百合

@mikazukiCR

魔女と使徒

我々にとって百合の花は、聖母マリアの御心を表している。百合の花のようにマリア様の心は純白であると同時に、マリア様の慈悲深さや純潔さを百合の花は兼ね備えているのだ。


この村はマリア様の結界によって護られている。マリア様はいつから存命しているわからないが、村の守り神として我々を守ってくれているのだ。更に、迷える旅人の案内人をしたり、村の子供たちとも遊んでくれる。はたまた村で祭りを行うための食料調達や狩りも進んで行ってくださる。マリア様は非の打ち所がなく、まさに【聖母】の名を冠するに相応しい方なのだ。


マリア様の唯一の欠点は太陽である。欠点といっても、マリア様はとても美意識が高い方なので、その美貌を保つために特注の日傘を差して陽の光を避けているということだ。


そのため、マリア様は日が沈む頃から狩りを始めることが多い。夜の森は危険な魔物が跋扈しているため、マリア様からは「危ないから決して近づかないように!」と忠告を受け、皆それを遵守してきた。だが今夜、私はその約束を破ろうと思う。


だって私は、【黒百合】の敬虔な使徒なのだから。



────────────



最近誰かの視線を感じる。


それも純粋な敵意だけではなく、好意も混ざった視線だ。私は気味が悪いと思いながらもその視線に許容し、今日も偽善を行っていた。村を守っている理由はともかく、子供との戯れも、村人への食糧提供も、私の正体を隠し、【聖母】を隠れ蓑にするために過ぎない。


私の正体は【魔女】である。今も昔も魔女という名前を呼ぶことは避けられ、【黒百合】と称されているようだが、そんなことはどうでもいい。私の祖母は遠い昔、この村で平和に暮らしていたにも関わらず、ある日魔女狩りと呼ばれる騒動に巻き込まれ、焼身してしまったという。幼少期から同じく魔女である母にそれを呪詛のように唱え続けられ、いつしか祖母の敵討ちが私の生き甲斐となっていた。命を賭して祖母の敵討ちを行うため、数百年前に旅人のフリをしてこの村に潜入し、遂にこの村の結界を私の呪文でつくりあげた結界に書き換えることができた。魔女である私の力は人間よりも絶大で、事実私の結界に変えてから外敵が襲ってくることはめっきり減った。当然村人は私に感謝していた。次々と私に賞賛の言葉をかけてくれる。だが、分かりきっているのだ。私よりも強い守護者が現れた途端、手のひらを返してその者に縋りつくのだろうし、私に感謝していたことや、私が存在していたことなんて簡単に忘れ去ってしまう。それが人間という弱い生き物の生存方法なのだろう。


しかし、今瞬間この村の人間の命は私が握っている。結界は私の一存で解除ができてしまう。私は【反転】という魔法を有しているのだ。この魔法は私が望んだ対象を【反転】させることが出来る。勿論、結界という存在を反転させて無かったことにも出来るという訳だ。私はこの魔法を魔導書ごと祖母から受け継いだ。あまりにも強力すぎるが故に、1回きりしか使うことが出来ないように魔法に細工がされているらしい。そのため、私はこの【反転】を使うタイミングを常日頃伺っていた。できるだけ多くの村人が村の中で安心しきって暮らしている状態を作り上げるように今まで行動してきたのだ。狩や夜間の外出制限もそのための布石だった。


ある日、出来るだけ安心しきって村の中に固まって眠ってもらうためにある計画を思い付いた。それは、この村限定で【祭り】を開くことだ。内容は───聖母である私の生誕祭とでもすればいいだろう。なるべく外部に気付かれないようにするために、村人には口外禁止と付け加えて、来週の月が一番輝く夜に祭りを開催してほしい旨を伝えた。月が光輝けば輝く程、魔女の力は増す。日が嫌いな理由はいつもより力が抑えられているからに過ぎないのだ。


そんなことはさておき、私が数百年間待ち望んだ日がようやくやってくるのだ。今日は村全体が歓喜の輪に包まれる。私はその瞬間に村を抜け出し、魔物が生息している森へと身を隠す。その後、月が満ちる頃に結界を解除するという算段だ。


