敬うこともさず……驕っていたんだよ、イングリッド!」


「…驕る?」


 イングリッドは一言、不思議そうに返した。

 落ち着いた、よく通る声だった。


「わたくしも、かなうことならあなたを敬いたかったですわ、レイモンドさま」


 学問はもちろん、高位のものは必ず身に着けるとされる魔術の才も、乗馬も剣技もダンスもなにもかも自分よりはるかに劣り、それだけではなく妬みに満ちた心根を見てしまえば尊敬することは難しい。

 それでもレイモンド王子は特別な存在。

 だから昔は、出来の悪い弟のように思い、それなりに愛してはいたのだ。


――それなのにちっともなびかないんですもの。


「だが終わりだな、イングリッド。お前はお父様とお母さまのお気に入りだが、このティアラの魔力を知らないわけではあるまい?」

「たしかに、そのティアラを頭に戴くのは王家の方だけといわれていますわね」

「そのとおり。マリアと結ばれるためにはその力にあずかるしかない」


 イングリッドは思わず笑みをこぼす。


――幼い頃から言い聞かせてきた甲斐があったわ。


 マリアは国王夫婦に謁見するのは難しい身分だ。

 特に、古めかしい伝統を重んじる国王陛下は新興の男爵令嬢になど、死んでも会おうとは思うまい。

 王子として決して許されぬ愛。

 そうなれば全てを失わずにマリアと結ばれる手段はただ一つ。

 狙い通り、レイモンド王子は王家の宝物庫の最奥から古ぼけたティアラを引っ張り出してきたわけだ。それが自分の意思だと信じて。

 思わず緩む頬を自制する。

 せいぜい悲しんで見せてあげねば。 

 まだ計画がどうなったのかのかわからないのだ。


「レイモンドさま、そこまでマリアのことを? わたくしが思うより愛情深い方でしたのね」

「ふん……もちろんだろう。だがどんなに愛情深かろうが、おまえのような女を愛する男がどこにいる! わたしはマリアと出会い、真実の愛を知ったのだ。彼女の魂の清らかさに触れ…」

 イングリッドは今度こそ笑いをこらえねばならなかった。

 魂の清らかさ!

 肉体の豊満さの間違いではないか?

 マリアの、華奢ながら豊かな胸や尻は、レイモンドの好みにぴったりなはず。不満げにイングリッドのスレンダーな体つきを眺めやる卑しい目から予想した彼の好みは、おどろくほど的中していた。


――本来ならわたくしが誑し込む予定で、何もかも完璧に仕上げましたのに。


 弱い男は「完璧」に怯える。

 そして自分を立ててくれる娘のような、母親のような少女のもとへと逃げ込んだのだ。それもまた罠だとも知らずに。罠から逃げたはずが、より狡猾な罠へと一目散に駆け込む獲物。


「な、お前…笑っているのか!? なにがおかしい…!?」

「ところでレイモンドさま、この夜会、なにかがおかしいとは思いませんこと?」


 イングリッドは小首を傾げる。

 豊かな巻き髪が光を弾くようにして流れる。


「な、なにかがおかしいと…」


 レイモンドは何もわからぬ様子できょとんと立ち尽くしている。

 茫然と立ち尽くすその姿だけを見れば、「美しい」と言ってよかった。

 白く滑らかな肌、金糸のように光を弾いて輝く髪、そして宝石のように深い彩りの瞳。おまけに光竜の加護を受けた王家のものは、人間よりも数十年は長く生きる。それほどまで恵まれているというのに、誰一人惹きつけることができずにいるのは、その内面の空虚さが知れ渡っているからだろう。

 そしてそれ以上に――…。


「わかりませんかしら?」


 イングリッドは一歩前に踏み出す。

 嫣然と微笑みながらレイモンド王子の傍らに置かれていたグラスを手にし、ゆっくりと傾ける。レイモンド王子は気が付いているだろうか。このグラスの中の液体が、見慣れた琥珀色でも葡萄色でもなく、微かな虹色に輝いている意味を。



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 つい先ほど、レイモンド王子は、夜会がはじまるなり、夜風にあたりたいというマリアに導かれて薄暗いテラスに出た。月はなく、星も見えない。

 だが、眼前には王城――。


「見よ、マリア。あれがあと少しでふたりの城だ」


 レイモンド王子がそう言いながら王城を指さすと、マリアは嬉しそうに微笑んだ。


「なんだか、わたしたちのおうちにしてはすこし立派すぎるみたい」


 その愛くるしい受け答えに満足する。

 それにマリアが言うとおり、王城は"立派"だ。

 王家に加護を与える光竜を象った巨大な城で、国の力強さそのものの象徴である。

 その強大な国に第一王子である自分に、できないことなどあるずもない。


 高揚感が満ちていく中、マリアがグラスを差し出すままに酒を口にする。たちまち酩酊するうちに、夜会にいたアカデミアの同級生たちや王家に好意的な貴族たちは立ち去り、よく見れば夜会の客たちは皆、見知ったようで見知らぬ顔ばかりに様変わっていることに、レイモンド王子はまったく気が付かないでいた。

