第12話 愛馬にかける情熱

 朝から最悪だった。

 まず愛馬が発作を起こした。

 そろそろ十歳になる栗毛の牝馬だ。昔母馬と一緒にハーナット家に来た馬で、家族で可愛がっていた家族に等しい一頭。母馬は荷馬として生涯を勤め上げ、仔馬の方はベルベットの足となってくれた働いてくれている愛しい家族だ。

 年老いてきていたから気をつけていたつもりだが、日が昇らないうちから犬が騒ぐから、様子見に行ったら横になって静かに苦しんでいた。

 こんなことは初めてだった。呆然と立ち尽くすも、すぐに我に返った。

 馬は立てなくなっては命に関わる。

 宥め、声をかけ、祈りながら発作が落ち着くのを待った。なんとか回復して立ち上がるのを見届けるも、ベルベットはしばらく馬房から離れられず、愛馬の傍らで首を撫で続け、自身が動けるようになったのは朝が過ぎてしばらく経ってからだ。

 騎士院に到着したのは昼前になってからで遅刻確定だったが、幸い急な仕事は持っていない。適当に用事を済ませて帰ろうとしたところでギディオンから呼び出しを受けた。

 ベルベットが執務室の扉を潜ると、まず彼は虚を突かれたように目を見張った。


「大丈夫か?」

「…………大丈夫って、なにがです?」

「……前日まで軽口を叩いていたやつが無口になればそう思う。なにがあった」

「そういう気分の時もあります。ただ、今日は私用があるので早めにあがらせてください」

「それは構わんが……まあいい、新しい仕事についてだ」


 そして言い渡された命令は、ベルベットにとって完全に予想外のものだ。聞いた瞬間は思わず尋ねていた。


「なんで私が?」


 珍しく嫌悪感を隠そうともしない物言いだが、ギディオンは彼女の反応を予想していた様子でもある。


「先立ち言っていたはずだ。新しい仕事を任せると」

「それは聞いていましたが、正気ですか。次のエドヴァルド殿下の学園視察に私も付けるなんて」

「別にお前一人を連れて行くわけではない。俺やコルラードもいるし、お前もその他の大勢の一人だ」


 まさかの命令だ。平民、なおかつ新人だから第一王子の近くに置くはずないと考えていた警護にベルベットが加わるらしい。

 普通であれば諸手を挙げて喜べる話だ。しかしベルベットは普通とは正反対の反応を示した。


「嫌なんですが」

 

 堂々と不満を顔に出して言った。基本的に不平不満はあっても軽口で済ませるか、呑み込む質だから、ギディオンはさぞ驚いたろう。露骨な言葉に目を見張ったものの説得を試みる。


「嫌、で済ませられる仕事ではない。それが次のお前の仕事であり、任務だ」

「じゃあすごーく離れた位置に置いていただけますか。正直、守れって言われても守る気しないのですよね」

「残念ながらそれも無理だ。学園内では俺とお前が傍につく」

「嘘でしょ」


 誰がそんな巫山戯た采配を行ったのだ。目の前の男が犯人かと軽蔑の眼差しを送ると、即座に「違う」と返される。


「エドヴァルド殿下の思し召しだ。俺も一応礼儀作法がまだ行き届いていないと説明したが、どういうわけか是非にと望まれた」

「どういうわけかって、理由もわからないのに!?」

「言うな。あの御方の考えることはいつも謎で、俺ごときに計れるものではない」


 ギディオンがエドヴァルドについての個人的な意見を語るのは珍しいが、いまの発言で少しわかったこともある。どうやらあの日、グロリアを追ってきた人達ですら一枚岩ではなかったらしい。


「俺としても置くべきはコルラードであり、少なくともお前ではないと進言した」

「そのコルラード殿は?」

「殿下のご希望なら仕方ないと」

 

 ギディオン自身もこの人事には納得してないらしい。ベルベットも、少なくとも自分より遙かに優秀で、後輩から人望のある者を差し置いて選抜されるなど良い気がしない。なんたる上下関係クラッシャーか、盛大に文句をいってやりたい気分になりながらも、途中で奥歯を噛み堪える。

 これでギディオンまで頭ごなしに命令するようなら嫌味を飛ばしたが、彼自身納得してないのは丸わかりだったからだ。

 

