【①巻発売中】"悪女"の妹が、前世なんて呪いを抱えてた

かみはら

1.『死』のシナリオから逃れるために

第1話 帰ってきた悪役令嬢

 ベルベットにとって、妹のグロリアは不思議な子だった。

 

 ハーナット家から妹を養子に出す話が出たのは十年前、ベルベットが十三歳の時になる。

 この時、妹の年齢は七歳。

 彼女は娼婦だった母と、何の因果か侯爵との間に生まれた幸運な娘だ。

 子供とは思えないほど利発な娘で、なにより誰から見ても愛らしい少女だったから、彼女の実父である侯爵がグロリアを欲しがったのは、子供であるベルベットでも理解できた。

 しかし家族と離れるなど信じられなかった当時のベルベットは養子縁組に反対。もちろん彼女と仲の良かった妹も嫌だと言ってくれると信じていた。

 なぜならハーナット家は母子家庭だ。

 多忙で家事が苦手で生活リズムの合わない母の代わりにベルベットが弟妹達の世話を焼いて、裕福ではない家のことを子供ながらに切り盛りした。グロリアにとっては姉が父母代わりで、よく姉の後ろをついて回っていた。

 姉妹仲は良かったし、彼女達はお互いを助け合い上手くやっていた。侯爵や母も彼女達の意見を聞いてくれた。だからふたりが強く反対すれば、拒否できると思っていた。

 しかし妹の返答はこうだ。


「私が侯爵家に行けば、おうちにたくさんお金が入るじゃない!」


 こんな台詞を吐いてしまった妹を、母がどう感じたかは不明だ。なぜならベルベットはグロリアの決断がショックで、母がどんな顔をしていたのか覚えていない。

 当時のベルベットはやや裏切られたような気持ちになってしまったのは否めないが、後々になると妹の発言には思うところがある。


 ずばり、妹は賢すぎる、だ。


 元々違和感はあった。

 やたら大人びた振る舞いは、ただ大人の真似をしているにしては、同い年の女の子達とは一線を画すような知性があった。

 俯きがちにブツブツと呟くひとり言はいつも不思議だったと記憶している。


「九九ができれば楽勝……って感じではないのよね。アイテムも出回ってないし、思ったより無双はできないか」

「グロリア、むそうってなに?」


 彼女の頭の中にある言葉は、ベルベットには理解できないものも多かった。

 思考に集中する妹の顔をのぞき込めば、大体グロリアは大慌てで本をぎゅっと抱え込む。


「なんでもない! ほ、本を読んでただけっ」

「その本、母さんの本棚にあったやつだっけ? 大人が読むヤツなのによく読めるね」


 彼女はどこで学んだか、教えていない文字や計算を独学で覚えるだけの賢さがあった。母は忙しく、ベルベットには学が足りなかっただけに、なぜ勉強ができるのか不思議だったが、将来が有望であるのは喜ばしい。もう少し経って教会に通っていたら、まさに神童として謳われていただろう。

 そんな妹だったから、家の経済状況に憂いていた可能性は大いにある。当時は「お金がない」が口癖だったベルベットが不甲斐なかったから、家族を助けるために侯爵家にもらわれていったのではないか……彼女は悩んだけれど、それにしては、と思う状況も多い。

 別れ際、グロリアはベルベットの手を取り言っていた。


「心配しなくても大丈夫。だってこれは、どうあっても避けられない運命なんだもの」

「グロリア、こんなときまで強がらないで」

「強がってなんかない。だって私は将来王子さまのお妃さま候補になるんだし、そのあたりまでは安泰なのはわかってるの。うまくやってみせるから平気よ」

「また、そういう夢物語を……」

「夢物語じゃないもん。それより、お姉ちゃんはみんなをお願いします」


 七歳の女の子にしては口が達者だが、いつものグロリアのひとり言、もとい妄想のひとつだと片付けた。日常で「こんなのシナリオにない」とか「どの状況を変えれば生き延びられるかしら」などと呟いていれば、いつものことだと聞き流してしまう。

