第13話 人はそれをフラグという

 ギディオンの馬は近衛隊長所有だけあって立派だった。

 足首がどっしりと太く、頑丈な馬体。青鹿毛の黒っぽい体が太陽光を反射する様は惚れ惚れとするほど美しく、いかつい顔立ちをしているのに、間近に寄れば額の白い模様と、くるっとした瞳がアクセントになって誇り高さを感じさせる。

 ギディオンが顔を見せただけでも喜んでいたら、ベルベットが鼻先に拳を近づけ挨拶するのも許してくれた。


「軍馬なんですよね。これだけ大きいと動きが鈍かったりしませんか」

「たしかにこの存在感だ。目立つ分だけ注目を集めるが、オーランド・キース二世は機敏で頭が良い馬でな。特に苦労した覚えがない」

「……なるほど。ちなみに一世は?」

「祖父の偉大な馬だった」

 

 この男、彼女が考える以上に相棒への思い入れが強い。

 ベルベットはギディオンの計らいで厩舎の馬を借りることができた。まだ若々しい雄の葦毛はまだ調教中らしいが、軍事に使うわけではない。鞍を載せると跨がり、ギディオンの後を追いかけた。


「獣医はどこに?」

「ここから近い。拾って行くぞ」


 彼の言葉通り、獣医は騎士院の近くに居を構えていた。どうやら大型獣も取り扱う医師らしく、驚くべきはまだ若い人物だったことだ。長髪を結わえた眼鏡の男性はギディオンをみるなり驚きの声を上げるも、ベルベットの愛馬セロの容体を聞くとすぐに支度を整えてくれた。オーランド・キース二世に跨がると、馬は二人分の体重をものともしない力強さで走り出した。

 その途中で獣医はベルベットにも目を向ける。


「貴女とは初めましてですよね、ベルベットさん! 私は獣医のヴィルヘルムです、騎士院とは専属契約を結んでいます」

「よろしくお願いします、先生。ところで私をご存知で?」

「そりゃあお綺麗な人が入ったって有名ですからね! ギディオンさんのところにそんな人が入れば、当然噂になりますよ。根性がないとこの方について行くのは難しいでしょうから!」

「黙れ、舌を噛むぞ!!」


 軽快なやりとりもギディオンに一喝され中断だ。

 一行はハーナット宅に到着したのだが、そこで出くわしたのがグロリアだ。馬車が裏手に回っていたためベルベットは気付けなかった。

 ギディオンの顔を見た途端にグロリアは悲鳴を上げ、もっていた水桶を落とした。


「いやぁぁぁぁ! あなた、姉さんに何をするつもり!!?」


 隣家まで距離があることを感謝したのはこの時が初めてだったかもしれない。グロリアはわなわなと肩をふるわせギディオンに怒り、次にヴィルヘルムに驚いた


「獣医のヴィルヘルム・ルディーン!?」

「は、はい。たしかに私はルディーンの出ですが、面識があったでしょうか。あなたは……デイヴィス家のグロリア様……え、姉……?」

「先生! 馬はこちらです、さぁ!」


 ベルベットはヴィルヘルムの背中を押して厩舎へ無理やり移動させる。もちろん残すと危ないギディオンも同様で、グロリアはリリアナが引っ込めてくれた。

 ヴィルヘルムは混乱しきりだったものの、知らない人間が来たにもかかわらず、元気のない牝馬を前に役目を思いだした。すぐに触診に入りながらベルベットにも再度聞き取りを行い、慎重に判断をくだして行く。


「外傷は治癒魔法で治せます。内部の問題であってもたとえば腸が曲がっていたり、食べ物が詰まったのであれば切開や治癒魔法で対処可能でしょう。ですがそもそもこの子自身が抱えている問題だとすると――」

「ち、治療方法がない、とか?」

「注射を打っておけば安定の手助けにはなるでしょうが、これではっきりと治るというものではありません。大事なのは安静にさせることなんです。悪化した状態が続くと突然死の恐れがありますから」


 突然死と言われ心臓が凍りそうになっていると、淡々と説明していたヴィルヘルムも気付き、安心させるように目元を和らげた。

 

「このまま休ませるならきっと落ち着きます。それはベルベットさんが無理に動かさなかったおかげですよ」


 突然死の可能性を示唆したのは、人々にとって馬が移動手段だからだ。

 必要だからこそ、代わりの馬を用意できない人などは無理をさせてしまうのだ、とヴィルヘルムは説明する。

  

