"悪女"の妹は、前世なんて呪いを抱えてた
かみはら
1.『死』のシナリオから逃れるために
第1話 帰ってきた悪役令嬢
ベルベットにとって、妹は少し不思議な子だった。
母が妹であるグロリアを養子に出したのはおよそ十年前になる。
娼婦だった母は、妹の父親である侯爵の提案に乗って彼女を引き渡した。家族と離れがたかったベルベットは養子縁組には反対気味で、当然妹も嫌だと言ってくれると信じていた。なぜなら多忙な母の代わりにベルベットが家族の面倒を見ていたためである。
グロリアはベルベットに懐いていた。父の居ない母子家庭。生活リズムの合わない母の代わりに世話を焼いて、あまり裕福ではなかった家の内部を子供ながらに切り盛りした。グロリアにとっては姉が父母代わりで、姉妹仲は悪くなかったし、彼女達は上手くやっていた。侯爵や母も彼女達の意見を聞いてくれた。だからふたりが強く反対すれば、拒否できると思っていた。
しかし妹の返答はこうだ。
「私が侯爵家に行けば、おうちにたくさんお金が入るじゃない!」
何故か張り切って、おまけに嬉々と養子縁組されていった。
当時は呆然と妹を見送ってしまったが、後々思うと疑問に感じる点が多々出てくる。
ずばり、妹は賢すぎる、だ。
当時のグロリアはわずか七歳。やたら大人びた振る舞いを行いをしていたが、年頃の女の子にはよくある話と聞く。たとえブツブツと独り言を呟く癖があっても、教えていない文字や計算を独学で学んでいたとしても些細な問題だ。なぜ勉強ができることを家族に隠していたのかは不思議だったけれど、妹の頭が良いのは喜べる話なのだから。
そんな妹だったから、家の経済状況に憂いていた可能性は大いにある。当時は「お金がない」が口癖だった姉が不甲斐なかったから、家族を助けるために侯爵家にもらわれていったのではないか……ベルベットは悩んだけれども、それにしてはおかしい。
別れ際、グロリアはベルベットの手を取り言っていた。
「心配しなくても大丈夫。だってこれは、どうあっても避けられない運命なんだもの」
「グロリア、こんなときまで強がらないで」
「強がってなんかない。だって私は将来王子さまのお妃さま候補になるんだし、そのあたりまでは安泰なのはわかってるの。うまくやってみせるから平気よ」
「また、そういう夢物語を……」
「夢物語じゃないし。それより、お姉ちゃんはみんなをお願いします」
かわいらしくペコリと頭を下げられる。
七歳の女の子にしては口が達者だが、これもいまさらだ。当時のベルベットも、いつものグロリアのひとり言、もとい妄想のひとつだと片付けた。日常で「こんなのシナリオにない」とか「どの状況を変えれば生き延びられる」とか呟いていれば、いつものことだと聞き流してしまう。
日頃妄想が激しくて、ちょっと変わり者でも、グロリアはベルベットを慕ってくれていた。
だからきっと惜しんでくれると思ったのに、この別れよう。もう少し落ち着いて考えることができるようになったのは時間を置いてからだ。
数年前、グロリア十五歳。ベルベット二十一歳の頃の出来事である。
『その話』が国中を駆け巡ったとき、ベルベットはぼやいた。
「あの子、もしかして未来予知の才能でもあった?」
まさか本当に
確かに侯爵家は国内有数の名家だった。当主ジャルデルの手腕もあったかもしれないが、王家との婚約をこぎ着けるまで隆盛していたとは予想外で、まして養子縁組されていたグロリアが選ばれたのは驚きの声しかない。彼女の出自は秘密とされているものの、平民からもらわれてきた娘というのは有名な話。ベルベット自身も、妹の言葉を大言壮語な夢物語と受け止めていたから尚更だ。
ベルベットとグロリアの関係は秘密とされた。
これは当然だ。
名家にもらわれていった娘と、国の片隅で細々と暮らす貧しい出自の女との繋がりなど許されない。母には妹に二度と会ってはならないと言い含められていたし、実際、互いの環境が姉妹としての再会を許さなかった。
それにベルベットには他に弟妹がいた。実際に母が生んだ子、道ばたで拾った子と様々ではあったけれど、彼らを育てるのに忙しい。まして後年、母は病気で臥せてしまった。
侯爵家から金をもらった以上は口外できないから、耳にしていたのはすべて風の噂になる。
幸いにも、グロリアは侯爵家でかわいがられた。
庶子出身にしては異例らしいけれど、彼女は名家であり曲者揃いの侯爵家の中でも秀でた娘となった。
一方でベルベットは母を亡くしたけれど、その頃にはなんとか自立している。弟妹を食べさせていけるだけの職を得ていたから、度々グロリアを気にかけていた。
