期間限定〈限定公開企画〉
相ヶ瀬モネ
葵の上奇譚・現代編・中務教授日記1
あの平安の世界から旅立ち、何度かの生まれ変わりを経験し、しかしなぜか私は、葵の上との記憶を持ったままであり、この例話の世界においては、言語学の教授として、大学に勤めていた。
少しやましさはあるが、何回も生まれ変わったせいか、大概のことにおいては、慌てることもなく暮らしていたが、葵の上との幸せすぎた、あの記憶があるせいか、どの時代に生まれ変わっても、私はあの『私の小さき姫君』であり『私の貴婦人・My Lady』であった、あの方を思うと、何度か話はあったものの、火傷の痕もなく、なんの問題もないのに、相変わらず、モノクロにしか見えない世界で、一人で生き、一人で人生を終えていた。
が、その世界に美しい色彩が突然現れたのは、昭和の時代に生まれ代わり、今生の姉(と言っても、親しい親戚筋のいとこだ。)に、実家関係の一族すべての事業を任せて、言語学者として、世界を回っている時に、いきなり日本に呼び戻された時からだった。
『いや、名字が
久しぶりに帰った日本で、すっかり大きく育った赤ん坊は、あの『朱雀帝』そのものだった。
大学の理事までして、まじめに学生生活を送っている彼を見ていると、性格や外見は、そのままではあったけれど、どうやら何の記憶もないようだった。
「お久しぶりです! 大学の教授と、部活動の監督の件、ありがとうございました!」
「いや、かまわないさ。姉さんには負担を押し付けて、ふらふらしていた恩返しにもならないから」
自分に割り当てられた、大学の個室のソファで、向かい合わせで、コーヒーを飲みながらそう言っていた。これくらいは、人としての義務である。
まさか、そのあとに起こることなど知らないまま。
やがて、『朱雀帝』が姿を消し、そろそろ講義に向かうかと、校内を歩いていると、突然、横の階段の上の方から慌てた声がした。
「ああーー!」
「葵ちゃん!」
その声に気を取られて、思わず階段の上に顔を向けると……大きなリュックが、中身をばらまけながら降ってきて、とにかくパソコンはまずいだろうと、キャッチしていると、そのあと、女の子まで降ってきた。
『間に合うか?!』
女の子を抱きとめようと、もう片方の腕を伸ばそうとして、あっけにとられる。
彼女は階段の上でクルリと回ると、ひらりと地面の上に着地していた。
胴着に紺色の袴姿、あごのラインで切りそろえられた黒髪。
「合氣道部? いくら受け身が取れるからって、もう少し気を付けて……」
気を付けて歩きなさい。
そう続けようとして息をのんだ。
『……葵の上』
「ああ、本当にすみません!! リュックが失礼を!!」
「……いや、リュックは構わないけれど、普通に歩く時は、もう少し足をあげて歩きなさい」
「ああ、パソコン! 受け止めてくださって、ありがとうございます!!」
なんにも覚えてないらしい葵の上は、いまは大学生として生まれ変わり、合氣道をしているらしい。合氣道には限らないが、武道系のけいこを長くやっている人間は、いわゆる『すり足』がくせになっているので、ちょっとつまずきやすい子もいる。
「名前は?」
「一回生、外国語学部の東山葵です!」
少し緊張した、年齢にしては幼い顔が、目覚めた頃のあの人と、重なって見えた。
「東山君……覚えておこう。気を付けなさいね」
「はい! ありがとうございました!」
彼女はそう言ってから、本当に急いでいたのか(多分、部活だろう)床に散らばった荷物を、リュックに大急ぎで詰め直し、最後に受け取ったパソコンを、小脇に抱えて、何度もお辞儀をしてから消えていった。
「……学生証、忘れている」
『葵の上』の生まれ変わり(多分)の東山葵君は、大変なものを落としていった。
なにせ、この今時の学生証は、講義に出席するときには、必ずこれで出欠を、いわゆる『ピッ!』と、通さないと、講義に出席したと、カウントされないのだ。
「今から部活に行くみたいだったな……」
今生の甥、朱雀帝に頼まれて、名前だけは少林寺拳法部の監督をしている彼は、まったく顔を出していない少林寺拳法部の見学がてら、学生証を届けることにした。
武道系の道場は、同じフロアに集まっている。見つけられるだろう。(合氣道の袴は見つけやすいし)
『彼女は、あの時のことを、覚えているのだろうか?』
一方、ふらりとやってくる中務教授の姿を、通称『部室長屋』の窓から見つけた少林寺拳法部の部員は、大慌てであった。
「ちょっ!! 監督がこっちに向かって歩いている!!」
「あの人、古武道なのに、なんで、少林寺拳法まで、うまいかな?!」
「あのさ、さっき、部長もなんだか機嫌悪かった……新入生の入部が少ないって……」
全国制覇というのは、いろいろな部門があるが、いわゆる総合優勝を果たすためには、スポーツ推薦や、はなから段持ち経験者で入ってくる黒帯エリートだけでなく、『未経験者』つまり、白帯を増やして、級の部でも沢山、優勝やら入賞をしてもらわないと、総合得点が伸びないのである。
「だから、ワシは、部長に勧誘に出てくれと言うたんじゃ!」
「だって、株主総会があったから、しかたないでしょう!!」
イケメンで理事という彼が、新入生の勧誘の場に出てくれれば安泰だったのに!!
「今年の未経験者は何人じゃった?」
「……ひとりです」
「…………」
終わった。
彼らは道場のある建物に入る教授を眺めながら、深いため息を付いていた。
しかし、同じ悩みをかかえていたのは、少林寺拳法部だけではなかったのである。
〈体育会・武道系部長連絡会〉
「今年の新入生、未経験者の入部が少なくて……」
空手部主将はため息を付いた。
「うちもなんですよ」
合氣道部主将も天井を仰ぐ。
「……強豪校とはいえ、一般の学生さんには、逆にそこが、ハードに感じるのがネックなんでしょうね」
朱雀部長の言葉に、その場にいた剣道部などの部長も、いや、うちの大学の武道系の部活は、超ハードですよ? そんな風に思ったが、なにせ、彼は理事なので、おとなしく頷いていた。
「えーーっと、私、何をすればいいんでしょうか?」
それから数時間後、葵を始め、花音や、その他、武道系の部員たちは、それぞれの部長や主将にたずねていた。
「人手がたりなくてね、未経験の『級の部』の」
そんな訳で、『初体験者不足』を補うために、それぞれの部活の段持ちたちは、違う部活の『新人』として、各大会に派遣されることに、連絡会で決定してた。
「サギじゃないのかな?」
そんなことを思いながら、少林寺拳法部に、白帯をしめて初めて参加していた葵は、さっきの親切な教授の顔を見つけ、『あ!!』と思いはしたが、いかんせん、黒帯ということは、かなり、それぞれの武道のクセがついているので、それはそれで、苦戦して、その日を終了すると、彼に手招きをされて、不思議に思いながら近づくと、免許証の次に大切な、学生証を手渡された。
「あーー! ありがとうございます!!」
「まあ、そんなわけで、次の大会では、級の部、優勝をお願いするね」
「え?」
中務教授は、そんなことを言いながら、頭をなぜて、レストランの株主優待券を渡していた。
『おそらく覚えていない……』
覚えていないも何も、メビウスの輪になっている彼女には、まだ訪れていない『平安ライフ』であったが、それでも彼は、再び葵の上の元気な姿を目にできて、久しぶりに幸せな気持ちになっていた。
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