となりの芝は気持ち悪い

西 悠貴

第1話 

小雪が舞う春の日。私は小さな木箱を抱え、家に帰った。中身は円柱型の安物の陶磁器だ。この邪魔な――と言うとバチが当たるかもしれない――モノの処分に頭を悩ませていた。

 残念ながら粗大ゴミの項目にもなく、かといってクリーンセンターまで行き、焼却炉に投げ入れる勇気もなく、処分場所は母本人が用意しているのだが、どこにあるかわからない。探偵を雇えば一発で判明するかもしれないが、大枚叩いてまで依頼する気にはなれない。人は生きるにも金がかかるが、死ぬにもお金がかかる。後始末の金ほど、もったいないものはない。

 審議の結果、家族・親戚中からこの大役に抜擢された私は、記憶を頼りに推測し、どこにあるのかの目星はついた。

 あとは現地に突撃するだけであるが、何しろ面倒くさい。乗り気がしない。ムカつく。その他ネガティブワードが頭を埋め尽くし、行動に移すことが出来なかった。

 しかし、どうだろう。

 その近辺の映画館で、恋に落ちるように沼にハマってしまったあの映画がまだ上映していることを知ったのだ。 

 今までの人生が死ぬまでの暇つぶしだったのなら、この映画に出会った私のこれからはオマケだとさえ思ったあの映画が! 映画館に二〇回以上、足を運びんで観賞し、グッズも山と買い込み、祭壇のように飾り付けるぐらいにのめり込んだあの映画が! その熱狂っぷりに、夫は離婚届を差し出されても致し方ないほど呆れ果て、思春期にさしかかった娘からも腫れ物どころかゴミ虫のような目で見られても、それでも夢中になったあの映画が! 大きなスクリーンでまだ見れるのだ! そこへ行けば!

 いても立っても、カップラーメンを待つ三分間ですら待てなくなった私は、旦那と仕事場に頭を下げて幾ばくかのお暇を頂いた。

 特急で二時間半、それからバスで三時間。さらにローカルバスに揺られて三〇分。最後は歩いて二〇分。たどり着いたのは、昭和・平成を駆け抜け、ひび割れてすすけたコンクリートの壁を持つ、貫禄しか無い小さな映画館だった。

 当然、インターネット予約という情報化社会に対応しておらず、『大人』『子ども』『学生』の三種類のボタンしか無い券売機でチケットを買い、昭和枯れススキの中に現れた平成のお姉さんに券を渡して、劇場へ入る。赤いベルベットの年期の入った座席は自由席。昭和生まれにはノスタルジックで、平成の若人にはレトロの空間に、令和最新の映像が流れる。

 セリフも一言一句、覚えたほど観た映画だが、それでも心が震えてしまう。この映画はまだガンには効かないが、そのうち効くようになるから、いくら浴びても良いのだ……。

 全身全霊で映画を堪能し、心の腹ごしらえを終えた私は、本来の目的に向かうべく一歩を踏み出……す前に、ショーケースにやる気なさげに陳列されている、巷では売り切れて手に入らない映画のグッズの前で足が止まってしまった。

「ここ、これ! ぜぜ、全部ください!」

「エッ!? は、はあ……分かりました」

 ここでそんなモノを買う人はいないのか、そもそも売る気がなかったのか、係のお姉さんは手慣れない手つきで値段表を見ながら電卓を叩きだした。無事に会計を済ませ、手元にしたグッズを頬ずりする私を見て、不審者として通報するか否かを見極めるためなのか、声をかけてきた。

「この映画、好きなんですか?」

「え、ええ! これを観るために来たんです!」

「たまに遠方から来る人もおるけど、そんなところからは初めてだ。おいでませ~」

 お姉さんの言葉が、よそ行きの営業スタイルから、耳慣れないイントネーションに変わった。ほろりとこぼした方言に親しみを感じた私は、ほわほわとしたまま、地図をお姉さんに見せ、本題を切り出した。

「あの……このお寺ってどうやって行くんですか? バスかなにかで行きたいんですが」

「へっ?! バス?! バスで行くつもり?!」

「はい。バスで行けないなら、タクシーを呼んで頂けると……」

 受付のお嬢様は、頭をポリポリと掻いた。無理もない。さすがにこの地で足を持っていないのは厳しいどころか死に等しいことぐらいは分かる。

「そのお寺さんに、何の用事が?」

「ああ……それは……」

 ハァァァァァと、車一台は吹き飛ばせるほどのため息をついたお姉さんは、いい歳こいて車の免許を持っていない私を哀れみ、送迎を買って出てくれたのだ。

「スイマセン……お仕事中なのに」

「あんじゃねぇ。押しかけるほど客なんて来ないんだから。たまにはおじぃまも店番しないと、ボケるしぃ!」

「はあ……それならいいんですが……」

 明美と名乗った彼女は、映画館の支配人の孫だという。年は三十過ぎ。私より年下だが、そうとは思えないほどしっかりしており、頼りになるアネゴだ。高校を卒業してバツイチ・子なし。出戻りだと、にこやかな笑顔で教えてくれた。今は家業の映画館を継いでいるわけではないが、手伝っているそうだ。

「ま、おじぃまの介護をしてるに近いけど」

 車窓からは全く知らない風景が飛び込んでくる。電柱の看板、街灯のカタチ、すれ違う車のナンバー、家の門構え、畑、田んぼ、空気。同じ日本であるのに、全く違う。同じなのは飲料水メーカーの自販機で、自分の住んでいる場所と地続きなのだと認識する。

「ここに来るのは初めてとが。お母様は何か縁があるだに?」

「何もないかも……」

「ええ~、墓を買うぐらいなんだから、何かあるっぺ?」

「いや、それが本当に……」

 人の価値は、その時々によって変化する。

 独身の時の私の宝物は、地球をほっつき歩いて押して貰った三カ国ほどの入出国スタンプが押されたパスポートだった。

 結婚してからは旦那、子どもが殿堂入りを果たし、つい最近、あの映画が君臨した。人から石を投げられてようが、これは譲れない。

 同様に、私が『母』と呼んでいた他人も、晩年、それまで宝物だと言っていた家族を捨てて、新たなモノを拾った。私たちがガラクタと引き剥がそうとしても、母は愛しそうに抱えて離さなかった。

 そんな母を殺したのは、たぶん、私だ。

「あんでもなぁ、あの寺にお墓なんてあったけな?」

 明美さんの何気な一言に、不安がせり上がってきた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る