#4

 オーディションを前日に控えた日。学校から帰ってきたルナがリビングに入ると、「ルナ、話があるから来なさい」と母の声が響いた。

 その声を聞いただけでルナは全てを悟った。

 とうとうバレてしまった。まさか大事な日の前日だなんて。神様はなんて意地悪なことをするんだろう。


 そんなことを思いつつ、ルナは食卓の自分の席に座る。真夏でもないのに全身から汗が流れ、膝はガクガクと震えていた。


 母はルナが座ったことを確認すると、

「さっき塾から連絡がありました。あなたの娘さんは一度もこちらに来られないんですがどうなってるんですかと」

と心配そうな口調で言った。


「将来を決めるようなこんな大事な時に……あなたは何をしていたの?」


 母はルナに訝しげな視線を向けてくる。その視線が痛くて、辛くて、思わず目を伏せてしまう。


「そ、それは……」


「……このまま隠し通してもいつか分かることよ。正直に話しなさい」


 観念したルナはやっと重い口を開いた。


「実は……特撮ヒロイン役のオーディションを受けようと思ってて……そのための準備をずっとしてたんだ。今まで黙ってたのはごめん……でも、もしそのことを話したらママ絶対反対するでしょ」


「そうかもしれないけど……一言もママに話してくれなかったのは正直悲しいわ……」


「ごめん」


 悲しそうに目を伏せる母にルナはそう返すしかなかった。


「どれだけ私が、パパが残してくれたあなたを気にかけているか……わからないでしょうね」


 その言葉に嘘はないだろう。母がルナのことを愛しているからこんなに心配してくれている。

 でもそのやり方が全く上手くいってない。今まではずっと仲の良い親子だったのに。どうしてそれが壊れてしまったのだろうか。


「この前ルナにパパみたいな苦労はさせたくないって言ったの覚えてる?」


「うん。覚えてるけど……」


「実はあれは私の言葉じゃないの。パパが亡くなる前に私に言った言葉なの。『俺が叶わない夢を追ったせいで、君やルナには随分と苦労をさせてしまった。だからルナには同じ道は辿って欲しくない』って」


「パパ……」


 どうしてこんな大事なことを話してくれなかったのだろう。ルナは亡くなった父を想い、目頭が熱くなった。

 大切な娘の将来を真剣に考えてくれたことが素直に嬉しかった。だからと言って、父の言っていたことには賛成は出来ない。


「だからお願いルナ。ルナが不幸な道を歩んでしまったら、天国のパパに申し訳が立たない。考え直して……」


 母はルナの手をとりながら懇願する。だがルナは小さく首を振りながらその手を振り払う。


「わけわかんないよ……せっかくアルファと出会って、きっかけを掴んだのに」


 ルナが言った"アルファ"という言葉に母は全て理解した。最近ニュースで話題になっていた出来事に娘は触発されて変わってしまったのだと。


「アルファって、最近イフ社で開発されたAIのこと? 分かったわ、この前の大学見学の時にアルファと会ったのね」


「そうだよ。アルファは病気や怪我で困ってる人を助ける不思議な力があるんだよ。まるでテレビのヒーローみたいに」


「ルナもそうなりたいってこと?」


 母の問いかけにルナは黙って頷く。


「それはアルファにだから出来る事、あなたは自分に出来る事をすべきだと思うわ。看護師としてヒーローのアルファを支えるじゃ駄目なの?」


「なんで……なんでママは応援してくれないの……」


 声を震わせながらルナは言った。自分の夢を血の繋がった存在に認められないことほど辛い事はない。この世の誰よりも母に応援してもらいたかったのに。


 しかし母はそんなルナの気持ちを知らず、無自覚にさらに追い打ちをかける。


「ママだって応援したかった。でもなんでパパが失敗した道を選ぶの?」


「パパが失敗しただけでボクは違うかもしれないじゃん。挑戦くらいさせてよ」


「ルナ……」


「明日は大事なオーディションなの。せっかく今日まで頑張ったことを無駄にはしたくないよ!」


 そう言い放ったルナは席を立ち、リビングを後にする。


「待ってルナ、まだ話は終わって……!」


 今の母にルナを追いかける気力はなかった。彼女は以前にも増して疲れた表情をみせていた。



 イフ社のラボの一室に沖永はハルと電話をしていた。


「沖永博士、先日の件対応してくれてありがとう」


 突如起こった街の電気システムの不具合。あの後ハルは沖永に相談。相談を受けた沖永はすぐさまイフ社のラボチームにシステム復旧作業を指示。沖永と彼らの懸命な努力の甲斐もあり、数時間後には元の町に戻っていた。