「……今後、騎乗して走らせない方がいいですか?」

「軽い程度は大丈夫でしょうが、遠くへの早駆けは勧められない……ベルベットさんの仕事には添えないでしょうが、飼い続けられますか?」


 働かせられなくなったら処分する飼い主も少なくない。安楽死を選ぶ人が多いからの質問と察し、頷いた。


「早駆けだけが役目ではないでしょうし、面倒は見続けられると思います」

「そうですか……良かった」


 役目上、その手の光景も見続ける場合が多いのだろう。処方された薬は人間用よりも量が多く、かつ効き目が強いために決して口にしないよう注意を受ける。明日も様子見に来てくれると言って、耳を絞って怒り始めたセロから離れた。


「可愛がられているのですね、今日は頑張ったと褒めてあげてください」


 ヴィルヘルムは診療所に帰る前にギディオンとベルベット、双方からグロリアについて口止めを頼まれているが、これには苦笑しながらも約束した。


「無論、黙っています……大丈夫です。獣医とて騎士院に足を踏み込んでいれば、そういった秘密を知ることも少なくない」

「ところで先生はグロリアをご存知だったのですか?」

「一応お名前とお顔だけは。ですが面識はなかったので、まさか私の家名までご存知とは……博識な方なのですね」


 ギディオンによれば信頼できる人だと言うし、バラされることはないはずだ。

 また騎士院から借り受けた馬はベルベットが使って良いとも言われた。


「もう一頭置くだけの環境はあるようだし、ここにきてあの葦毛も落ち着いているように見える。しばらく使っておけ」

「良いんですか、私用で使いますよ」

「ここから街まで徒歩で通うつもりか? ……騎士院には上手く言っておいてやる。ついでに真っ直ぐ走れるよう調教もしておけ」


 余計な仕事を増やされた気がするが、移動手段が維持できるのは良いことだ。

 別れ際、彼はベルベットに言った。


「……あそこまで人に懐いているなら大事にしているのだろう。長生きさせてやれ」


 馬は臆病な生き物だ。元気がなかった点を加味しても、突然知らない人間が押しかけて暴れなかっただけ、セロのベルベットに対する信頼感は厚い。

 客人達が帰ると、愛馬のもとにはリリアナと双子にラウラが向かった。

 通常であればリノと双子は学校、ラウラは近くの教会に預けているが、この日は双子がセロが気になると言ったので休ませ、ついでにラウラもみてもらっていたのだ。

 室内には姉妹二人きりで、居住まいが悪いグロリアにベルベットが尋ねる。


「なんで昼間っから貴女がうちにいるのかな。今日、別に休みの日じゃないはずでしょ」

「……ちょっと頑張る気がなくなったのでサボりました」


 学園や成績に関してはデイヴィス家の範疇だ。ベルベットにとやかく言う権利はないが、ため息は吐きたくなる。彼女の思いをよそに、グロリアは半眼でベルベットを見上げた。


「姉さん、私の知らない間に随分ギディオン様と仲良くなったのですね」

「なんだかんだで良くしてもらってるからね。四六時中言い争いするのも駄目でしょ」

「……そうね、ギディオン様は悪い人じゃないもの。懐に入った人には優しいって言うか、そんな感じだけど」


 随分詳しいのは、やはり第二王子の婚約者だったからだろうか。文句をいうに言えないらしい葛藤に眉をキュッと寄せている。


「それよりグロリア、貴女、ヴィルヘルム先生のこと詳しかったみたいだけど、知ってたの?」

「え?」

「名前まで言い当てたじゃない。先生、大分驚いてたけど」

「そ、そう? だってあの先生、動物に優しくて良い人で有名だし……攻略対象だし……」


 ぼそりと囁くような後半の呟きは、ベルベットにはよく聞こえなかった。


「あの先生、場所柄大型動物がほとんど専門なんじゃないの。デイヴィス家に縁なんてあった?」

「う、うううちも一応馬を飼ってるし、評判くらいは聞きます!」

「……ねえ、そんなに嘘が下手で大丈夫?」

「んなぁ! なにをおっしゃるのですか、私、これでも最近は茨の女と新しい異名があるくらいなんですから!」


 本当にこんなので社交界で上手くやっていけるのか心配でしかない。ベルベットの心配をよそにグロリアは勢いよく姉へ詰め寄る。

 感情的な形相は形を潜め、真剣な瞳で頼み込んできたのは、エドヴァルドには近寄ってはならないという忠告だ。

 あまりに真面目だったからつい頷きかけるも、ベルベットにはなぜグロリアがそこまで真剣になるのかが理解できない。

 

「お願いですから、姉さんはあの方に関わらないで」


 グロリアは姉が近衛隊長の部下だと忘れてはいないだろうか。到底無理な頼みなのだが、すぐに仕事はともかく私情で関わることはないはずだと思い直した。なにせ初対面時に存在を無視されていたのだし、あの殿下は一般で流布されている市民の評判と正反対で、平民などに興味がなさそうだ。

 そう信じ……瞳を潤ませた妹の頼み込みに、ベルベットは頷いた。

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