始まり~午後15時07分~
「お姉さん、俺と結婚しよ?」
突然持ちかけられた話題に、まな は食器洗いをしていた手を止める。
自身の手元にあった視線を静かに上げれば、目の前のカウンター席に座る若い青年と目が合った。
カウンターテーブルに片肘を付き、にやにやとした笑みを浮かべたその青年は、30分程前カフェに入店してきた新規客だ。
「……それは、どういった意味でしょうか?」
軽々しい口調に嗤笑したような表情、なにより、自分と青年は初対面。
これは、からかいの類だ。
そう判断した まな が、営業スマイルを作りながら冷静に返すと、青年はニンマリとした笑みを浮かべた。
「だから結婚だよ。結婚。俺と結婚しよ?」
「結婚って……私とは初対面ですよね?」
「うん、そう。でも俺、お姉さんに運命感じちゃったんだよね」
「運命、ですか?」
「そう運命。初対面、パッと見で運命感じるって、ロマンチックじゃない?」
ロマンチック。
その言葉を聞いた途端、まな の脳裏には両親の事が思い浮かんだ。
いつも仲睦まじい様子の両親を見て育った まな にとって、結婚は素敵なものという認識であるし、素敵な男性と結婚することは憧憬だ。
しかも、大好きな両親の出会いはこのカフェで、父が母に一目惚れし、声をかけたのが始まりだと聞いている。
そんな まな からすれば、“大好きなカフェで運命を感じたと求婚されること”は、ロマンチックな事柄に該当する。
がしかし。
今目の前の青年に対しては、全くそう思えなかった。
容姿の好みは、さておき。
ロマンチックに思えない1番の理由は、青年の態度にある。
自分に惚れているとは到底思えない軽薄な様子は、いくら憧れのシチュエーションを体現されたとて、胸が高鳴るわけが無い。
それ所か、青年は まな に悪印象を与え続けている。
入店時から、自分は有名人ですと言わんばかりの雰囲気を出していた青年。
注文時の
苦手。迷惑な人。
青年が話しかける度に彼の印象は悪くなり、まな の中には、関わりたくないと思う気持ちが強くなるだけだった。
「あれ、お姉さん。ビックリして固まっちゃった?」
黙考していた まな に、青年はおどけた様子で問いかけてきた。
こちらをじっと見ながら、ニヤニヤと笑う。
馬鹿にするような口調と態度に、まな の青年に対する苦手意識は高まっていく。
関わり合いたくない。
そう強く思った まな だったが、青年の後方に居たお客の様子が目に入った事で、Noを示せなくなってしまった。
声をかけてきた青年の後ろ、テーブル席には、2人組の若い女性。
うち1人が、スマートフォンを まな 達のほうに向けて持ち、やじうま根性で撮影していたのだ。
SNSでの投稿、発信が普及している昨今。
撮影された動画は、何処かのSNSサイト内に投稿されてしまうのではないだろうか。
目の前にいる青年の事は知らないが、本人の醸し出す様子を汲み取るならば、有名人の可能性がある。
それを女性客が知っていた場合、SNSに投稿する確率は高まるだろうし、撮られている以上、言動に気をつけなければ、店員のお客への対応が酷いと拡散されてしまうかもしれない。
見えた状況から、好ましくない結果になる事を危懼した まな は、唇を噛み締めた。
安易な発言や断りが悪く取られてしまっては困る。
カフェの評判を落としたくはない。
そう 思いながら、カフェ事業を始めてから初遭遇した、迷惑なお客と対峙する。
「ビックリするよね、だって俺にプロポーズされたんだもん。お姉さん、もちろん俺のことわかってるよね?」
人差し指で自分を指さし、俺、俺とアピールする青年は、ある反応が欲しくて仕方ない。
ニヤニヤと笑みを浮かべカウンターから身を乗り出し、黙ったままの まな に向かって自信満々に己の顔を見せつけた。
「……わ、わかりません」
急に狭まった距離感と不敵な笑みに怯んだ まな が、思わず返答すると、
「えっ?!知らないの?俺だよ、俺!」
青年は声を荒あげた。
次いで、知らないのが悪だと言わんばかりの溜息を吐き、「本当にわからないの?」と顔を顰めながら まな を問い詰め始める。
「ねえ、本当に分からない?」
「……申し訳ありませんが、存じません」
「マジで?!本当の本当に知らないの?てか、お姉さんいくつ?」
