第2話


◇現在 1◇


 トラウマになっている昔の出来事を夢に見ていた。

 死霊のような感染者から逃げ惑う人々。感染した人が我を失って獣のように豹変し無意味で猟奇的な殺戮を繰り返す。

 避難しそびれた人々、そして自分の家族が、目の前で八つ裂きにされる。

 ウィルスに感染した者は空洞と化した町に取り残され、感染していない者だけが自衛隊に助けられトラックに運ばれていく。

 なにもできなかった自分。友人も家族も助けられなかった自分。

 忘れ去りたい過去だ。

 そのせいかあまり寝れた心地がしない。これでも睡眠薬やらを飲んだのだけれど。

 朝を告げるラッパが鳴り、悪態をつく間もなく一日の作業の準備を始める。

 寮を出れば、そびえたつ城壁の上からあたたかい朝日がさしこむ。

 作業というのは民衆を守るための要塞の建設作業だ。

 正確にはもう防護のための壁はできあがっている。今つくっているのは居住のための建物。

 それも、要塞のなかだから広い敷地があるわけではない。面積の節約のため、地下へと開拓するのである。

 地下の工事は、まず土を掘るところからはじまる。考え方としては地下をつくるというよりは建物の一回を地下に作ると言うのとほとんど同じになる。

 必要になるのは建物の地上部分を支える柱を考えるのと、それから土を掘ったあと水がもれてこないように塀をかこんで壁をつくることだ。

 地下での作業は通気性が悪く、粉塵を吸いこまないよう作業員たちはマスクやスカーフを着用している。そうしなければ肺がやられてしまう。

 それでも食事の配給を受けるためには労働するしかない。特に他所から来た人間は。

 昼になり土砂の運搬作業を終え、二番地の食堂でひと息つける。

 食事の途中誰かが食堂に入るなり声をあげた。

「流れ者が一人来た。監視の役がいる。建設現場から一名もらいたい」

 眼鏡をかけたその男は、場を制するような高圧的な態度だった。

「そこの君。新入りの監視と案内を頼まれてくれ」

 指を差されたのは僕だった。食堂と言ってもそんなに広い部屋じゃない。すぐにそれとわかる。

「はあ」

 そういう任務ができる自信はなかったが、地下での肉体労働よりは散歩の方が楽だろうと思いすぐに返事をした。

「頼んだよ。他の役場の者は、遠征の準備でいそがしくてね。彼と同行してくれ」

 眼鏡の男はそう言い、後は中年と思われる別の男性と共に僕は関門へと行くことになった。



 要塞を守る壁はコンクリートだけでなく物置などのコンテナを積み重ねたものでできている。

 時折その壁の外から人がやってくることがある。とはいえ壁の外は人間が住めるような環境ではないので、滅多にないと聞いたことがある。

 関門の上は監視台になっており、見張りを立てているから異変が起きればすぐにわかるようだ。

 そこにいた門番たちが慌ただしく、台と地上を行き来していた。現場の指令係のような人が指示を出し門を閉めようとする。

 外から来たという人間は車に乗っていた。光岡製『バディ』の赤い車体。どこか血を思わせる。

 監視役に選ばれたのは自分ともう一人加山さんという人だった。本人も言っていたが彼はここで警察のような役割を持っている人だそうで、門番の一人が加山さんにへこへことしながら報告に来た。

「怪しいやつが来てます」

 ちょうどその怪しいやつが車から降りてきた。見張りの兵が後の車の管理を引き継ぐようだ。

「壁のちかくの廃墟で寝泊まりしていたようです。で、すこしばかり水をわけてほしいと」

「ああ。きいてるよ」

 報告に加山さんは小さくうなずいた。

 険しい顔をした指令係が、拳銃や猟銃を携えた兵士を連れて余所者へと詰め寄った。

「で、お前はなんなんだ? なんでバグだらけの道路をうろついてる」

 すぐに答えが返ってこず、指令係は質問を変えた。

「ようは、こちらはお前の素性を知りたい。どっからきたか、とかな」

「荷物や手紙の運び屋をやったり……頼まれて、親族の人探しをしたりですよ」

 その流れ者はそう答える。うっすら髭があるものの、喋り方からしてもまだ若い男のようだった。

「便利屋ってとこか。そのわりには身軽だな。武器しか持ってないじゃないか」

 指令係の目線の先には、男の腰についている拳銃とホルスターがある。あんなものどこで手に入れたのだろう。

 男の持ち物はごく簡素で、それのほかには小さめのリュックと、その脇のスペースに水筒がはまっているだけである。

「北のほうに隠れ住んでる人に、もう用を済ませたあとなので」

 兵士に囲まれても受け答えは正確だった。兵士の一人が、その顔を見て声をあげた。

「こいつ、前にコウマの廃墟のあたりをうろちょろしてましたよ。見たことがあります。ただの運び屋がそんなことしますかね」

 指令係が、すこし目を細めた。

「まさかお前……例の、『探偵』か」

「そう呼ばれてるかもしれませんね」

 こちらにはわからないやり取りだったがそう聞こえた。

「とぼけた野郎だ。まあいい、三日間は監視をつけさせてもらう。そのあとは出ていくなり地下労働にはげむなり好きにしろ。ただしここにはここのルールってもんがある。最悪やらかしたことによっちゃバグのエサになってもらうかもしんねえなあ。せいぜい行儀よくしてくれや」

 指令係がそう言うと、探偵と名乗るその男は教師にしかられる学生のように適当な相槌をうつ。そしてそのとき、わずかにこちらと目が合ったような気がした。

「探偵ね……密偵のまちがいじゃなきゃいいがね」指令係は探偵の背中をじろとにらみながら、通してやった。

 あとのことは僕と加山さんが受け持つことになっている。

「監視と言っちゃ人聞きが悪いが、まあこんな時代だ。悪く思わんでくれ。案内も兼ねているから簡単に説明しよう」

 加山さんは丁寧な語り口で、この要塞のことを説明してくれた。

「ここは『津井原(ついはら)』と呼ばれている。月名見(つきなみ)大学都市を改築した、オセアニア最大の要塞にして拠点です。元々大学都市だったから設備がそろっていて、風力・水力・太陽光発電によって電気が通っている。節電の為計画停電はあるがね」

 詳しいようで、加山さんは流暢に言う。自分は詳しくないし、あまりしゃべる方でもないので助かった。

 津井原。加山さんの言う通り恵まれた土地だ。探偵も辺りを見回し、壁のうちがかつての文明に近い状態で残っていることに目を見張っているようだった。

「ああ……心底、おどろいた。どういうことなんだ?」

 探偵はなぜかこちらを見てきいてきた。僕はあまりよく知らないので答えられない。

 加山さんが代わって説明してくれた。

「うん。津井原を作ったのは三つの企業といえる。壁を作る建設、大量の物資を保有している運送、そして物を作る工業系財閥。その生き残りが中心となって企業連合を組み、完璧に安全な居住地を建造した。これだけの広さのある拠点はおそらく海外にもないだろう。まあ広いと言ってもほとんどは農地や物を置く倉庫ばかりだな」

 来た道を歩く。遠くに風車が見える。平地にテントのように住宅が点在し、その周囲に高い壁がそびえたっているような具合である。

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