 日頃妄想が激しくて、ちょっと変わり者でも、グロリアはベルベットを慕ってくれていた。

 だからきっと惜しんでくれると思ったのに、この別れようといったら、当時のベルベットがどれほどショックだったか、妹は知る由もないだろう。

 もう少し落ち着いて考えることができるようになったのは時間を置いてからで、当時はかわいらしくペコリと頭を下げ、嬉々として養子縁組されていった妹を見送るしかなかった。

 分かれた姉妹は別の道を歩んだ。

 妹は華やかで飢えることのない貴族の生活を。

 風の噂で耳にしたが、グロリアは本来後ろ指を指されがちな隠し子という出自にもかかわらず、侯爵家の中でも秀でた娘として迎え入れられたと聞くが、一方でベルベットはしばらくはそれなりの生活を送ったものの、数年後には食うや食わずの毎日を送る羽目になった。

 無論、最初はハーナット家にも大金があった。

 これは妹を養子縁組にした際、侯爵から口止め料としてもらった金だったが、金貨は後年、母が病気に罹り臥せったために薬となってしまった。

 おまけに看病も虚しく、ベルベットが一七になる前に母は亡くなってしまったのだから、人生とはままならない。おまけに母がいなくなったからといって、生活が楽になるわけではない。

 その最たる理由は、ハーナット家が子沢山だったためである。

 ベルベットの弟妹達は実際に母が生んだ子、道ばたで拾った子と様々ではあったけれど、彼らを育てるのに忙しく、ベルベットは細々とわずかな賃金を稼ぐために毎日家を出る日々だ。


 それからさらに時が過ぎ、ベルベット二十一、グロリア十五歳の出来事である。


 『その話』が国中を駆け巡ったとき、別れ際の妹の言葉を大言壮語な夢物語と受け止めていたベルベットは、ついぼやいたものだ。


「あの子、もしかして未来予知の才能でもあった?」

 

 グロリアは本当に第二王子おうじさまの婚約者になった。

 たしかにグロリアがもらわれていったデイヴィス侯爵家はサンラニア国有数の名家だ。

 当主の手腕もあったかもしれないが、王家との婚約にこぎ着けるまで隆盛していたとは予想外で、まして隠し子だったグロリアが選ばれたのは驚きしかない。彼女の出自はどこぞの貴族の女に産ませたと思われており、平民出とは思われていないためだ。

 このときまでグロリアの秘密が漏れなかったのは、侯爵家は当然、ベルベットの努力も大きい。

 名家にもらわれていった娘と、都の片隅で細々と暮らす、貧しい出自の女との繋がりなど許されないと母に言い含められた彼女は、グロリアに会いに行かなかった。

 よしんば会いに行ったとしても、互いの環境が姉妹としての再会を許さなかったろうから、会いたい気持ちを堪えたベルベットは正しかったのだろう。 

 この時には一人の稼ぎで弟妹を食べさせていけるだけにはなっていたから、度々グロリアを気にかけていた。

 ベルベットが二三歳を迎えると、グロリアが学園を卒業したら、いよいよ結婚式が執り行われるだろうと耳にした。

 もはやベルベットはグロリアの身内ではない。向こうもとっくに生家など興味ないだろうが、昔の妹を思うくらいは勝手。幸せを願うのも自由なはずだと信じていたら、その時はやってきた。

 第二王子の誕生祝いだ。

 国中の貴人が揃い、色とりどりに飾られ、楽士が楽器を奏でる会場で、第二王子はグロリア以外の女性を連れていた。

 彼らは参列者の注目を集めている。なにせこのお祝いは第二王子とグロリアの仲の良さを見せつける意味を兼ねているからだ。次期国王たる第一王子の補佐も安泰で、国の行く末も盤石であると皆に知らしめる、そういう目的があったためだ。