 気づかぬまま婚約破棄の宣言を宣い、そして、不気味な客人たちが皆じっとレイモンド王子が掲げるティアラにのみ熱っぽい視線を注いでいることにももちろん気が付かつくはずもない。



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 イングリッドはグラスを傾けながら、何もしらぬ愚かな――しかし、祝福された完璧な王子に向かって微笑む。

 

「出来れば葡萄酒をふるまってさしあげたかったんですよのよ?」

「!?」


 ようやく慌ててグラスを凝視するレイモンドだが、それでもなお自体を理解できずにいるようだった。


「でも今やそんな贅沢品、わたくしたち貴族でさえ、めったなことは手が出ませんの」

「贅沢品!?葡萄酒なんて浴びるほど…」


「そう、王家の方々だけは別」


「なっ!?」


 ようやく何かに気が付いた、というようにレイモンド王子の声に焦りが浮かぶ。


「あなたがたはいったいどれほどの長い間、贅沢三昧してらっしゃったのかしら。……気の遠くなるほどですわね」

「お前だって飲むだろう、葡萄酒くらい!」

「あなたといっしょのときだけでしたのよ。あなたが世の中のことをあまりに知ってしまわぬよう、わたくしたちは苦心しましたの。…それでもこんなに何も気が付かずにいられるなんて…わたくしには少し信じられませんけれど?」

「世の中…?お前いったい何を……」

「あなたって本当に………美人の話しか聞かないし、お父様が大切なお話をなさっても右から左。ちょっと信じられないほど……でしたのよ。私たちのレイモンド王子さま…!」


 元第一王子の婚約者とはいえ、イングリッドのこの発言は許されるものではない。

 王家への不敬な発言。

 当然周囲の者たちが声を荒げて叱責するであろうと信じていたレイモンドを打ちのめすほどの静けさが広場を満たして続けている。


――この女は何を言っているんだ? わたしに捨てられて気でも狂ったのか?


 沈黙の中、周囲の人々の雰囲気も妙だった。自分を見る目線に、どこか熱っぽい期待が入り混じりはじめる。


「な……なんなのだいったい!? お前たちはこの無礼な女をほおっておく気か…!? い、いや、これは…マリアとわたしのごく親しいものをあつめた夜会で……そもそもマリアをお披露目するための…くそ、イングリッドなどにかまっている場合か!」 


 振り返ればマリアは、レイモンドが惚れこんだ、花が咲くような朗らかな笑顔を浮かべる。


「そのとおりです、レイモンドさま」

「ああ、ああ…そうだよな、マリア?」

「ええ、もちろんです、レイモンドさま」

「だ、だが…」


 ティアラを手にしたレイモンドは周囲を不安げに見回す。

 マリアと言葉を交わす間だけは落ち着くが、しかし――…。

 目の前の権高な美貌のイングリッドは、常にそうであるように表情から何一つ情報を読み取らせはしない。だが――ここはなにかがおかしい。幼いころから遊んでいた離宮に間違いないのに、まるで見知らぬ場所だ。


