第23話 グロリアの秘密

 ベルベットが胸を貸していた時間は長くない。

 正気を取り戻したグロリアが離れる姿に、彼女は優しく問いかける。


「もう大丈夫?」

「うん……ごめんなさい」

「別にぃ。昔を思いだしたみたいで楽しかったけどね」

「嘘。こんなに泣いたことなんてないわ」

「それこそ嘘。小さい頃は虫がこわくてびいびい泣いてた」


 グロリアが幼い頃はまだ牛も豚も飼っていた。物心ついたときから虫だらけの生活だったのに、グロリアはずうっと虫が苦手だったのだ。


「そんな昔のこと……」


 グロリアが調子を取り戻した矢先にドアがノックされ、二人は緊張に包まれた。どうやら騒ぎが気になった教師らしい。グロリアが鍵を掛けていたから中には入ってこないが、声音はベルベットを怪しんでいるようだ。

 なんでもない……と返すのは簡単だが、それならば鍵を開けねばならないだろう。しかしグロリアの目や鼻は真っ赤で、泣いてしまったのは丸わかり。生徒を泣かせたと言われるのは怖くないが、問題はグロリアだ。

 ベルベットにとって実際の彼女はとても可愛らしい女の子だけれど、世間で“玲瓏なる一輪の華”と呼ばれているのは彼女の立ち居振る舞いが元を辿っている。いついかなる時も狼狽えず、冷静で、貴族としての品格を有した高貴な令嬢。彼女であれば笑顔だけで周囲を魅了する愛らしい女性にもなれるはずで、なぜ孤高の狼のような貴族を演じるのかは不明だけれど、賢い彼女ならばきっとわけがあるはず。

 実際、彼女の表情は明らかに凍り付いている。

 たかが涙といえど、泣いてしまったなどと評判を立てたくないはずだ。教師がいまかいまかと鍵を開けてもらうのを待つ最中に素早く問いかけた。


「グロリア、先生に泣き顔を見られるのと、ちょっと悪いことをするのならどっちがいい?」


 はじめ目を丸めていたグロリアだったが、茶目っ気を含んだベルベットに思うところがあったのか、目を輝かせた。


「人生って、少しくらい悪いことをした方が面白いと思うわ!」

「よーし良い子だ」


 素早く外套を脱ぎグロリアの頭にかけると、鍵を開け困惑と疑惑で表情を染めた年配の教師と目が合うなり詰め寄った。


「やあやあやあやあちょっとうるさくしてしまいましたね」

「あ、ええ……とんでもない。それでグロリアさんは……」

「彼女はなんともありませんし何もありませんでした。ですからわたくしはこれでお暇させていただきますが、ついでちょっと彼女もお借りいたします」

「え?」

「じゃあそういうことで。もちろん本人の合意の上ですからご心配なく!」


 扉に隠していたグロリアの肩を引き寄せ、隙間から彼女の体を通す。外套を被っているから当然グロリアの表情は見えないので教師は呆気にとられるも、相手が正気に返る前にベルベット達は駆け出している。

 待ちなさい、と制止をかける声を背中に、グロリアが転ばぬよう手を貸した。

 ただ、学校はちょうど休憩時間に入ってしまったらしい。生徒の姿がちらほら見えはじめると視線も気になるし、グロリアの歩幅に合わせていてはさらに注目を浴びてしまう。

 ベルベットの決断は早かった。


「ちょっと我慢ね」

「え? ……あ、きゃっ!?」


 幸いグロリアは軽いので、ベルベットでも持ち上げることは可能だ。横抱きとはいかないが、肩に担ぎ上げると全身にのし掛かる重みを下半身に力を込めることでぐっと堪えて走り出した。


「どんな仕事が活きるか、案外わかったもんじゃないね――!」

 

 昔、ベルベットは船着き場の荷運びをしたことがある。

 日雇いで稼ぎが良いからだけの理由で、深く考えもせず飛びついた仕事。数十キロの荷を何往復もしながら運び、そのときは二度とこんな仕事はするまいと思ったものだが、そのときの要領があってこそのいまがある。足を止めると動けなくなっているのも知っているから、とにかく全力で駆け抜けるのだ。