「……22歳ですが「22?俺とタメじゃん!俺の事知らないって、マジかよ?!まさか、TAkTAKやってないとか言わないよね?TAkTAKやってたら、俺のこと分からないとか絶対ないから」
やってません。
だから、貴方の事は知らないんです。
そう言って、青年との関わりを今すぐに終わらせい まな だったが、先程抱いた懸念から素直な発言はできなかった。
何より、まな は気づいてしまった。
言葉に配慮しながら自分の思いを伝えたとして、青年は納得しない。
彼が欲しいのは、認知の反応であり、有名な俺にプロポーズされたことを驚き喜ぶ反応だ、と。
まな は、青年の言動を見聞きする中で、彼の真意を感じ取っていたし、彼を知らない自分が何を言っても無意味な事を悟ったのだ。
「はぁー、マジかよ。企画倒れじゃん。最悪なんだけど」
自分の期待通りの反応をしない まな に見切りをつけた青年は、乗り出していた身を引き、カウンター席の椅子にドカッと座る。
そうしてすぐさま、まな に向かって悪態をつき始めた。
「あのさーTAkTAK知らないとか、マジ有り得ないから!あんた本当に22歳?あ、わかった。年齢ごまかしだろ。若い女性が居る隠れ癒しカフェとか言われて、調子こいて年齢ごまかしてんだろ!?」
なあなあ、と返答を強要する青年。
答えなければ収まらない。
そう思った まな は、不安を抱きながら、やむおえず口を開く。
「……年齢を誤魔化すような事は、してません」
「は?じゃ、なんなん?22でTAkTAK知らないって。てか、俺の事わかんないって、ありえなさ過ぎだから。調子乗ってんじゃねーよ、田舎のダサ女が!!」
バンッ。
青年が言葉を吐き捨てると同時、テーブルを叩く大きな音が店内に響いた。
それにより、まな の両肩がビクリと揺れる。
「気分わりーんだけど。ここ、癒しカフェって話だよな?」
「……申し訳、ありません」
「謝ってすむわけねーだろ。気分悪くした分の慰謝料払えよ。慰謝料!」
バンバンと机を叩きながら、要求を主張する青年。
神経の昂った彼は、威喝するかの如く、まな を睨みつけ怒声をぶつけ始めた。
対する まな は、目線はやや下、のシンクに向けているものの、青年と対面する形でその場に立ち続ける。
理不尽な言動を受けながらも、カフェの事を想い、平静に対応しようと努めようとする まな。
しかし、内心は不安に駆られており、争うことなく穏便に……という気性も相まって、どうしたらいいかが分からない。
「……へぇ、無視?店員の癖に、客にそんな態度取っていいと思ってんの?しかも、人気TAkTAKerの俺に」
声を荒あげていた様子から一変。
青年は、声のトーンを下げながら威嚇を始めた。
俺すごい人間なのにそんなんしていいの?
そう取れる空気感を出しながら、カウンターテーブルに勢いよく身を乗り出し、まな との距離を一気に縮めてくる。
「お姉さん、俺にそんな態度していいと思ってんだ?」
「……申し訳、ありません」
「謝罪じゃなくて、どう思うか聞いてんだけど?悪いの?ここ」
青年は言葉を発しながら、人差し指でこめかみを指し示した。
青年の言う、ここが何処なのか。
恐怖心から気になってしまった まな が思わず、下げていた視線を上げると、怒りに満ちた表情が目に入る。
目前にあるそれと青年の威圧的な態度は、まな に力の性差を感じさせ恐怖心を抱かせた。
怖い。
私では渡り合えない。
どうしよう。
どうしたら……っ
追い詰められた まな は無意識に、心の内で“誰か助けて”と救いを求めた。
しかし。
この場にいるのは、自分とお客3人。
目の前で騒いでいる青年、後方のテーブル席に座る
まな は、嘆くしか無かった。
かつてない厄介なお客が来店してしまったこと。
いつもは誰かしらいる常連客がその時には居なかったこと。
それらが重なった、偶然を。
「早く答えろよ。おいっ!」
返答のない事に憤慨した青年が、まな の両肩に掴みにかかる。
まな の両肩、気持ちが恐怖に震えたその時、
「すみません」
凛とした美しい声が店内に響き渡った。
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