フェンダメンタル・トリートメント

第1話

 午前10時過ぎ。今日も雑巾臭い汚染雨が降り注ぐ、ネオイーストシティ・酩酊通りドランクストリートの一角にあるアイーダ探偵事務所。


「アイーダさん! おっはようございまーす!」


 休日のため、まだアイーダが寝ているその寝室に、4時間前から起動して掃除やら洗濯やらをしていたナビが、元気いっぱいに突入して窓を採光モードに切り替えた。


 ナビは白い素体だけでモラル面でも装備は十分だが、


「ほらほらほらー! ご覧の通り可愛さ重点のメイドロボ! ナビちゃんが来ましたよ!」


 わざわざクラシカルな黒いメイド服を着ていた。


「うー……」

「はいはいはい! あと5分なんですね! そうなんです! ナビちゃんコンマ0まで正確に測って起こしちゃいますよ!」


 布団の中でもそっと動いて呻くアイーダへそう言いつつ、顔の横で斜め向きピースをしていたナビは、シャカシャカとカニ歩きでダブルサイズのベッドサイドにやって来た。


「あと5時間……」

「おやつの時間じゃないですか! はい起きてください! でないと朝食もご用意できませんよ! あっ、抜きってわけじゃなく、昼食をご用意することになります!」

「うるせえ……。休みの日ぐらい好きに寝かせろ……」

「そう言って先週、起きたら夜の7時になってて嘆いてたじゃないですか。来週は絶対10時には起こせとも」

「……」

「おーきーてーくーだーさーいー!」

「さむい……」


 都合が悪くなったので黙って布団に潜ったアイーダに、ナビはすかさず布団をめくり上げて、下着にワイシャツだけ着て寝ている彼女を横抱きに抱え上げた。


「まったくもう、こんなところカガミさんに――」


 ギュッと首辺りにしがみついてくるので、ホクホク顔のナビが振り返ると、水気を払った外套を手にひょっこり寝室を覗き込むカガミと目が合った。


「……私が、なにか?」

「ふ、不法侵入ですっ! 不法侵入ですよアイーダさん!」

「いや、合鍵貰って自由に出入りしてくれ、と言われているが……」

「なにおう! ご本人からお聞きしないことには信じられないのです!」

「確かに言ったぞ……」

「……」

「洗濯装置借りるが、良いだろうか」

「おう、好きに使え……」


 これ以上になく憮然ぶぜんとした顔をするナビを放置し、アイーダに訊ねて返事を貰ったカガミは、


「アイーダさんの寝起きは、あんな感じ、か……!」


 いつも凜々しい彼女のオフの姿に、デレデレの締まりが無い顔をして独りごち、ランドリーへと向かって行った。


「わ、私だけの特権がぁー……」

「んな特権はねえ……。ダラダラしてねえで風呂入れてくれ……」


 無駄にうるうるした目をするナビへ、アイーダは冷ややかに言って大あくびをしつつ、小さく身体を震わせた。


「流石にお風呂は見せませんよね!?」

「はいはい……」

「い、一応、介護の知識はあるが……!」

「せめーんだからナビ1人で十分だ……。そんで介護って言うな……」

「そうか……」


 洗濯装置にMA-1入れて戻ってきた、黒い素体に裾の長い蛍光イエローTシャツのカガミが、生唾を飲み込んでいそいそとやって来たが、アイーダに面倒くさそうにストップをかけられてしょぼんの顔文字みたいになった。


