#6
崩壊した三英町某市。数分前までの近未来都市の面影などもはやなかった。天候装置のバグも悪化し、雨はさらに勢いを増す。
恐ろしい未確認生物と世界最高のAIとの闘いの幕がついに開けた。
〈アルファ、作戦を開始します〉
アルファが冷静に告げる。
「おいあれなんだよ……こんなの映画でしか見たことねぇよ」
「なんであんなバケモノとイフ社のAIが戦ってるのよ……」
避難していた市民たちはあり得ない状況に絶句。思わず見入ってしまい、逃げることを忘れてしまった。
〈今からAI血管によるターゲットの捕縛を試みます〉
神経を人差し指に集中させたアルファは、巨大なホースのようなものを生成する。
AI血管、それはルナが大学見学で見た医療器具であった。それを投げ縄のようにぐるぐると回し、勢いよく放つ。
一直線にホークスに飛んでいく血管。ホークスは攻撃は貫通しないと鷹を括っているのか、微動だにせず受け止める。
しかし血管はホークスの身体をたちまちに拘束。どんな兵器も通さなかった相手に一矢報いた瞬間だった。
〈う、うううううう……〉
身体に纏わりついた管を剥がそうと躍起になるホークス。地面をのたうつようにもがいている。このままあっさりと決着が着いてしまうのだろうか。
――方や病院の出入り口前は人々でごった返していた。中にいる病人や医療従事者が出られない状況。院内の避難はストップしていた。
「ここには病気の人がいるんです!」
「お願いします! 早く出してください!」
患者たち、見舞いに来ていたものたちが口々に訴えている。だがその声は虚しくも人々の喧騒にかき消えてしまう。
雪崩のように押し寄せる群衆。その中にいるルナとモコだけがそんな光景に違和感を感じていた。
さっきまでのはしゃぎっぷりから一転、ルナは辺りを心配そうに見渡す。
「なんでみんな逃げないの? 危険すぎるよ」
「みんなきっと現実が受け入れられず、動けなくなっているんだと思います」
「そんな……」
絶句するルナ。そんな彼女にモコは言った。
「ルナちゃん、今はみんなに避難するよう呼びかけましょう。考えるのはやるだけやってからにしましょう!」
その提案にルナは顔を見合わせて頷いた。
「みんな早く安全な場所に逃げて!」
「ここは危険です! 立ち止まらないでください!」
二人は人波をかきわけながら、出せる限りの声を張り上げる。
「お、おい逃げるぞ!」
「ありがとうお嬢ちゃんたち」
その声で近くにいた人は我に帰って、避難を再開する。しかし、こんなに大勢の群衆をたった二人だけで避難させるには限界があった。
ルナは青ざめた顔で言った。
「どうしよう二人だけじゃ全員に声が届かない!」
「こんなことで諦めちゃダメです! ルナちゃんはヒーローなんでしょ!」
「……」
勇気づけるモコに、目を逸らしルナは何も言葉を返せない。さっきモコから励ましてもらっといて、また気持ちが揺らぐのか。そんな弱い自分にルナが嫌になっていた時――
「おいおい嘘だろ!」
群衆の中の男の叫び声に、その場にいた全員が一気に緊迫する。
「え、なんで……」
ルナも男が指差した方を見て驚愕。全身から血の気がサッと引いた。
ホークスが自分の嘴で管を噛みちぎり、自由の身になったのだ。
「嘘、アルファの力が通じないなんて……」
信じられないと言った顔でルナは呆然とする。
ルナにとってアルファは完璧で究極のヒーロー。そんな彼女を脅かす存在がいたなんて――。
〈どうやら作戦失敗のようですね〉
まるで威嚇するかのように翼を大きく広げるホークスに対し、アルファは臨戦態勢をとった。
次の瞬間、ホークスは無数の羽を放った。
羽はAIの処理速度より早かった。アルファは躱すことが出来ない。羽はまるで狙っていたかのように、アルファの足に次々と突き刺さった。
〈足のパーツの損傷。今後ターゲットの攻撃を回避出来ません〉
アルファは羽を引き抜こうとするが、地面に食い込んでおりどれも抜くことが出来なかった。
先程とは真逆の立場。さらにホークスは手を緩めずアルファに飛び掛かってきた。電気を纏った爪で何度も引っ掻いた。
一撃。二撃。三撃。原始的な肉弾が、為す術のないアルファを蹂躙していく。
〈損傷箇所65パーセント。これ以上の戦闘は危険です〉
アルファの目の光が点滅し、エラー音を鳴らしていた。
「アルファが死んだら俺たちも死ぬのかな……」
「やっ……やめて……考えたくない」
市民たちも直実に迫るアルファの敗北を前に絶望感を漂わせている。