私は今か今かとその瞬間を待ち続けた。



────────────



その瞬間を待ちきれず、軽い足取りで森へ向かう。だが、ルンルン気分で浮かれている私とて、相変わらず気味の悪い視線が身にまとわり付いている感覚を拭うことはできなかった。身体が重い。視線の持ち主が近くにいる!そう思って振り返ると、煌びやか指輪を着けたひとりの青年が私の視界に収まった。


落ち葉を纏う彼は私の前で歩行をやめて膝をつき、確かな意志を感じさせる瞳で訴えながらこう言い放った。


「黒百合様、一つ具申させていただきたく存じます。村を滅ぼす、それが貴方様の決断ということでよろしいのですね。例えその決断自身が貴方様の意に反していたとしても。」


「⋯どうして私が村を滅ぼすことに抵抗を抱いていると思った。」

「簡単ですよ、貴方の顔がそう言っているんです。どんな優秀な魔女であっても、どこかしらに綻びは出てしまうのでしょうね。どうして貴方様は村を滅ぼすことに抵抗を抱いているのでしょうか。」


「そうだな⋯私が【黒百合】と呼ばれていた理由にも関わってくるのだが、黒百合の花言葉は知っているか?」

「ええ、勿論。【復讐】【呪い】、あと──────【恋】ですね。」


「そう、【黒百合】の花言葉には否定的な言葉だけではなく、【恋】というプラスにも捉えられる言葉が込められている。かつて、私に恋を教えてくれた青年がいた。その青年がこの村に住人だった。あとは言わずとも理解できるでしょう?」


「私は、【黒百合】の敬虔な使徒です。私から何かを申し上げることはございません。貴方様の望むどおりにしてくださいませ。」


「どうして君はそこまで、魔女という存在に入れ込むのかい?私という存在の醜さはとうに理解している様子じゃないか。」


「多くを語ることでもございませんが⋯」


じっと、青年が私の眼前に現れた時同様に、意志を込めた視線を送り返すと、彼は両手を挙げ、降参のポーズを取った。


「黒百合様にそこまで見つめられては敵いませんね。僭越ながら少しお話させていただきます。」


コクンと軽く頷き、次の言葉を促した。


「私の先祖はこの村の出身であり、数百年と続くこの村の長を務める家系でございました。当然、【黒百合】と称される魔女がいた時代も当家系は存続していました。」


彼は身につけていた指輪を大事に擦りながら話を続ける。


「もちろん、魔女の最後も私の先祖は目にしていたのです。あの時発令された魔女狩りの命は、国の主導で行われていました。当時の村長の手記によると、国に扇動されるがままに村人たちは魔女を弾圧していったそうです。」


「⋯そうか。」


「ですが、村長だけはそれが事実無根だということは分かっていました。何故なら彼は魔女のことをストーカーをするぐらい愛していたからです。明らかに動機は不純ですが、そのお陰で魔女が悪さをせず、村に溶け込んでいたということを彼だけが理解していたのです。勿論、その恋は叶っていません。当時の村長が綴った日記が代々私の家系に引き継がれているがために、魔女のことはある程度理解出来ているのです。勿論、魔女に入れ込んでいる理由もそこにあります。」


彼は擦り続けていた指輪に視線を落とした。


「ですが、私は先祖が愛した貴方様の祖母ではなく、貴方様自身に惚れ込んでいるのです。可憐な姿、声、性格と偽善と称していながらも慈悲深く子供に接する姿、それら全てを好ましく思っております。ただ、【黒百合】の使徒であるが故に、黒百合の花言葉の制約によってか、貴方様に対しても【復讐】【呪い】という感情を抱かざるを得ないという訳です。好意混じりの憎しみが籠った視線は恐らく私のものでしょう。」


あまりの清々しさに絶句した。こいつの家は代々ストーカー家系なのか?というツッコミが脳裏を過ぎったが、それを言える雰囲気でもないので、軽い咳払いを入れてその場を流すことにした。


