生のエチュード

山城渉

寝ぼけまなこのアリエッタ


 笑ってゐる 死はしゅわしゅわと笑ってゐる 

 忍び寄っては手を延べて 瞳の震えの止まるのを 

 ぢつと見ては笑ってゐる 笑ってゐる 

 死がひたひたと笑ってゐる 悲喜交交を吸いこんで

 神になった死が笑ってゐる 神になってはこちらへおいでと 

 甘い顔して笑ってゐる 優しく滑らかな悍ましき手は

 たとえば久遠の成れの果て

 あゝ一度 それを振り払った私でも 奴は地獄に堕としてくれるだらうか


「駄作です」

「ひーん!」

 日差しに目を細めつつ、大袈裟な泣き声に思わず耳を塞ぐ。

「泣くくらいなら寄越さないでください先生」

 眉間を指で押さえる。

 朝一番の仕事がこれだなんて。

「だから言ったでしょ!」

 めそめそと引き攣った声が右から左からぶつかってくる。

「おれには死とか命とか、向いてないの!」

「けれど、節は良い感じでしたよ」

「気持ちいい字数と音数でテンポ作れば誰だって良い感じになるよぉ!」

「語感も語彙の選び方にも、先生らしさが出てますし」

「おれが作ってんだから当たり前!」

 目の前の書類がバサバサと宙を踊る。まるで駄々っ子が暴れているかのようだ。

「てかそんなに褒めるんなら駄作じゃないんじゃないのぉ⁉︎」

「いえ」

 退勤前に片付けたのが台無しだ。

「自虐に駆け込んでいるので駄作です」

「うわーん!」

 床に散らばった書類が再び天井まで舞い上がる。

「もう駄目だぁ!」

「先生」

 向かって右側の本棚から、書籍がドミノのように抜き出てくる。反対の壁際では、ラックから射出された雑誌が次々に落下していった。

「もうおしまいだぁ!」

「先生」

「おれは自虐に逃げてエモオショナルを演出したがるやっすい詩人で!」

 彼の声が部屋中にこだましているのか、それとも自分の頭の中で響き渡っているのか分からない。

「凡庸すぎて見向きもされないどころか、目も当てられない、可哀想な自己満足野郎なんだ、わーん!」

 彼が一つ嘆くと、一つ物が落ちる。

 室内はあっという間に散らかってしまった。

 頭を抱えたくなる気持ちを堪えて先生、先生、と呼びかけ続ける。

 しかし彼はもはや聞く耳など持っていないらしく、つらつらと自虐を並べてはそれを自分で喰らってわあわあ泣くのみである。

「どうせおれは──」

 ブツッ。

 堪忍袋の緒が切れる。

「貴方ねえ!」

 手を机に叩きつけた。想定したより大きな音が出て、自分でも驚いてしまった。

 彼は肩をびくつかせた。自分よりも遥かに驚いているようだった。

 一気に静寂に包まれた空間で、最後の書類が床に落ちた。

 瞳いっぱいに涙を溜めた彼を見ていると、胸の内に罪悪感がこみあげてくる。

「す、すみません」

「……ううん、おれもごめん。朝から騒いで」

 それに関しては本当にその通りである。

 出勤直後に、彼が試作を見てほしいと言い出すので、他の支度を急いで済ませたのだ。朝礼や各部署への連絡も早々に切りあげて。

「社長、まさかとは思いますが、部屋で動物でも飼ってるんですか?」

 あまりにソワソワとしていたせいか、社員にそう訊かれてしまった。

 動物よりもっとずっと厄介さ、などとは、口が裂けても言えない。

 しょん、と縮こまる彼を見る。オフィスには不釣り合いな小柄な体が、ソファの上で正座していた。小さな手で、ぐしぐしと目をこすっている。

 何を言っても今はあまり意味がなさそうだ。部屋でも片付けよう。

 手始めに、足元で転がっている電話機に傷がないか確認して、腰をぐっと伸ばした。そのまま散らばった書類に目をやり、うんざりしてため息をつく。

 とはいえ、うちは看板となるような雑誌や書籍、コンテンツがまだまだ不足している。どこの出版社もやってない、または既出でも群を抜いているような企画が欲しい我が社にとって、〝彼〟はそのうちの一つでもある。そこまで無下に扱うこともできない。