「どうしよう薄井さん……このままだとアルファが負けちゃう! それだけじゃない、みんなアイツに殺されちゃうよ!」
血相を変えてモコに縋り付くルナ。
モコはそんなルナの肩に手を添えて落ち着かせようとする。
「みたいですね。あの未確認生物に何か弱点でもあればいいんですが……」
モコは必死に目を凝らし、ホークスを観察する。するとハッとしながらルナの肩を揺さぶった。
「ルナちゃんあの怪物の左足見てください! あそこだけ電気が流れてないです」
「……ほんとだ……」
ルナは目を見開いて驚いた。
確かにモコの言う通りだ。冷静になれば見つけられるような違和感にどうして気付かったんだろう。
「もしかしたらあそこを集中して攻撃すればなんとかなるかもしれません」
「アルファに早く伝えなきゃ」
「でもどうやって……ここからじゃ声が届かないし、アルファの近くに行くなんて危険すぎます。闘いに巻き込まれて死んじゃうかもしれません……」
「せ、せっかくいい方法が見つかったのに。何も出来ないなんて……」
モコの言葉に、きゅっと唇を噛みしめるルナ。
こうしている間にもアルファはボロボロになっていく。右腕が引きちぎられ、ナノマシンの破片が飛び散った。
「最後にママに謝りたかった……」
ルナはそう嘆き、ふいに病院に目を向ける。
そこには小さな奇跡が起きていた。
閉じ込められてパニックになっていた患者たち。それを必死に励ましている看護師たちの姿があった。先程までとは裏腹に彼らは落ち着きを取り戻し、不安な顔は消え去っていた。
そんな看護師の中にいた一人の女性を見て、
「ママ……」
とルナは声を漏らした。
遠目からでも分かる。あれは母だ。
きっと自分の娘が心配で仕方ないはず。それなのにそんな気持ちを押し殺し、目の前の困ってる人に寄り添うその姿。それをヒーローと呼ばずして、なんというのか。
自分の夢のために彼女の仕事を否定した己をルナは恥じた。
母も今必死に戦っている。
もう逃げるのはお終いだ。
『......ヒーロー。シャイニングラブみたいなかっこいいヒーローになるの。パパのことは守れなかったけど、ママのことは守りたいんだ。なれるかな?』
ルナの心に幼い自分が問いかける。
「なれるよ。たった今、ヒーローになるから。見ててね」
穏やかな声でルナはそう返事した。あの頃、憧れのシャイニングラブが言った「あなたはヒーローになれる」という言葉を今こそ実現させる時だ。
「いかないと」
ルナは病院に背を向け、ゆっくりと歩みを進めた。その一歩、一歩にひどく勇気を必要としながら。
「ルナちゃん!」
その背中を見送るモコ。
ルナに向かって告げた。
「……ヒーローになってきてください」
それしか言う事が出来ない。
それほどまでに迷いを振り切り、成長した彼女の背中が眩しかったのだ。
そのままルナは小さく頷くと闘いの渦中へと消えていった。
ルナは雨が降りしきる瓦礫の街を一直線に走った。一歩、一歩走るたびにセーラー服や髪が泥に汚れる。しかしそんなことは気にならない。
『誰かのために何かをしたいという優しい気持ち、それがあるだけであなたはもうすでにヒーローですよ』
モコが捧げてくれた言葉。それを胸にルナの心はただ純粋に人助けの精神に突き動かされていた。
アルファの元まで辿り着く。彼女はかろうじて目の光を宿している。あとちょっと遅ければ、その身体が全壊していてもおかしくなかっただろう。
「……間に合って……良かった……」
ルナは膝に手をつきぜえぜえと肩で息をする。息を整えている暇はない。
「アルファー!!」
ルナは自分が今出せる限りの声で叫んだ。
弱々しくこちらに首を向けるアルファ。まさかの事態に驚いているようだ。
ホークスもルナに気付き、思わず攻撃の手を止めた。
〈……あなたは……西波ルナ……ここは危険です。速やかに退避して……〉
事切れそうな声でアルファは言った。しかし、ルナは一歩も引かない。
「嫌……嫌だ……ボクはアルファを助けに来たんだっ!!」
ルナは言葉を継いだ。
「アイツの左足を攻撃して! そこだけ電気が流れてない、きっと弱点なんだよ!」
そこまで言い終えるとルナはもう一度息切れする。その顔は明らかに青ざめたようにみえる。
アルファは消え入りそうな目でホークスの左足を目視する。彼女も起死回生の一手に気付いたようだ。
〈ターゲットの左足に欠陥を検知。勝利確率が上がりました〉
「ボクが時間を稼ぐからその隙に立って!」
ルナの指示にアルファは頷いた。