 なのに馬鹿野郎第二王子は言った。


「グロリア・デイヴィス。お前との婚約を破棄させてもらう」


 誰もが呆然とした。呆然とせざるを得なかった。

 王子の隣で勝ち誇った顔を隠さない女が笑んでおり、ベルベットはこれらの光景を悪質な冗談か、それとも歌劇が始まったのかと思ったくらいだ。しかしいくら待っても王子の協力者は現れないし、第一王子や、国王に王妃まで顔に疑問符を浮かべて困惑している。

 これに対し“玲瓏なる一輪の華”と名高いグロリア・デイヴィスの返答は簡潔だった。


「つまり殿下、わたくしはいま、婚約破棄を宣言されているということでしょうか」


 たおやかに微笑む娘に動揺はない。

 むしろいつも通りだ。グロリアは常に優秀で、常に冷静さを失わない令嬢だと評判である。

 彼女の反応に第二王子は怯んだ様子だが「ああ」と鷹揚に頷いた。


「聞けばお前は王家に相応しくなく、醜態が目立つ。そのような女を王家に加えるわけには行かぬのだ」

「左様ですか」


 デイヴィス家のグロリアの醜態など、ベルベットは聞いたことがない。いったいどんな噂なのか聞いてみたくあったが、グロリアは狼狽えもせずお辞儀した。

 一ミリも揺るぎのない、貴人として相応しい有り様の礼だ。


「では、そのように。王子殿下と並ぶことが相応しくないのであれば、わたくしは退場するのみです。では皆さま、どうぞご機嫌よう」


 縋ることも、泣き叫びもしない。隣の娘や、王子の親である王へすら糾弾も行わない。颯爽と踵を返す姿に、他の者が彼女を引き留めるが、グロリアの足は止まらない。

 騒然としだした場を落ち着けようと、慌てた指揮者が楽器を奏でさせ騒音をかき消そうとする。

 場は混沌とし、小さなざわめきが波となっている中で、口元を扇で覆っていた“玲瓏なる一輪の華”の目が動く。

 ベルベットは驚いた。

 なぜならグロリアがベルベットを視界に納め、足の向きを変えると、真っ直ぐに彼女のもとへやってきたからだ。ベルベットの目前で立ち止まったグロリアは、頭からつま先まで、じっくりとその姿を目に納めて口角をつり上げる。

 無理のない自然な笑いだった。

 遠くから見ていた、いつも社交界で見せる嘲笑を込めたような笑みではない。グロリアは……妹は、まるで大輪の花を咲かせたかのような満面の笑みで口元を隠しつつ、ベルベットへ顔を寄せる。


「姉さん、私、そちらの家に帰ります」


 間を置いたが返してしまった。

 

「考え直さない?」


 敬語もなにもあったものではない。

 突然の出来事に頭が回っていなかった。考える暇もなかった回答だが、たとえ時間を与えられても、言葉遣いが違うだけで返答は変わらないだろう。

 グロリアが上目遣いで拗ねた表情を作ると、まだこんな風に感情表現が豊かだったのかと驚かされる。薔薇をイメージした赤い衣装に髪飾りは大人びており、赤みを帯びた黒い髪が頬にかかる姿は際立った美人だが、今の姿はまだまだ可愛らしい乙女の域だ。

 ベルベットとグロリアはしばらく視線を交わし合う。


「グ……」

 

 妹の名を口にしかけて、止めた。

 正式な招待客であるグロリアに対し、ベルベットは借り物の騎士服を纏う警邏の“その他大勢”だ。

 突然の婚約破棄という荒唐無稽な喜劇と、計画通りと言いたげな妹のせいで無関係を装えなかったのは失態だが、こればかりはベルベットに責はないだろう。

 混乱の隙を縫い、会場やグロリアから逃げるようにその場を離れたけれども、行動力の化身を甘く見たツケは翌日の早朝にやってきた。


「グロリア・デイヴィスもといグロリア・ハーナット。ただいま実家に帰りました!」


 状況を理解するのに、十秒ほど時間を要したのは言うまでもなかった。 

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