「はぁ……」

 折れ目の付いてしまったもの、順番が乱れたもの。一枚ずつ手に拾って重ねていく。どうせまたすぐ床に放られるのだろうが。

「断捨離の本で床が見えぬ」

 暫しの沈黙を破ったのは、幼い声。

 ソファに顔を向けると、彼がこちらを微笑ましげに眺めているのだった。

「〝断捨離の本で床が見えぬ 窓からポイしてしまおうか

  家と言えども居付いておらぬ いっそ燃やしてしまおうか

  断捨離した断捨離の本を思い出す

  最上階、スイートに転がりこむ

  さうすればわたくし、清々するわ〟……『断捨離大一番』より、抜粋」

「……はあ?」

 素っ頓狂な声が出た。

 年増の珍しい反応を聞き逃さなかった彼は、おかしそうに膝を抱えた。

「それが今の君だよ」

 嬉しそうでいて、どこか寂しそうな表情の彼に、首を傾げる。

「いいねえ、生きてるねぇ」

「あの。何が言いたいのか、もう少し具体的に、かつ簡潔に仰ってください」

「詩人に社会性求めないでよ。社会人に詩の心求めるよ」

 彼が指を振る。湯呑み茶碗が浮きあがり、電気ポットから湯が出てくる。

「『駄作』の話をしようじゃない」

「自分で言ったらおしまいですよ」

「君が先に言ったんですぅ」

 コポコポコポ、と湯の沸く音の中、彼は息をつく。

「おれは命が苦手なの。そういうの題材にするのはお門違い」

 鼻を啜りながらそう言う彼は、だいぶ落ち着きを取り戻していた。

「ヒトのお株を奪っちゃまずいでしょう」

「ですが、そういった題材は多くの人々の共感を呼びやすいですから」

「流行り廃りはわかっているよ。ただ、だからって、それに則して良い作品を練れって言われたら、難しい」

 私の話にもきちんと耳を傾け、考えてくれている。先ほどよりもよっぽど建設的で安心した。

「君に見せた『駄作』が、それを何より物語ってると思うけど」

「うーん……まるっきりの駄作でもないんですけどね」

 浮いた茶碗は、彼の目の前に置かれる。水面の揺らぎが収まるのを、彼は待っているようだった。

 ソファの前にあるテーブルで、茶碗が湯気を立てている。

 深蒸しの香り。

「伸びてるでしょう、売上」

「ようやく軌道に乗りだした、という感じです」

「おれのおかげだね」

 鼻をかんだ彼が笑うと、空気がふわりと柔らかくなる。

 思わず息をこぼした。

「作家としての貴方というよりかは……」

「どっちでもいいじゃん、要はおれのおかげなんだから」

 なんとなく肯定するのが悔しくて、何も言わずにいた。

「おれ、ほら、こんなだからさ」

 固まったままでいる私に向かって、彼はウインクしてみせた。

「だから、死とか、命の行先だとかで、心が動かない。苦しい悲しいなんて気持ち、なぁんにも湧かない。だから、わざわざ形にしない。できない。おれの心を揺さぶるのは、いつだって、生きている人間」