しかしホークスも黙ってはくれない。巨大な雄叫びをあげながら翼をはためかせる。邪魔をされて怒りが溜まっているのだ。
台風のような突風がおきる。
ルナは吹き飛ばされそうになるを必死に踏ん張りながら、前へ前へと進む。そしてアルファの崩れたナノマシンの破片を掴んだ。
「もう……逃げないって決めたんだっ……!」
ルナは逃げなかった。一人の女子高生に過ぎない少女が、アルファの破片を投げつけて、化け物に対抗しようと必死だった。
蚊に刺されたようなダメージしかくらっていないホークス。だが奴の注意を引くにはそれで充分だった。
よろよろと立ち上がるアルファ。AI義手を出現させ、自らの欠損した腕に植え付けた。
「シャイニングアークだよ、アルファ!!」
ルナの言葉にアルファは瞬時にワードを検索。それはシャイニングラブの光の弓を持ちいた必殺技であった。
〈西波ルナ、私はあなたに感謝します〉
アルファはルナに一瞥したのち、近場に折られていた鉄塔を掴む。鉄塔はアルファの身体と混ざり合うと、巨大な弓矢へと変形した。
アルファは左手を突き出し、巨大な弓矢を構えた。周囲の瓦礫が舞い上がり、エネルギーが集束し始めた。
〈シャイニング•アーク!!〉
黄金の矢は一直線に進みホークスに衝突。
その巨体に星型の斬痕が刻まれ、終焉の最後の叫びを上げた。
そして弓矢は役目を終え、アルファの身体へと吸い込まれていった。
その瞬間、群衆たちの歓声があがる。みな口々にアルファ、アルファとコールをし、彼女の勝利を祝った。
「ルナちゃん……どうか無事にいて……」
その中にいたモコだけは祈るように両手を重ねていた。
病院にいたルナの母は患者の肩に手を置き、安否の分からない娘に思いを馳せる。
ニュースで一部始終を見るしかなかったハル。アルファの勝利に一先ずはホッと胸を撫で下ろした。
イフ社のラボでもアルファの活躍で盛り上がっていた。
助手の一人が興奮を抑えられないような顔で、
「やっと終わりましたね! アルファは医療だけでなく、ヒーローとしてもみんなを救うなんて素晴らしいじゃないですか!」
と沖永に言った。
しかし沖永は心ここに在らずといった顔で、現場の映像を見つめていた。
「沖永博士、どうしたんです?」
「あ、あぁアルファはよくやってくれたよ!」
心配する助手に沖永は急いで取り繕ってみせた。
(これは終わりではなく始まりなんだ……)
沖永は心でそう呟いた。
今回のアルファの活躍の裏に一人の少女の助けがあったことは誰に知られることもないだろう。
それでもルナは満足した笑みを浮かべていた。ヒーローへの大きな第一歩を踏み出せたのだから。
その時だった。急にルナの視界がぼやけた。
「あ……あれ……ボク、どうしちゃったんだろ……」
そのままルナはふらふらと倒れ込んだ。
小さな違和感を感じていた背中。そこから大量の血を流しすぎてしまったようだ。
アルファは人間サイズに縮小し、ルナの側に駆け寄る。
〈西波ルナ、しっかりしてください〉
必死に呼びかけるが、ルナは虚な目でこちらを弱々しく見つめるだけだった。
(ママ……ハル……薄井さん……シャイニングラブ......ごめん……。ボクってば、結局最後は失敗しちゃうんだよね……。ポンコツだなぁ……)
ルナは薄れゆく意識の中色んな後悔が渦巻く。愛する母にちゃんと謝りたかった。親友のハルとまた他愛のない話がしたかった。自分を変える最後の背中を押してくれたモコと友達になりたかった。そしていつか子供の頃の憧れだったシャイニングラブの女優さんに会って、ヒーローを目指して成長した自分を報告したかった。
もうそれが叶わないと知ると、それが悔しくて悔しくて仕方なかった。
〈西波ルナ、今から私が輸血をします。それまではどうか頑張ってください〉
人工血液を生成しようとする。だが出血量が多く、生成が間に合わないことは明白だった。
ルナは自分を救おうとするアルファを見つめながら、彼女と出会ってからの日々を走馬灯のように思い返していた。
(アルファ……最後の瞬間にあなたがいてくれて良かった……。ボクはあなたがいたから、強くなれた。前に進めた。優しさを知れた。そして困ってる誰かを助けたいと思えるようになれた……。ありがとうアルファ……本当にありがとう……)
その時ルナは最後の力を振り絞り、アルファに言った。
「ボクは……」
〈西波ルナ喋らないでください。お身体に触ります〉
アルファは人工血液のプラグをルナの身体に差し込む。
