犬も食わない②


 ルタはルディが気にしていたことを考えながら、「いつか、その茶器でお茶を入れていただく機会をいただければと」とミルタスが淹れるお茶を断った。

「いいえ、お気になさらないでくださいませ」

 ミルタスは手慣れた様子でお湯をカップに注ぎ、微笑んだ。

「ルタ様のお体が大切ですわ。茶葉を蒸らしている間に冷ましておきますね」

 そう言ったミルタスは、同じ緑のカップに熱いお湯だけを淹れ、そっとルタの前に置く。


「感謝いたします」

「いいえ、こんなものを飲ませなくていいように、今度からはルタ様が飲めるものを準備しておきます」

 そのやりとりをやはり微笑みながら見ているのは、アリサ・リディア王妃だった。


「それにしても大きくなりましたね」

「えぇ、とても重たくなってまいりました。人間の女性は大変ですわね」

 アリサがコロコロ笑う。「産む時はもっと大変ですよ」

「そうなのですね……」

 ルタは溜息をつきたくなった。早く出してしまいたいと思っていたのに、今よりも大変な事を乗り越えないといけないなんて……。


「えぇ、もう、それは生きながらにして腹を割かれ、腸をえぐり取られるような、そんな痛みにも思えます。ふふふ、そんな痛みに苦しむあなたを見られないなんて、残念ですこと」

 アリサの冗談にミルタスが笑顔を引きつらせるのは、いつものことだし、生きながらにして腹を割かれ腸を、の辺りはラルーだった頃に経験済みである。確かに壮絶な痛みから死ぬ方が楽かと思うことはあった。もとより、ラルーだった頃はそれで死ぬこともなかったし、死ねなかったのだけれど。

 だから、それほど驚くことでもない。


 生きていればそんなこともあるだろうくらい。


 要するに死ぬ確率は少ないかもしれないが、それほどの痛みがあるということだ。悪趣味な冗談だとは思うけれど、想像できる範囲の痛みはルタをほっとさせた。

 アリサは二人の浮かべるちぐはぐな表情も面白がって、さらに続ける。


「まずは、初期の陣痛があってね。初めての出産の時は、その痛みに不安を覚えるものです。これが普通なのか、異常なのかと。そして、わずかに痛みが和らぐのです。そして、生まれるまでの秒読みをするようにその感覚が短くなって……痛みが増してきます」


 ルタはその話をただ真剣に聴いていた。セシルはそんなこと一度も言ったことがない。

 セシルの感覚で言えば、今思えば、それは幸せの中にあるようでした、だった。

 そんな風に言うセシルの感覚よりもアリサの感覚の方が、ルタにはよく分かった。


「そして、どうなるのです?」

「ただ、生まれるのです」

「そうなのですか……」

 ただ生まれてくる。

「出すしかありませんしね」


 ……ただ生まれてくるだけ。意味はない。それが、なんとなくルタの気持ちを楽にする。


「ルタ様は嬉しいとは思わないのですか?」

 ミルタスはそんなルタを不思議に思い、カップをアリサの前に置いた後、ルタに尋ねた。アリサの表情は柔らかい。面白がっているところもある。

「いいえ。ルディの子が生まれてくるのは楽しみなのですけれど……」

「セシルから聞いておりますよ。と言っても、手紙で知らされたのですけれどね。セシルは本当に素直にあなたのことを私に託してくれますわ。あの方は本当に可愛らしいお方です」

 アリサの言葉に、ルタが視線をアリサに戻す。確かにセシルは真っ直ぐ人を信用するという特技を持っている。そして、信頼できると思う者を外したことがない。そのセシルが信頼しているのだから、やはり、ルディの心配は杞憂に近い。


「お茶の一杯でもその子に気を使っているというのに、ルタは不思議なことを心配するのね」

 アリサは年長者の微笑みを浮かべながら、今度はルタを思い、言葉を向ける。

「気にすることはないわ。ルディの子であるのであれば、たとえ魔女の子だとしても、その子はリディアスの子でもありますからね。アルバートがその子を魔女扱いすることは絶対にありません」

 そして、アリサはコロコロ笑いながらこう言った。アルバートがルディを可愛がっていることは、アリサの目から見ても、間違いないのだ。


「あなたは本当にちぐはぐに出来ていて、不思議で面白いわ。いつまでも私を飽きさせないで欲しいものだわ。だけど、かわいいものなのですよ。真っ赤な顔をして、客観的にはまったくかわいくなんて出来ていない容姿のくせに。ただ愛おしくて仕方がなくなるもの、何よりも大切に思えるものなのですよ。腹を痛めて産んだ我が子とはそういう者なのです。それまでの苦しみを、一掃してくれるような、そんな存在なのですよ」


 確かにアリサはここを監視しに来ているのかもしれない。しかし、今のところこの世情を大きく動かそうとも思っていない。

 ルタはアリサに「そんなものなのですね」と伝えながら結論づける。

 きっと、アリサは引き継がれる家督に興味があるのだ。もちろん、今のところはただの興味。だから、打てるはずの石を置いてこない。

 アリサが攻めてくるとすれば、このお腹の子である。


 トーラの性質を思えば、魔女の子として、ルディの子ではないとして、充分に条件を揃えられるのだから。

 そうなれば、ルディを駒として使うしかないのだけれど。

 ディアトーラを護る手っ取り早い決断は、ルディを思えば使いたくない。

 そして、ルタは思う。


 この家を継ぐ者は、いるのだろうかと。魔女の心配が全くないルカが、継ぎたいと言ってくれると良いのだけれど、と。


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