吾輩は馬である。

@kobemi

プロローグ 吾輩は馬である。

吾輩は馬である。

名前はまだない‥‥、なんてことはなく、シュンという大変歴とした名前がある。

由来は失念してしまったが、吾輩の主が付けてくれたものである。

この主というのが、なかなかどうして奇奇怪怪な人物であった。

吾輩の主は、元来が飄々として、吾輩の背に跨り、縦横無尽に魔王の手に堕ちたこの世界を救うでもなく駆け回り、ただひたすら人一人と馬一匹、悠々自適に日々を過ごしていた。

彼との共同生活には、文句を言いたくなるような場面も多々あった。

彼にはことあるごとに自分の英雄譚(自分自身ですらその話の真偽が定かでなくなってしまっているように思われた)を会う人会う人に語って聞かせるきらいがあり、俺は昔デカイノシシを下したことがあるだとか、魔王を討伐したのはこの俺だだとか、いかにも偏屈な男らしいねっちょりとした熱を帯びた目を底光りさせて、鼻息荒くこれらの科白を大言壮語することがままあった。そういったホラ話を頼んでもないのに聞かされる時は、吾輩はいつも馬らしく馬耳東風を決め込んでいた。

彼との旅も終盤に差し掛かった頃のこと。

吾輩の主は突然海を見に行きたいと言い出した。

その頃の吾輩の主は、ずいぶんと心身共に荒みきっていた。頬は痩せこけ、以前から自分の自信のなさを全面に押し出したなよなよした声をしていたが、今ではしゃがれきって、ひどく痰が絡んだ生彩を欠いた声になっていた。海へと向かう途上、彼の咳はより痛ましいものになっていき、その頻度も心なしか増えているような気がした。

そして柄にもなく、やれもうこの痛みには耐えられそうにないだの、やれ此岸での務めは十分に果たしただの、厭世的なことをぽつりぽつりと溢すようになった。

我らが旅の終着点に着いた時、彼は真正面から吹きつける風に自身の痩せぎすの体を晒していた。

彼はふと今気がついたといった風に吾輩の方へ向き直ると、屈託のない笑顔を湛えて「達者でな」とだけ言い残し、切り立った崖の上に仁王立ち、眼下に広がる、暖かな日差しをきらきらと照り返す一面の青に魅せられて、彼はとうとう渦巻き荒れ狂う海の底へと姿を消した。

食い扶持を無くした吾輩は、路頭に迷っていたところを通りすがりのお爺さんに拾われて事なきを得た。

衣食住(馬にとっては食住で十分事足りるが、お爺さんは新品の鞍まで快く新調してくれた)を無償で与える条件としてお爺さんが吾輩に提示したのは、お爺さんの営んでいる馬宿で新米冒険者の騎乗する練習馬となることだった。

かくして吾輩は、新米冒険者達が来る旅立ちの日に向けて英気を養い、これから苦楽を共にすることになるパーティを探したり、冒険のための装備一式などの生活必需品を揃えたりするための場所ーー前途有望な彼らの第二の故郷と言える宿場町サイトンの片隅でひっそりと居を構える馬宿に身を寄せることとなったのだった。





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