 幼子の口から出てくるとは到底思えない哲学だ。

 実際、彼はそう見えるだけであって、本当の歳は幼子どころではないのだが。

「でもそんなの、人間くさいじゃないですか」

「それがいいんじゃない。泥くさく、意地汚く、でも、生きている」

 納得がいかない。

 そんな私を見透かすように、彼はお茶を啜って一息ついた。

「君はどうも、詩を綺麗なものだと思っているね」

 そう言って彼が手を掲げた。

「型にぴったりで」

 雑誌がラックへと戻っていく。

「言葉遣いには非の打ちどころなく」

 コードの先でバウンドしていた受話器が、デスクの上へと帰っていった。

「無駄のない、理路整然」

 拾われるのをただ待つばかりだった書類たちも、するすると元の住処にしまわれていくのだった。

「たとえば、今のこの、ここみたいな」

 彼が完了とでもいうように静かに手を叩く頃には、朝、足を踏み入れた社長室の景色そのものになっていた。

「違う?」

「え、ええっと……確かに私は、そういうものだと思って作品と接しています。短歌や俳句を例として、言葉の芸術は整っていて然るべきだと」

「ふふ、そうだねぇ。生きているもの。美しくありたいよ。それこそが、おれの好きな人間くささだし」

「はい?」

「美しくあろうとする心さ」

 彼が胸に手を当てる。

「五七五。十七音の世界。五七五七七。三十一音の世界。いずれも、彼らにおいて、理想系はこの部屋と同じ。だから、そう在ろうとする」

 慈しみに満ちた笑顔を向けられる。

「分かるかい、この愛おしさ!」

 不意に、足元の気配に注意が逸れる。紙が革靴を撫ぜていった。私は腰を屈めた。

「そう、それだよ。君が今、そうしたような。保とうとする精神。人間の、一番人間らしい部分だ」

 拾ってみると、それは『駄作』だった。彼は構わず話し続ける。

「悪く言えば、停滞の迎合、現状維持の賛。けれど、だからこそ、進もうとする人間が生まれる」

 突如、部屋中の物という物が空中に浮きあがった。

「ま、ボクはその限りじゃないので!」

 彼が悪戯っぽく足を伸ばすと、浮いていた物が全て床に落下した。ドサドサと。しかし私は、拾った紙面に釘付けになっていたので、何も言わなかった。

 奇妙に思ったのか、彼も眉を顰めた。

「あれ、怒らないの?」

「先生」

「えっなに。やっぱ怒るの?」

「それは、それとして。その件は一旦、置いておきます」

「置いておけるような場所はこの部屋にはもうないと思うけど」

 彼の軽口も、首を振って受け流す。

 紙に書かれていた詩は、先ほど私が見たものとは、微妙に違っていたのだ。

「あの、これ」

 それを彼に差し出す。

「微妙に違いますが」

 彼から渡されたものは、活字で印刷されたプリント用紙だったのだが、これは恐らく彼の手書きだ。

 受け取ったそれを眺めながら、彼はまたお茶を啜る。

「これねぇ。夜、ひとりの時に思いついてさ。印刷してあげた方がいいかなって思って、読み取り機能? みたいなの使って印刷したんだよね。そしたらずれちゃったみたい」

「みたいって……」

「だって、いない間にパソコン使うと怒るじゃん」

「当たり前です。落とした電力を勝手に復帰させないでください」

「分かってるよぉ。だからこうしたんでしょ」

 彼は鼻から息を抜いた。

「でもまぁ、確かにこれだと、右から左に読めちゃうもんね」

「……はい?」

 目を丸くする。

 当の本人もそこで驚かれるとは思っていなかったらしく、目をぱちくりとさせた。

「えっ、だって、ボク、右手で書くから。左から右に書いていかなくちゃ、汚れちゃうじゃない」

「そ」

 慌てて彼の隣に座る。

「それじゃあ全然違いますよ。私は、右から左に読んだんです」

「えぇ、ただでさえずれてたあのプリントで?」

「ただでさえずれていたあのプリントで、です」

「じゃ、全く別物になっちゃうね」

「それを言ってるんですさっきから」

 先ほどのプリントをどこにやったかと記憶を辿るが、床中が物だらけで探すに探せない。

 お茶を飲み干した彼は、私のとった行動の意図を察したのか、コピー機に向かって目線を飛ばした。

 それは起動音を発してから数秒経って、一枚の紙を吐き出す。

「はいどうぞ」

 彼が言ったと同時に、意思を持ったかのような紙が、私の手に真っ直ぐやってきて、ひらりと収まる。

 紙面に表示された詩と、紙切れに殴り書かれた詩を見比べ、彼にも並べて見せた。

「ほら、どうです」

「どうって、別物だねぇ」

「笑いごとじゃないですよ」