彼女が学園を卒業したら、いよいよ結婚式が執り行われるだろうと耳にした。
もはやベルベットはグロリアの身内ではない。向こうも生まれの家には興味ないだろうが、昔の妹を思うくらいは勝手。幸せを願うのも自由なはずだと信じていたら、その時はやってきた。
第二王子の誕生祝いだ。
国中の貴人が揃い、色とりどりに飾られ、楽士が楽器を奏でる会場で、第二王子はグロリア以外の女性を連れていた。
彼らは参列者の注目を集めている。なにせこのお祝いは第二王子とグロリアの仲の良さを見せつける意味を兼ねているからだ。次期国王たる第一王子の補佐も安泰で、国の行く末も盤石であると皆に知らしめる、そういう目的があったためだ。
なのに
「グロリア・デイヴィス。すまないが君との婚約を破棄させてもらいたい」
誰もが呆然とした。呆然とせざるを得なかった。
王子の隣で勝ち誇った顔を隠さない女が笑んでおり、ベルベットはこれらの光景を悪質な冗談か、それとも歌劇が始まったのかと思ったくらいだ。しかしいくら待っても王子の協力者は現れないし、第一王子や、国王に王妃まで顔に疑問符を浮かべて困惑している。
これに対し“玲瓏なる一輪の華”と名高いグロリア・デイヴィスの返答は簡潔だった。
「つまり殿下、わたくしはいま、婚約破棄を宣言されているということでしょうか」
たおやかに微笑む娘に動揺はない。
むしろいつも通りだ。グロリアは常に優秀で、常に冷静さを失わない令嬢だと評判である。
彼女の反応に第二王子は拍子抜けした様子だが「ああ」と鷹揚に頷いた。
「聞けばお前は王家に相応しくなく、醜態が目立つ。そのような女を王家に加えるわけには行かぬのだ」
「左様ですか」
デイヴィス家のグロリアの醜態など、ベルベットは聞いたことがない。いったいどんな噂なのか聞いてみたくあったが、グロリアは狼狽えもせずお辞儀した。
一ミリも揺るぎのない、貴人として相応しい有り様の礼だ。
「では、そのように。王子殿下と並ぶことが相応しくないのであれば、わたくしは退場するのみです。では皆さま、どうぞご機嫌よう」
縋ることも、泣き叫びもしない。隣の娘や、王子の親である王へすら糾弾も行わない。颯爽と踵を返す姿に、他の者が彼女を引き留めようとしても止まらない。
騒然としだした場を落ち着けようと、慌てた指揮者が楽器を奏でさせ騒音をかき消そうとする。
場は混沌とし、小さなざわめきが波となっている中で、口元を扇で覆っていた“玲瓏なる一輪の華”の目が動く。
ベルベットは驚いた。
なぜならグロリアがベルベットを視界に納め、足の向きを変えると、真っ直ぐに彼女のもとへやってきたからだ。ベルベットの目前で立ち止まったグロリアは、頭からつま先まで、じっくりとその姿を目に納めて口角をつり上げる。
無理のない自然な笑いだった。遠くから見ていた、いつも社交界で見せる、嘲笑を込めた笑みではない。グロリアは……妹は、まるで大輪の花を咲かせたかのような満面の笑みで口元を隠しつつ、ベルベットへ顔を寄せる。
「姉さん、私、そちらの家に帰ります」
間を置いたが返してしまった。
「考え直さない?」
敬語もなにもあったものではない。
突然の出来事に頭が回っていなかった。考える暇もなかった回答だが、たとえ時間を与えられても、言葉遣いが違うだけで返答は変わらないだろう。
グロリアが上目遣いで拗ねた表情を作ると、まだこんな風に感情表現が豊かだったのかと驚かされる。薔薇をイメージした赤い衣装に髪飾りは大人びており、赤みを帯びた黒いストレートの髪が頬にかかる姿は際立った美人だ。しかし今の姿はどうだ、まだまだ可愛らしい乙女の域ではないか。
ベルベットとグロリアはしばらく視線を交わし合う。
「グ……」
妹の名を口にしかけて、止めた。
正式な招待客であるグロリアに対し、ベルベットは借り物の騎士服を纏う警邏の“その他大勢”だ。
突然の婚約破棄という荒唐無稽な喜劇と、計画通りと言いたげな妹のせいで無関係を装えなかったのは失態だが、こればかりはベルベットに責はないだろう。
混乱の隙を縫い、会場やグロリアから逃げるようにその場を離れたけれども、行動力の化身を甘く見たツケは翌日の早朝にやってきた。
「グロリア・デイヴィスもといグロリア・ハーナット。ただいま実家に帰りまーした」
状況を理解するのに、十秒ほど時間を要したのは言うまでもなかった。
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