「そのティアラは王妃の証、だから絶対わたくしにくださいませね」


 イングリッドがわざと幼い少女のような口ぶりで言う。

 出会った頃、まだ6歳の少女だったころから彼に伝えていた願いだった。

 そうだ、何度も何度も懇願された。

 だからイングリッドは錯乱しているのだ。喉から手が出るほど欲していたティアラを奪われて。


「そ、そうだ。お前はずっとこの光竜のティアラを欲しがっていた。王家のものだけに許された冠。これこそが王妃の証だと…!」

 イングリッドは微笑む。

「『王妃の証』――というわけではありませんのよ。レイモンドさま。だって、わたくし以外だれかがそれを口にして?」

「それは…それは、マリアが…いや、母上も……」

 そうだ。

 確か母上――女王もそう言っていた。

 それに、イングリッドとマリアが囁いたのだ。


 わたしたちはその冠がほしいの、あなたの妻になりたいの――と甘く、ときに厳しく。何度も。だが、そうだたしかに父上は……決して触れてはいけないと――…。



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 薔薇の香りが今よりなお強かった五月の昼下り。


「わたしのような身分の者は、レイさまとは結ばれることはできませんよね…」


 マリアがそう言ってすすり泣くのをレイモンドが慰めたのは、今から一か月前のことだった。


「だって国王夫婦への謁見もかなわないんですよ?ましてや結ばれるだなんて…」

「だ、だからわたしがお前の父上をの身分をだな…」

「そんな遠い未来のこと、信じられません。どうしてレイ様がわたしなどに本気だと信じられましょう!?なにかしっかり証をいただかなければ」


「証…?」


 レイモンドの頭に閃いたのは、もちろんあのティアラのことだった。


――『王妃の証』


 幼いころからイングリッドが「王妃の証」だと言っていたあの古ぼけた、それでいて宝物庫の奥底にいかにも大切そうに鎮座しているティアラ。

これをマリアに授けてしまえ、と思いきるまでにそう時間はかからなかった。


「近くわたしの自由になる離宮で夜会をひらく。そこでお前にティアラを授けよう」


 ティアラを戴いた女こそが王妃なのだ。

 証人として誰か適当な貴族を呼べば良い。叔父ならば信頼があり、それでいて金でいいなりになるだろう。

 マリアは涙をぬぐい、やっと微笑んだ。安心したようにレイモンドに身を寄せ、「やっぱり大好きです、レイさま」と彼を心地よい愛称で呼ぶ。

 イングリッドとは違う。

 安心して身をゆだねてくれ、そのことでレイモンドを安心させる。

 男爵令嬢が王妃になった例は過去にもある。

 何が何でもマリアとともに生きていきたい。

 そしてついに、レイモンドは平然とティアラを手に城を出、来るべき戴冠のための夜会にやってきたのだ。

 イングリッドへの婚約破棄、そして続けざまにマリアに衆目ある場所でティアラを授けるために。



 それが何を意味するかもまるで知らずに。

 王子はただ決められた運命の上を歩いた。



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 落雷のような激しい音が聞こえる。

 一瞬空が光ったようにも思えたが、レイモンド王子以外、それを気にするものはいない。


「それは決して動かしてはいけないもんだったんですよ。レイモンドさま」


――それ…『光竜の冠』のことか…


 目の前のイングリッドが、どこか見知らぬ女のようにも見えてくる。

 10年以上を共に過ごしたというのに。

 豊かな睫毛の影が瞳に落ち、蠱惑的な翡翠色はほの暗い沼のようにレイモンド王子を逃がさず、溺れさせようと手足を絡めとる。


「…それにしては、警備の騎士様たちは手薄でしたでしょう…?わたくしたちがあなたの宝物庫破りをこっそりお手伝いさせていただきましたの…」 

「ど、どういう意味だ…?」

「それに…きっと油断もしていたと思いますわよ。だってそのティアラ、王族以外のものが手にすると聖炎に包まれ死んでしまうんですもの」

「な、なんだと…?」

「光竜の冠、またの名を王家の守護冠。初代国王が光竜より授かったといわれる永遠の護符。その冠は竜のすまいであった王城を強い魔力で守っていた。どれほどの魔法使いであっても太刀打ちできないほどの強大な力で」


――なんだと?


 レイモンドがそう言葉にするよりも早く、マリアが傍らから素早く立ち去り、イングリッドの前に音もなく跪く。


「!」


「本当にご苦労ね。"マリア・ディシア男爵令嬢"」

 イングリッドはこの美しい部下――少女を演じるにはいささか無理があるはずの年とは思えない若々しい美貌の諜報員に――心からのねぎらいを伝える。彼女が七か国語をあやつる才媛だと知れば、レイモンド王子はひっくり返るだろう。



「どういうことだぁああああッ!!!!???」


「落ち着いてくださいませ、レイモンド王子様。今にそれどころではなくなりますわ」


 テラスへと至る観音開きの硝子戸の向こうにひろがる夜空が、唐突に煌めく。

 ぱっ、ぱっ、と断続的に空が真っ白に光っては消える。

 今頃王城は、第一魔法隊とトルキア王国軍による砲撃を受け、なすすべもなく崩れ落ちているだろう。   

 国王は生け捕りにできたでろうか?

 古い伝統だけを重んじ、民を搾取し続け、この国を芯から腐らせてしまった王家の最後を飾る国王。

 どれほど長い間、あの王家を打ち倒すための幾通りもの計画がこの国では立ち上がり、そしてむざむざ斃れたのであろうか。イングリッドが知る限りでも、この十年で八十余りの策が試され、そして失敗した。何人もが死んだ。イングリッドの父もだ。


 光竜が特別な加護を与えた人間たちが加護の上にあぐらをあき、怠惰と欲望に支配され、またたくまに国の形が腐り崩れだしてから、既に三百年あまりが経とうとしている。

 光竜たちは人間に惜しみなく与えた。

 しかし彼らの恩寵は人の身には過ぎたものだった。


 王家のものたちは本質的に人間から離れてしまったのだ、とイングリッドの父は言っていた。


 強い肉体や優れた能力を得たことで、どこか人間の弱さを他人事のように感じてしまい、国民への関心も失いつつある。王家のものたちはまるで自分たちとは異なるひどく弱い種が、弱さ故に滅ぶことを他人事のように眺めているのだと父は言う。