「殿下の視察ってまったく調べてなかったのですが、時間的にどのくらいでしたっけ」

「およそ昼前から夕方まで。昼食も学園長や弟君であるスティーグ様が同席する予定だ」

「……まさかと思いますが、グロリアは?」

「それは断られたと聞いている」


 同席する人員把握も近衛の務めだから、嘘は言っていないはずだ。

 長い時間をかけベルベットが出した答えは一つしかない。


「…………やるしかないでしょう」

「そこまで嫌か」


 現時点、自国の王子殿下以外の感想はない。グロリアの意思を無下にしている時点で問題外だし、ついでに始終存在を無視されたので印象は最悪だ。

 一応ベルベットが受けるつもりらしいとわかったギディオンは安心した様子だ。彼女には打ち合わせに出るよう伝えるのだが、そこでもう一つ言い渡した。


「お前用の馬はどうする」

「……馬を使うんです?」

「当たり前だ。こちらから貸し出しても良いが、お前の馬は見目も悪くなかった。自前で用意してくれるなら馬具代はこちらで持つが……」


 馬の話題になった途端、ベルベットの中で湧き上がっていた不快感が一気に消し飛んだ。思いだしたのは今朝方、愛馬が静かに苦しむ姿だ。


「……ベルベット?」


 ギディオンが驚き椅子から立ち上がったのは、ベルベットの中でぷつんと線が切れたためだ。洪水の如く流れ出した涙が頬を流れる。


「おい、どうし……」

「私のセロが」


 子供達の前もあって我慢していたというのに、余計な話で気が逸れ、不意に戻ってきたせいだ。滝のように涙を零すベルベットにギディオンは戸惑いを隠せずにいると、折悪くコルラードとセノフォンテが扉を叩く。


「隊長、話は終わったでしょうか。ベルベットに話が――」

「待てコルラード!」


 ギディオンの制止も間に合わなかった。

 二人が見たのは焦るギディオンとぼろぼろに涙を零すベルベットであり、この光景に少年は時間を止め、セノフォンテは真顔で呟いた。


「おお。これは修羅場の予感」


 場の混乱が終息するには少し時間を要し、二人が状況を理解した頃、ベルベットの涙もようやく落ち着いた。

 ぐずぐずと鼻を鳴らし、白粉が落ちるのも厭わず、鼻と目元を真っ赤にしながら借りたハンカチで目元を拭っている。自前では足りず、ギディオンやコルラードのものも、セノフォンテが勝手に差し出していた。

 話を聞いたギディオンが要約する。


「――で、馬が発作を起こしていたのがショックで泣き出したということか」

「さっさと切り上げて馬に詳しい人に薬をもらいに行こうと思ってたら、変な話を持ってこられて」

「誤解を与えるような言い方をするな。殿下の護衛は決して変な話ではない」

「あんなもん誰が喜んで護衛するかと。そんなことより私のセロが……」

「なるほどな……」


 人によっては動物ごときで、と言われそうだが、彼らにとっては他人事ではない。なぜなら良い騎士には良い馬が必要で、彼ら自身もそれぞれ愛馬を所持しているから、ベルベットの混乱にも理解を示し、セノフォンテも神妙な顔で頷いている。


「あれは綺麗な栗毛でしたからね。馬体も見事で美しかったが……発作を起こしたとなれば、安静にさせた方が良さそうです。警護の日の馬はわたくしが手配しましょう」


 ベルベットの馬の美しさは覚えていたらしい。コルラードは腕を組みながらベルベットに尋ねた。

 

「薬といったが、獣医に診せずにわかるものか?」

「何年か前に亡くなった母馬と同じ症状でした。その時は薬が高くて間に合いませんでしたが、いまなら手が届くんじゃないかと……」

「……わかった。なら、早く帰れ」

「コルラード殿は、私に何か用事があったのでは」

「いまなくなった」

「しかし」

「いまの言葉で大体理解した。お前の企みでなかったのだとしたら、何か思惑でも働いてるんだろう」


 ベルベットは彼が理解するような言葉を発した覚えはないのだが、馬鹿馬鹿しい、と呟く少年の横顔は不貞腐れてもおり、セノフォンテが慰めている。


「殿下をあんなもの呼ばわりするくらいなのだから、二心はないでしょう」

「黙れセノフォンテ、お前はいつも一言余計だ」


 突っ込みどころはいくつかあれど、帰って良いというなら、愛馬のためその通りにするだけだ。ところがこれに同行すると申し出た者がいた。

 ギディオンだ。


「獣医師ならコネがある」

「え、いえ、一応アテはあるし結構ですよ」

「帰りはどうするつもりだ。家まで相当距離があったのに、どうやって薬を急ぎで持ち帰る」


 などと言われては悩む暇もない。セノフォンテもギディオンの馬なら早いと言うし、厚意に甘えさせてもらえることになった。

 結果、家で鉢合わせたグロリアの悲鳴が木霊し、妹と愛馬の心臓には悪かったのかもしれないと、その点は深く反省したベルベットだった。

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