「あれから何の問題もないみたいで良かったよ。なんてったってイフ社のプリンセスの頼み事を聞かないわけにはいかないからね」


 フッと笑みを浮かべながら、キザなセリフを言う沖永。

どんな言葉もハンサムな彼が言えば、嫌味を感じない。


「街中の電気機器がおかしくなるなんて……さすがにもう起こらないわよね。明日は特に……」


「明日? 明日何かあるのかい?」


「明日は親友のルナの大事な日なの。だから余計な邪魔が入ったりするのはご勘弁願いたいっていうか」


「そうか、そりゃそうだよね」


 歯を出して笑う沖永。


 この際にルナとアルファを再び会わせたいことを彼女に伝えようと話を切り出した。


「あ、それとは別に君に頼みたいことがあるんだけど......」


「何? あたしに出来ることなら何でも言って」


「いややっぱいいや。この件は君の親友の大事な日が終わってからにするよ......」


「そう、それならいいけど。またね」


 ハルが電話を切ったのを確認し、沖永はスマホを机に置く。


〈マスター〉


 すると背後から、冷静な女性の声がした。


「おぉアルファいたのか……」


 振り返る沖永。アルファの彫刻のように綺麗な顔がすぐ真後ろにあり、思わずのけぞってしまう。


「すまないアルファ。西波ルナとの面会はもう少し後になりそうだ」


〈大丈夫です、マスター。私はAIなので落ち込みません〉


 手を重ねて謝る沖永に対して、アルファはいつものポーカーフェイスで答えた。



 迎えたオーディションの日。ルナは母と仲直りする事なく家を出る。

 朝、家から出る時も「おはよう」も「行ってきます」も言えるような空気ではもはやなかった。


 いつも大事な時は母が服を選んでくれた。だが今日に限ってはどんな服を着ていいか分からなかったので、制服のセーラー服を着て行くことにした。

 こういうことでも親子の亀裂が深まっていってるようなことを感じて、テンションがどうも上がらない。


 ルナは駅から少し歩いたところにあるオーディション会場のビルの下までやってきた。役者オーディションってどんな感じなんだろう……なんかドキドキする……。パパもきっと同じ気持ちだったのだろうか。ルナはしばらくビルの外で躊躇してしまい、なかなか中に入れずにいた。


 しばらくすると向こうから可愛らしい女の子とそのマネージャーがやって来る。プロの女優だろうか。オーディション慣れしているような気がして、なんだか気押されてしまう。

 二人がルナの前を通り過ぎると、ビルの中に入っていく。間違いなくオーディションを受けにきたライバルの一人だ。


「よっしゃ! 行くぞ……」


 こんなことで負けていてはアルファみたいになれない。ルナは自分の頬をピシリと叩くとビルの中に入った。

 会場に入ったルナは係員に書類審査通過の通知を渡し、番号の札を貰う。


「13……不吉な数字じゃん……」


 13と書かれた札を付けながら、不安そうに苦笑いを浮かべた。まさか今日も神様は意地悪していないといいが。


 ついに「シャイニングラブ リビルド版」のオーディションが始まった。


 ルナは控え室で待たされている最中も緊張がピークに達し、ここまで来たのに逃げ出したい気持ちで一杯だった。


「11番から20番の方どうぞ」


 序盤の数字だったこともあり、オーディションが始まってすぐにルナの番号を含んだ数名が呼ばれる。


 ルナは審査が行われている部屋に入るとペコリと頭を下げた。

 目の前にはいかにも業界人らしい男二人、女一人の三人の審査員がいる。三人ともカッチリとした黒いスーツを着て、どこか威圧感を感じた。

 ルナの番が来た。


「じゅ……じゅうさんばん……西波ルナですっ……」


 いつも元気なルナには信じられないくらいにオドオドしながら自己紹介した。

 審査員たちはそんな人間には慣れっことばかりに、書類に目を通しながら本題に入った。


「では西波さん、さっそく審査に移らせてもらいます。あなたはヒーローのシャイニングラブ。そして目の前に悪者であるカオスエボルがいるとイメージしてください。カオスエボルはあなたにこう言いました。『お前はヒーローにはなれない。お前は無力でちっぽけな存在なんだよ』と。あなたはその言葉にアドリブで反論してください。では、お願いします」