 ウェルシアの者たちは王家に懐に潜り込み、彼らを油断させるべく何代にもわたり用心深く立ち回ったが、王家の者たちはそれを上回るほど慎重だった。人を見くびっているくせに、決して人を信用せず、長きにわたり王家を守護する『光竜の王冠』と王家の敵を薙ぎ払う『光竜の牙』の家宝については一言たりと情報を洩らさなかった。

 それでも、ある時にはウェルシア家の手のものが王妃として王家に嫁ぎ、ある時にはウェルシア家の手のものが王家の教育がかかりとして王家に召し抱えられ、少しずつ――…少しずつ、牙城を崩してきたのだ。


 そんなときにあらわれてくれたのがレイモンド王子だった。


「レイモンド王子。本当にありがとうございます…! ただひたすら無知で、女好き、親のいう事もまったく聞かない、何も学ぼうともしない馬鹿な王子様。あなたがわたくしたちの前にあらわれてくださって…」


「なんだと!?」


「この国のすべての人間があなたの存在を何年も――…いえ何百年も待っていましたのよ。あなただけが、慎重で疑り深い王家にようやく空いた小さな穴だったんですもの」


 …どーん、と場違いな音が響く。

 そして窓の向こうが華やかに輝く。夜空に小さな花がいくつか煌めいた。

 ぱらぱらと火花が消え残って散っていく。

 花火だ。

 それはあからじめ定められた兄からの合図だった。

 イングリッドは広間の人々に向き直る。


「皆様ありがとう。今このとき、王家を打ち破ることができました」


 静かなため息が広場に満ちる。

 そして嗚咽。

「やっと…やっとのことで…」

 マリアも泣いていた。彼女の父は、国王の不正を糾弾して斬首され、首は城門に晒されたのだと聞く。釣られるように人々は落涙し、そして拍手をしたり、肩をたたきあったり、互いの労をねぎらう。



「おい!!??どういうことなんだっ!???マリア――…いや、イングリッド…!!!イングリッド貴様!!!!!」


 大声で叫び声をあげるレイモンド王子だが、もうそちらを気にするものはいない。その声をかき消すほどの音量で楽団が演奏を始める。踊りだす娘もいる。あちこちで笑い声が聞こえる。

 この国では久しく聞かれなかったほど朗らかな声がそこかしこみ満ちてゆく。


「いったい…これは…」


 レイモンド王子は、たっていられないというふうに柱に凭れ、ようやく自分が飲まされたのは毒――でなくとも肉体の自由を奪うための何かだろうと理解しはじめていた。眩暈がする。これは夢なのだろうか。そんなことを思いながら尚もイングリッドを睨みつける。

 見知らぬ逞しい男に手を取られ、今にも踊りだそうしていたイングリッドはちらりとレイモンド王子に視線を向ける。その暗い翡翠色の瞳はどこまでも美しく――初めて見初めたその時のままに、悔しい程の深い色を湛えていた。そして憎らしいほどに魅惑的な笑み――…。


「イングリッド…」

「あらあら…もうすぐ楽におなりよ。レイモンド王子」

「………お前という女は……俺は、俺は、はじめから我慢ならなかったんだ……」


 イングリッドはくすっと微笑む。

 見たこともないほど優美で軽やかな笑みに、レイモンド王子は眩暈がなおいっそうひどくなる。一目見た時からわかっていた。この女には叶わないと。


――だから逃げたはずなのに、イングリッドを捨ててやったはずなのに…俺は一体……これは何なんだ……。


「生まれてきてくれてありがとうございます。レイモンド王子。国民を代表して御礼をお伝えいたしますわ」


 優美なカーテシーが、意識が遠のく中でレイモンド王子が最後に目にしたものだったかもしれない。

 男たちに荒々しく縛り上げられて連れ出されていくレイモンド王子は、遅まきながら情けない悲鳴を上げていた。しかし、その甲高い大声は、イングリッドの耳に届くより早く、城下街の人々の歓喜の叫びにかき消されていった。


 まだどうなるかはわからない。

 だがこれまでよりはきっと。

 光竜の加護を失ったとしても、この国は良い国となるだろう。


「……ここからはじまるのね。がんばりましょうね。マリア」

「ええ、お嬢様…!」


 今、疲れ切ったこの国にようやく安寧が訪れようとしている。

 レイモンド王子の類まれなる愚かさとウェルシア家の類まれなる完璧令嬢によって。



 END

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完璧令嬢と類まれなる王子による救国の婚約破棄 集金可家持 @SyuukinkaIemochi

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