「ったく、アタシのすっぽんぽんなんか見て何になるんだよ」

「そ、そういう目的はないんだ。単にあなたの役に立ちたいという純粋な善意、だ」

「ななな、なんで目を逸らすんです?」

「お前も目泳いでんぞー」


 欲望が漏れ出ている1人と1体へ、まあ正直でよろしい、とアイーダは鷹揚おうような様子で言って、何でも良いから風呂入れてくれ、と鳥肌が立っている二の腕を撫でた。


「で、結局あなたも入ってきてるじゃないですかっ」

「あ、アイーダさんがダメというなら引き揚げるが」

「勝手にしろ。……見ておもしれえもんでもねえぞ」


 しっかり暖めてあった浴室に連れてこられたアイーダは風呂椅子に座り、少し躊躇うように衣類を脱いでナビに手渡した。


「――ッ。これはいったい……」

「若え頃のオイタの結果だ」


 服で隠していたその背中の中心には、放射状に太い線の刺青いれずみが入っていた。


 息を飲んで口元を押えるカガミの横を通って、ナビは衣類をカゴに放り込んだ。


「理想だけで世の中が変えられる、なんて無邪気に思ってた頃でな。オールドウェストの女帝様にな、男女を強引に中性化するのはおかしいだろ、つったらこのザマだ」


 痛み無くして正しさは成せねえ、っつって麻酔無しでやられて死ぬかと思ったぜ、と何でもなさそうに言ったアイーダだが、怯えるように少し身を縮こまらせていた。


「じゃあ、始めますね」

「ん」


 いつもの様にはふざけずに少し厳しい表情をするナビは、センサーで適温を確認したお湯をさっと全身にかけ、泡で出てくる全身ソープでそれを覆い隠した。


「――正しいって、なんだろうな。アタシがそうだって思って突っ走ると、ガキの時分から大概痛え目に遭うもんだから、もう分かんなくなっちまってな……」

「……」


 俯いているため、濡れた髪を垂らして顔が隠れているアイーダが、まるで迷子の様に言葉を絞り出してそう言うが、カガミにはその答えを出せなかった。


「つめてっ」

「すまない。――少なくとも、私はあなたの言ったことは間違っていない、と思う」

「そうか」


 髪を洗われているアイーダの、泡で隠れた刺青いれずみの辺りを横からそっと触れて、重みのある声色でカガミはそう言った。


「流しますね」

「ん」

「ま、この意味分んねえAIのおかげで、じっくり考える時間ができたわけだし、じっくり考えるさァ」

「そぉーッ! なんですよねーッ! 少なくともナビちゃんに出会った運命は正しいんです! これだけは誰が何と言おうと私が保障しますから! なんでって? 私のはじき出した答えの信頼度はウルトラスーパーアルティメットなのです!」


 カガミが思った以上に沈んでしまったので、湯が滴る髪を撫で付けつつ少し無理に明るい声を出したアイーダに乗っかり、ナビはその数倍はキンキラキンに明るくした。


「急にデカい声だすな」

「すいませーん。てへ」


 迷惑そうにしながらもにこやかなアイーダへ、ナビはわざとらしく自身の頭頂部を押えて舌を出しつつおどけた。


「目え覚めたし、後は自分でやっから出て良いぞ」

「えっ。あらゆる隙間の隅々までお手伝いしますよ」

「えっ。もうダメなのか……」

「――よし。今すぐ出ろ」


 サンキュー、と振り返って言ったアイーダは、ナビが両手をわきわきしていて、カガミが延長なしと言われたお客の様な顔をしたため、


「あー」

「私としては大歓迎だが、転んだら危ないから蹴るのは止めた方がっ」

「そんなに足腰弱ってねえわバーカ!」


 眉間にシワを寄せてすっくと立ち上がった彼女に、両名とも脱衣所へ蹴り出されてしまった。


「ちょっとー! カガミさんが欲望むき出しのせいで追い出されたじゃないですかーっ!」

「それは君だろう……っ。わ、私は……そうだな、後学のためだっ」

「何を学ぶと言うんですか! 添い遂げるのは私の役割ですが!?」

「君だけに付されたものではないと思うが……っ」

「付されてまーすー! 最もアイーダさんとの繋がりが深いのはこの私なので!」

「後からいくらでも追い越せる事だろう……っ! それは……!」


 ええい我慢ならん、と尻を上げた四つんいだった2人は、立ち上がっていつもの様にロックアップして張り合い始めた。


「んがぎ――うわーッ!?」

「ぬあッ」


 だが、足元が濡れているのをすっかり忘れていた1人と1体は、足が滑って両方とも腹面を床に打ち付ける羽目になった。


「大人しくしてろ! 床が割れるだろうがっ!」


 ゴチン、という破壊的な音に対し、風呂のドアの向こうからアイーダの怒号が飛んできた。


「ごめんなさいなのです……」

「申し訳ない……」


 スカイダイビングの急降下中みたいな姿勢で、ナビとカガミはヘナヘナと謝った。


「とりあえず、床とか拭きましょうか……」

「ああ……。アイーダさんが転んでしまうから、な……」


 わちゃわちゃしたせいで、床以外にも天井やら壁やら棚やらへ水滴が飛んでいたため、カガミは高い所をナビは低い所をそれぞれ拭いた。


「お前らさあ、中身はともかく自分の身体が金属の塊だってこと忘れてるだろ? 物なら良いってわけでもねえが、人にぶつかったら危ねえのは分かるはずだがな」

「はぁい……」

「ごもっとも……」


 ナビに髪を乾かしてもらって、いつものスラックスにワイシャツ姿のアイーダは、事務所の自席に座り1人と1体を床に座らせてお説教をする。


「まあ仲が良いのはいいことだがな。じゃれ合いも程々にしろよマジで」

「誰がこんな某博士の怪物みたいな人と仲が良いっていうんですか!?」

「アイーダさんの言葉といえど、このサイバーグレムリンと仲良くした覚えはないっ」

「息ピッタリじゃねえか。やっぱ仲いいだろ」


 言葉の割にお互い空想上の生き物で相手をディスり、アイーダを温かい目でニヤリとさせた。


「こうなったら、仲良くない事を証明する必要がありそうですね……!」

「ああ。どうやらそうらしい……!」

「世界一時間が無駄な証明だな……」


 まずはお互いの気に入らないところを言い合うのですっ、と言ったナビが、まずカガミがうすらデカイ事について挙げたところで、


「ん? お客か?」


 ビル1階のホールにある対人センサーが反応し、黒い雨がっぱのフードを被った人間が、ドアの前に立つ様子がデスクのホログラム画面に映った。

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