「なるほど、事情は理解出来た。詳細に話してくれてありがとう。それにしても、使徒という役割というか存在がある事なんて全くもって知らなかったよ。この数百年の間にいつの間にそんなものが誕生していたのか。」


「私の家系以外には魔女の使徒なんて名乗る人たちはいませんよ。あくまで自称使徒だったのですが、いつのまに花言葉の制約というものが我々の身に降り掛かっていたのです。恐らく、魔女という存在を愛しすぎてしまった故の結果でしょうね。」


動機や行動はどうであれ、それ程までに魔女という存在を快く思ってくれる人間がこの世にいるなんて正直夢にも思わなかった。私たち魔女のことを知ろうとしてくれる人間もいるというのに、私は人間のことを知ろうとする努力をするどころか、滅ぼそうとしていたのか。私はこの青年の名前すら知らない。なんて浅はかな魔女だ。仮にも現代を生きる最古の魔女であるというのに、恥ずかしい限りだ。


「ありがとう。人間はあまりにも他力本願で、私たち魔女という存在は、畏怖や力の象徴という風にしか映っていないと思っていた。でも、貴方の家系のように、私たちを【魔女】ではなくひとりの生物として見てくれる人間も居ることを知れた。」


「⋯⋯」


相変わらず、彼は意志の宿った瞳で真剣に私を見つめてくる。


「確かに、この村の人間たちが祖母を迫害し焼身させた過去は変わらない。正直憎い。だが、それが過ちであると同時に真実を知り、愛し抜いた者がいるこの村を滅ぼすという選択を取ることは私にはできない。だって私は【黒百合】であり、愛を司っているのだから。」


「だからこそ、この魔法【反転】は封印しなければならない。この魔法はあまりにも危険すぎる。丁度今宵は月が満ちる、それもあと数分で。」


「貴方様はその魔法を何に使うつもりなのでしょうか、、、?」


口を閉ざしていた青年の口から漏れ出るように質問が放たれた。相当な覚悟を持って発したのだろう。唇の端には血が滲んでいた。


「君はその答えを私から言わせるのかい?私たちの使徒であるというのに、随分と酷なことをさせるんだね。」


青年の初めて見せる動揺っぷりが、自然と私の口元を緩ませる。そのお陰か、私も覚悟が固まってきたことを実感した。


「私は、自分たち【魔女】という存在を反転させる。私は貴方たちという存在を知ることが出来て良かったと思う。繰り返しになるが、私には祖母が愛した村とあなたの先祖が住む村を滅ぼす権利なんてものはこれっぽっちもない。」


初めて青年が目を閉じて話を聞き始めた。私の言葉を一言一句逃すまいと、全身で受け止めている様子が伺える。


「私にはもう生きる気力もない。生き甲斐が消えてしまったからね。もう魔女を必要とする者はいない。君たちには「我儘だ!」と思われるかもしれないが許して欲しい。こんな私を愛してくれてありがとう。」


彼の身体が弛緩したように見える。彼も私を止める気は無いのだろう。そうだ、それで良い。


「短い間だったが、真実を教えてくれてありがとう。私の人生はここまでだ。」


魔女の身体から溢れんばかりの不思議な力が漂う。これが【反転】の兆しだろうか。一回切りにしてはどうも燃費が悪い魔法だ。そうこうしているうちに、魔女の準備が整った。


「【反転】」


その呪文を唱えた瞬間、自分の存在がこの世から消え去ってしまう感覚が魔女の身に降り掛かる。嫌だ!消えたくない!そう思っても魔法の行使は止まらない。もう意識が飛びかけている。もうこの身は持たない。そう思った瞬間、魔女の耳に青年らしき声が聞こえたきがした。


「私───ヨセフにとって、貴方様との長い時間は一生の宝物ですよ、マリア様。」



─────────



もう魔女を知るものはこの世界には存在しない。

村の方からは聖母マリアの生誕を祝う歓喜の声が聞こえてくる。恐らく、村の平和は無事保たれ続けることだろう。


魔女が魔法を唱えた跡には、【反転】の記述が抜け落ちた魔導書と、誰かが身につけていたと思われる指輪だけが月明かりに照らされて残っていた。



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