エピローグ『白薔薇の小夜曲』


 セシルとアノールが教会のお祈りから帰ってくると、ルディとルタが花を咲かせた薔薇の木の下にあるアースの椅子に腰掛けて、語らっていた。柔らかく、穏やかなそんな風に包まれているような、そんな雰囲気で、ふたりがルカを眺めている。

 平和だった。

 アノールがセシルに尋ねた。

「最近、時間ができると一緒にいるな」

「えぇ、仲良しは良いことですね」

 ルタのお腹に赤ん坊が宿り、後二ヶ月もすれば生まれてくることになる。


 ルタは薔薇の木の下でルカが剣術の稽古をする姿を見守ることが多く、公務が早く終わったルディはその傍に寄り添うことが多い。ルタの元へいそいそと行こうとするルディの姿を見て、アノールがからかったこともある。しかし、ルディはいたって真剣に答える。それがまたアノールにとって可笑しいのだが、ルディ曰く、「だって、ひとりの時に何かあったら大変じゃないか」だそうだ。


「赤ちゃんの名前を相談しているそうですわ」

 その言葉を聞いてアノールの頬も緩む。男か女か、男なら女なら。勝手に想像を巡らせて話し合う時間は幸せな時間だった。色々出し合ったが、結局、魔女の加護が一番多くあっただろうルオディック様から名前を一部戴くことにしたのだ。


「ルディの時もそうだったな」

「えぇ」


 ルオディックがいなければ、ラルーが仕組んだように、ワカバはこの世界を憎んでいたかもしれない。この世界は当時のラルーの思惑通り、消えてしまっていたかもしれない。リディアスで特にディアトーラを警戒していた頃の話だ。もし、あのままリディアス研究所において、ワカバがあり続けたのならば、いつか、限界がやってきていただろう。