 途中でアリスや第二王子のスティーグを見た気がするも気にしない。ジンクスのもとまで到着すると、二人乗りで手綱を握って駆け出した。

 ジンクスは二人分の重みが多少迷惑そうだったが、元々軍馬訓練を受けているし体力もある。学園街を抜けるくらいは簡単で、ゆるやかな丘を下るのもこなしてくれた。

 ベルベットが選んだのは道なりにある休憩所で、日中とあってか人の姿もまばらだ。陽気も穏やかで心地よく、このときには外套を外していたグロリアは息を弾ませながら胸を押さえ、目を輝かせている。


「私、はじめて学校を抜け出してしまったわ」

「そうなの? 初めて学校をサボった気分はどんな感じ?」

「……どきどきしてる」


 緊張は覚めやらぬようで、グロリアが落ち着くまでベルベットは待った。柱に繋いだジンクスがその辺りの草を食む長閑な風景をどちらともなく眺め続ける。

 ベンチに腰掛け堂々と足を組む誘拐犯と、肩を小さくして膝に手を置く被害者。奇妙な姉妹のうち、会話を切りだしたのは前者の方だ。


「わたしさ、貴女になにか嫌われるようなことをした?」

「……してない」

「そ……。それは本当によかった」


 ベルベットは空を仰ぐ。

 他に何か言うべきことがあったかもしれないが、いま長々と語っても愚痴か説教になってしまいそうだ。結局姉らしいことは何も言えないなと諦めた。


「まあ、相談もできないくらい信用されてないかなって思ったのはわたしの勝手だし、貴女は貴女で抱えてるものがあるんだと思う。だからもう無理に聞きはしないけどさ」

「うん」


 まるで幼い子供のように頷く妹は、先と比べ素直だった。ベルベットも回りくどいことはせず、素直に己の気持ちを吐露する。


「貴女に避けられるのは悲しい。話せないならそれはそれでもう構わないから、せめていつまで会わないとか言ってくれない?」


 それがベルベットの出せる折衷案だったのだが、グロリアはこれでさえ容易に返事ができないらしく、ベルベットは根気強く次の言葉を待つ。

 

「いつまで……と、言われたら、もう、ずっと会わない方がいいと思う」

「なんで?」

「姉さんに死んでほしくないから」

「生きてるじゃん」

「そうじゃなくて……私と一緒にいたら、姉さん、今度こそ本当に殺されちゃう」


 妹の言い様は、まるで己が死神か悪魔のような物言いだ。彼女といるから死ぬなどあり得ない話なのだが、グロリアが信じて疑っていないようなのでベルベットも笑わない。


「……死なないけどな。わたしはそこまでやわじゃないし、実際こうやって生きてるし」

「いまはそうかもしれない。だけど、今回姉さんが怪我を負ったのは……あれを繰り返そうとしたのかもしれないし」

「あれって?」

「……豊穣祭の爆破騒ぎ」


 絞り出すような苦しげな声音だ。


「姉さんは……本当はあの時、十一歳で死ぬ運命だったの」

「…………そうなの?」

「そうよ。私は仮病を使って、姉さんが看病してくれないと嫌だって駄々をこねた。あれがなかったら、姉さんはお友達と一緒に……」

「あー……なるほど。ってことはあれはグロリアに助けられたわけか」

「信じるの?」


 信じてもらえると思わなかった、といった顔をされたのが心外だ。ベルベットとて多少なりとも事実を事実として受け止めるくらいはできる。


「いまにして思えば、偶然にしては出来過ぎてるかなあと思ってたところはあるからね…………そっかそっか。なら、ありがとね」

「え?」

「わたしを助けてくれたこと。あの時は私も子供だったし、グロリアは誰にも相談できなかったんじゃないの? それなのに色々頑張ってて、偉いなあって」


 お礼を言ったただけなのに、泣き出しそうになるのは何故なのか。グロリアはやがて、緊張に声を震わせながらある告白をした。 

 

「……私ね、本当はこの世界の住人じゃないの」


 まっすぐな目で見つめられたとき、ベルベットはなんと返事をしたものか迷ってしまったのだった。

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