 私は茶菓子をもぐもぐと咀嚼する彼の横で頭を抱えた。

 彼らしくないとは感じていた。ただ、いつもはパソコンに直接打ち込んでもらっていたから、気が付かなかったのだ。

 彼は茶碗を浮かせ、再び電気ポットの湯を注ぐ。

「君はこの『駄作』をどう読んだんだい」

「どうって……心中を図ったものの、独り死なずに残ってしまった人が、後追い自殺をしようと決意する胸中を語ったものに思いましたが」

「あはは、暗っ!」

「先生らしくない題材とは思いましたよ」

 拗ねたような口調になってしまう。

「本当は、違うんですね?」

「だって文字列が違うもの」

 彼がお茶を一口呑んで、冷えた方の茶碗をこちらに持たせた。

「ボクは人様の命のどうこうは書けないからね。だから、ボクにとって、死とはどういうものなのかを考えたの」

 冷めたお茶を飲む私の元に、茶菓子が机を滑ってくる。

「ボクには縁遠い。だけどきっと、人からしてみれば、なんとなく、ボクと死は近しいところにある。なので、それを詠んでみました」

 何か言おうと開いた口に茶菓子を放り込まれた。

「君のさっき言った自虐っていうのも、正解。ある意味ね」

 また空気がふわりと緩む。

 彼の瞳に未だ溜まったままだった涙が、朝日にきらきらと照った。

「先生」

「うん?」

「載せましょう、これ」

「『駄作』じゃなかったっけ」

「いえ。先生の考えた正しい読み順をとるならば、これはなかなか良いですよ」

 メガネの位置を直して、しわくちゃの紙きれを掲げる。

「貴方の詩集の最初の頁を飾るに相応しい」

 くしゃ、と乾いた音がした。

「正真正銘、座敷童の貴方にしか書けない作品だ」

 力んだあまり握り込んでしまった紙きれを急いで広げる。

 彼は顔を輝かせ、私の腕を掴んだ。

「本当!」

「ほ、本当ですとも」

 ガクガク揺さぶられて、舌を噛まないように用心して話す。

「じわじわと恐怖を呼び起こし、無邪気さとダークさの加減も、いい余韻に繋がっています。軽い調子ながらも、内容は仄暗い。怖い童謡や童話のような」

 彼の両肩に手を置くと、視界のぶれが徐々に治まっていった。

「……ふう。そういった、貴方の魅力が詰まっています。苦手な題材に挑戦した甲斐がありましたね、先生」

「わ」

「わ?」

「笑った……」

 彼は私を指差し、わなわなと震えた。

「初めて見た…あの人使いの荒い鬼が……」

「なんです、自分を人間みたいに」

「そこは、人を化け物みたいに、じゃない?」

 眉尻を下げて、また彼が笑う。

 私はメガネを外して拭いた。

「老いぼれの笑顔なんて、しわしわなだけで見ても何もないですよ」

「そんなことないのに……あ」

 彼が立ち上がる。

「そうだ、ボク、君の色んな顔が見たいんだ」

「は?」

「怒ったり疲れたりはもう見飽きたし」

「誰のせいで」

 険しい表情をすると、彼は、冗談、と言った。

「怒ったり疲れたりも素敵だよ」

「そういう意味では」

 どちらかというと反省してもらいたかったのだが、彼はそんなつもりはないようだ。

 二つ目の茶菓子を頬張り、彼はソファから跳び降りる。

「あゝ一度それを振り払った私でも」

「……それが、正しい題ですか」

 彼はこちらを振り返らない。裸眼なので、彼がどういう表情なのかも、察することはできない。

 窓がひとりでに開いた。

 そよ風が社長室に吹き込んで、私は目をこする。

「社長のくせしてまだ眠いのかい」

「花粉症なんですよ。閉めてください」

「あはは、生きてるねぇ」

 目が充血していくのが分かる。

 メガネをかけ直した時には、窓はもう閉じていた。

 詩にあった、奴とは誰なのか。彼は地獄行きを望んでいるのか。

 私には、それを聞く権利も勇気もない。

 ただ、である。

「先生」

 私は指を立てて、肩を怒らせた。

「笑いごとじゃないですよ」

 花粉は怖いのだ。



『あゝ一度それを振り払った私でも奴は地獄に堕としてくれるだらうか』

 たとえば久遠の成れの果て

 優しく滑らかな悍ましき手は

 甘い顔して笑ってゐる

 神になってはこちらへおいでと

 神になった死が笑ってゐる

 悲喜交交を吸いこんで

 死がひたひたと笑ってゐる

 笑ってゐる

 ぢつと見ては笑ってゐる

 瞳の震えの止まるのを

 忍び寄つては手を延べて

 死はしゅわしゅわと笑ってゐる

 花粉のやうに笑ってゐる 

『生のエチュード 第一楽章』より抜粋

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