しかしルナは小さく首を振り、こう言葉を紡いだ。
「ボクはあなたみたいになりたかった」
それがルナとアルファが交わした最後の会話だった。
彼女の死を悟ったアルファは呆然とする。
ルナの亡骸を抱き抱えると、彼女の身体はすでに冷たくなっていた。
〈西波ルナ……〉
アルファはこの戦いの影の英雄を抱き抱えたまま、何処かへと飛び去った。
●
灯りの消えたイフ社のラボでは、冷凍保存されたルナのカプセルだけがうっすらと周囲を照らしている。
アルファはカプセルに手を置き、か細い声で呟いた。
〈西波ルナ、彼女は一体何ものなんでしょうか〉
アルファはルナの心が分からなかった。
憧れの存在でも敵わなかった恐ろしい相手を前に、自らを危険に晒し、助けようとしてくれたことが。
バックアップデータにある人間の行動パターンを検索しても、ルナに当てはまるものはなかった。彼女は人間の人智を超えたとでもいうのか。
ルナの死――あそこまで無理をしなければ、それは起こることがなかった。
裏を返せば、自分がホークスをすぐに倒していれば彼女は死なずに済んだ。
アルファは、人類を救済するという使命を果たせなかった現実を否応なしに突きつけられたのだ。
そんな無力を感じるAI少女に、優しく手を差し伸べる存在があった。
「君が気に病むことはない。仕方なかったんだ」
沖永レイ。
アルファの生みの親であり、常に助言を与えてきた存在。
彼女に優しい言葉をかけるのは、今は彼しかなかった。
〈マスター、以前私はAIだから落ち込むことはないと言いました。それならこの気持ちはなんなんでしょうか?〉
「心じゃないかな」
〈心……ですか〉
「君は西波ルナという一人の少女に心を学んだんだ。それは俺たちのようなどんなに偉い科学者でも出来ないことだ」
〈……そうですか。ですが、その恩を西波ルナに返すことは出来ません。私に心を授けてくれた彼女はもうこの世にいないのですから〉
アルファの言葉に沖永は黙って頷いた。
その時、沖永は何か思いついたのかハッとした顔をする。
それは口にするのも憚れるような恐ろしいことだった。だが彼は恐る恐る言葉を発した。
「俺から君に提案がある。自分でも突拍子がないと思うが聞いてくれるかい?」
〈はい、マスター〉
「アルファ、これから君は西波ルナとして生きていく。彼女の人生を引き継ぐことで、君は彼女の大切な人達に何かを与えていくんだ」
少し驚いたように見えるアルファに沖永は真剣な顔で続けた。
「ナノマスクとつい先日開発したばかりのナノスーツとボイスチェンジャーがあれば、彼女の見た目と声になれる。それに君の分析力があれば日常的な西波ルナの喋り方や癖、行動を行うことは可能なはずだ」
〈えぇ、理論上では可能ですが〉
「どうしたのかい? 何か心配なことでもあるのか?」
〈私はイフ社の最重要プロジェクトです。そんな私がいなくなれば社内は混乱に陥ります〉
「それに関しては大丈夫だ。俺がアルファは、極秘プロジェクトに当たって貰ってるから忙しいとか適当に誤魔化しておくよ。時々社内に顔を出してくれれば問題ない」
〈分かりました。ではマスター、さっそく準備に当たらせてもらいます〉
アルファは沖永に頭を下げると、ワープゲートへと歩いて行った。
イフ社の社員更衣室に来たアルファ。ナノマスクとナノスーツを生成すると、それを機械の身体の上から被った。
カーテンで仕切られた更衣室に衣擦れのような音が響く。機械の身体のシルエットが次第に人間の少女のものへと変わっていく。
カーテンがゆっくりと開けられる。
そこにいたのはセーラー服を着た西波ルナだった。
さっきまでAIだったことが信じられないくらいに、上から下まで彼女と瓜二つであった。
●
〈西波ルナ、私があなたの意志を引き継ぎます〉
静かな朝焼けが照らす、西波家の家の前まで来たアルファ。意を決して、喉の辺りを触れる。
「あー……あー」
可愛いらしいルナの声になったアルファ。ボイスチェンジャーの効果によるものだ。
玄関前の指紋認証コードに触れると、扉が開く。
ゆっくりと玄関へと入る。
ここからアルファの女子高生西波ルナの人生が始まるのだ。
アルファは顔を上げ、ルナとしての第一声を発した。
「ただいま」
――――――
AlーPHA
Ver.0.0「AFH計画」
――――――
AlーPHA 光佑助 @roxas_1313
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