 それを聞いた瞬間、ルナは焦った。アドリブ演技など演劇部の先輩から教わってなどいない。

 それに自分の夢を否定されるヒーロー。それはルナが今、身を置かれている状況に近いものだった。


 ルナがそう思っていると、一人の人物の顔が思い浮かぶ。

 それは母親だった。なんて自分は最低なんだ。母を悪者扱いするなんて。

 だがここまで来て、背に腹はかえられない。今までの母に対する思いを、ここでぶちまけることにした。


「私は確かに無力でちっぽけかもしれない……それでも私は諦めない! 私はヒーローを目指し続ける!」


 セリフを言い終える。心の底から思ったこと。そんな血の通った言葉が言えた。

 最初の声は震えたが、我ながら最高の演技。これなら合格間違いなしなんじゃないか。

 自信を胸に審査員たちの顔を見つめるルナ。しかし彼らは「いいですね」と軽く褒めただけで次の質問に移った。

 ルナはどうしてと言った気持ちを隠せないまま、いくつかの質問に答えた。心ここにあらずと言った様子でなんて答えたか頭に残らなかった。


 ルナの番が終わり、14番の参加者が呼ばれた。前に出たのはビルですれ違った可愛らしい少女だった。

 少女が前に出る。審査員は先程のルナと同じお題の演技を指示した。


「お前が私の未来を決めるな! 私の未来は私が決める!」


 一切の緊張すらも見せない堂々の演技。長い努力の末に培った自信みたいなものが彼女の表情から感じられた。

「素晴らしい」、「この子で決まりですね」と審査員たちのひそひそ声が聞こえる。


 さすがの素人のルナでも分かった。それは先程の自分を圧倒するような演技だったと。

 たった一ヶ月だけの努力でヒーロー役に抜擢されようだなんて。自分は井の中の蛙。そもそも自分がここにいるのが場違いだったのだ。



 帰りの電車を待つホーム。ルナは自分の無力さを痛感し、ひどく自信をなくしていた。

 オーディションの合否は審議の末、後日通達される。だがあんなレベルでは受からないだろう。


「ヒーローなりたかったな……」


 思わず独り言が溢れる。ホームで電車を待つ人々がこんな惨めな自分を隠してくれるようでただそれだけが救いだった。

 そこにスマホが鳴った。ハルからだ。こんなみっともない状況で話したくなかったが、仕方なく出ることにした。


「オーディションどうだった? あんたのことだから結構自信あるんじゃないの?」


 開口一番に悪魔の笑みを浮かべながらハルが聞く。


「ボクにはヒーローは無理みたい……」


 ルナの声は震えていた。


「え?」と聞き返すハルに対し、ルナは輝きを失った目で続けた。


「どうせ無理だったんだよ。ボクには特別な力もない……それに困っている人に気づき助ける力、ヒーローになりきれるだけの積み上げてきた努力さえもないんだ。最初からその資格すらなかったんだ……」


「……ルナ、どうしたの? あんた今日おかしいよ?」


 いつも前向きで明るいルナがここまで落ち込むなんて。事情を知らないハルには皆目見当も付かなかった。


 その時だった。ルナのスマホの電源が突然切れた。


「ルナ……! ちょっとルナ……!」


 電話越しにハルが呼びかけたが、その電波が届くことはなかった。


 ホームを見渡すルナ。どうやら電源が切れたのは自分だけでなく、他の人々もスマホを手に困惑している。そしてホームの電気が次々に消えて真っ暗になる。


「あわわわわ......!な、何......!?」


 突然の出来事にあたふたするルナ。


「みなさん落ち着いてください。現在駅員が原因を調べるのでそこを動かないで!」


 駅員たちが怒鳴り声で叫ぶ。スピーカーも使用不能ということは全ての電気系統が麻痺しているということだろう。


 その瞬間、信じられないことが起きた。



――ドオォォォォン……ッ!!!



 上空から物凄い速さで何かが飛来。見たこともないほどの巨大な生物らしき何かが出現した。それはバチバチと電気を身に纏う鳥人間のようだった。


 ホームは未確認生物の影響で崩れるように地面が裂けている。

 途端、地響きのような高い音が聞こえる。その高音が空気を震わせ、鼓膜を刺激し、ルナは思わず耳を塞ぐ。化け物の咆哮だ。


 未確認生物は鎌のような爪を振り上げる。前方にいた人がその餌食にあい、赤い血が噴水のように噴き出した。


「早く逃げろ! 殺されちまうぞ!」


 それを目の当たりにし、近くにいた男が叫ぶ。呼応するかのよう人々はもみくちゃになりながら一斉に逃げ出した。

 その時、ルナは逃げ惑う人々に押され派手に転倒した。


「痛っ......」


 すぐさま起きあがろうとする。だがルナの身体は石のように動かなくなっていた。

 怖い、自分はもうすぐあのでかい化け物に殺されるんだ。そう思うと、逃げようにも身体が動かなくなっていたのだ。


 はぁはぁと息があがり、全身が震え上がってしまう。


「誰か……誰か……助け……」


 ルナは助けを求めるが、その弱々しい声はかき消されてしまう。

 ホームには逃げ惑う人々はそんなルナなど我関せずに逃げていく。みんな自分の身を守ることで精一杯なのだ。


 ヒーローになりたいと思っていた。だが、突如現れた恐ろしい存在を前にそんな勇気さえも持てなくなっていた。


 その時――。

 不意に誰かがルナの背中を優しく触れた。

 そして、ルナの背後から聞こえる声――。


「大丈夫ですか?」


 それはハスキーな女性の声だった。

 震える身体でルナは振り向き、声の主を見た。

 あの時、電車で出会ったボーイッシュ少女がそこにはいた。

 

つづく


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