 もし、当時の研究所長官ランネルが、ワカバのトーラを引き出してしまっていたら、この世界はずっと違っていたかもしれない。


 イルイダの母であるマイラが、ルオディックを憎しみだけで育てていたならば、彼はこの国を憎んでいたかもしれない。

 ルオディックがイルイダの存在を望まなければ、ワカバはこの世界を残さなかったかもしれない。

 ワカバが、失いたくない人間であると彼のことを認識しなければ、今は訪れなかったかもしれない。


 もちろん、そんなこと、アノールもセシルも知らないけれど。


 しかし、そんな風に魔女に愛されたと言われるルオディックから名を取れば、魔女に奪われなくて済むもしれないと思っていただけで……。

「何がどう転ぶか、全く分からないものだな」

「本当に」

 セシルは遠い過去に記憶を飛ばす。


 幼いルディがルタ様に求婚した時。

 今思えば、あの白薔薇が狂って咲いたのは、ルディのためだったのかもしれない。

 どう考えてもとち狂っているのはあのふたりではなく、ルディの恋の方だったのだから。


「どうした?」

 急にクスリと笑ったセシルの肩をそっと抱き寄せたアノールが尋ねる。そのアノールに寄り添うセシルが穏やかな微笑みを浮かべた。

「いいえ、幸せだなと思いまして」



「だいぶ様になって来た感じだね」

「えぇ。身体の重心がしっかりしてきていますわね」

 ルディとルタが遠くで竹刀を振るルカを見遣りながら、にこやかな会話をする。

「まだまだ大きくなるのかなぁ?」

「さぁ? 最近急に大きくなってきましたから、予測が付かないのです」


 臨月まで一ヶ月ほど。時々目に見えるほど、お腹の赤ちゃんが動く。

「あ、動いた」

 ルディの言葉にルタが「とても元気な子みたいです」とお腹を見つめて返す。

 そして、ルディが傍にいる時は本当によく動く。

「きっと、あなたのことが好きなのだと思います」

「ほんとう?」

 嬉しさを隠すことなく、ルディの声が弾む。


「出てきたら、今度は父さまがたくさん抱っこするからね」

「よろしくお願いします」

 ルタが微笑む。弾んだ声のままルディがルタに話しかける。

「名前ね、女の子だったらグレーシアにしたいなって思うんだ」

 話題が赤ちゃんの名前に変わった。最近一番の話題なのだ。


 グレーシア。

 それはグレースから。

 ターシャ・グレース。

 ディアトーラの百年前の作家から。

 ルタが『恋』を知ろうと思ってたくさん読んだ本を書いた人だから。

 ディアトーラの女性で初めて家名を付けた芯の強い人だから。そんな人の家名は消えてなくならないようにしたいなと思うから。


「良いですわね」

 ルタが同意する。

「良かった」

 ルディが穏やかに微笑み、やはり嬉しそうにする。そして、肩の荷が下りたように、大きく息を吐き出したルディが、また息を吸い込んだ。

「あのさ、ずっと渡したいなって思ってたんだけど……」

 そう言ってルディが上着を探ると小さな包みが出てきた。

 空の色の包みから出てきたのは、桃色の薔薇のペンダントだった。


「珊瑚って言うんだって。これね、ルタに」

 ルディがそっとルタの手を取り、その手にペンダントを載せた。

 金色の目の細かい鎖の先には、可愛らしい桃色の薔薇が一つ、つるんとぶら下がっていた。そして、その花びらは一枚いちまいが柔らかさと命を秘めているように、開かれている。


「丁寧なお仕事をされていますね」

 誰にも気付かれることなく、太陽の光すら届かないような深海で、太古昔から少しずつ、少しずつ大きくなって時を終えたもの。ルタが珊瑚と聞いて思い起こすものだ。それが、人間の手によって丁寧に加工されて、美しく甦る。まるで、珊瑚という硬い物であるとは思えないくらいに。温度のないものであるとは思えないくらいに。柔らかくルタの掌の上で光を浴びる。


「すごいよね。これ、砂浜に落ちてる白いの見たことあるんだけど、どうやったらこんな風に加工できるのか分からないもの」

 その言葉にクスリとルタが笑うのに気付かず、ルディはただ素直に感心する。珊瑚は出産の御守りとして持つこともあると、タミルが教えてくれたもの。もう、これしかないと思ったのだ。


「ルタって生まれたお祝いしてもらってないって言ってたでしょう?」

「そんなこと言いました?」

「うん。十年くらい前の収穫祭の頃に、ルカのお祝いをした時に、あ、じゃあ、七年前か……」


 ルディの記憶も曖昧だった。ただ、お祝いをしなくちゃって、ずっと思っていたことは確かで。その後すぐに色々ありすぎて、ちゃんと選べなくて、時間だけが過ぎてしまったんだけど……。

「だからね……お祝いしたいなって思ってて。付けても良い?」


 その言葉に微笑んだルタは、そのペンダントを素直にルディの掌に返した。どこかぎこちないルディはルタの背に回り、もう一度「だから、あのね」とルタに話しかけ、桃色の薔薇をルタの首に飾った。


 その薔薇を優しく指でなぞったルタの瞳が熱くなった。生まれてきたことをお祝いされる。そのルディが戻ってきてルタの正面にしゃがみ、笑顔を見せた。


「生まれてきてくれてありがとう」


 ルタの頬に温かい涙が零れた。胸が苦しいのではなく、温かくなる涙だ。 

「どうしたの? 痛かった? どこか引っかけちゃった? もしかして、嫌いだった?」

 慌てるルディに頭を振ったルタが「いいえ。嬉しい時も涙が出るのですね……」と目を細めるとルディがそのままルタを優しく包み込んだ。

「良かった。ルタ、大好き」


 ふんわり温かい。この温かいをずっと護っていきたい。

 本当に、そう思う。

 竹刀の音が消えて、風が通り抜ける。薔薇の香りが柔らかくそよぐ。優しい光が満ちている。大切な声が聞こえる。


「何してるの?」

 稽古が一段落して、見つめた先にあった両親に、何事かと思ったルカが、走り寄ってきてふたりに尋ねた。

「大好きだから、ぎゅうってしてるの」

 なんのてらいもないルディの言葉に、ルカが「そうなんだ」と僅かに考える素振りをした。

 なんだか、いいなと思った。


「ぼくもする」

「うん、おいで」

 そして、ルディが腕を広げると、竹刀を地面に放り出したルカが嬉しそうに仲間入りする。増えていく『温かい』をルディはしっかりと抱きしめる。


「ルタも、ルカも、赤ちゃんも、みんな大好きだ」

 滲んだ景色を振り払うようにして、ルタの腕がルディとルカにそっと優しく回される。

「わたくしも、大好きですわ」

「うん、ぼくもっ。だいすき」


 仲間入りしようと一生懸命なルカの声の後に、三人の笑い声が響いた。






❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀~❀


『白薔薇のセレナーデ』了


次回からは第二幕が始まります。

『家族』に揺れるクロノプス家。それぞれの居場所と絆を確かめる最終章となります。

少し手直しをしていきたいと思っておりますので、再度毎日更新を一旦停止させていただきます。またお目にかかれますことを願っています。


いつもお越しくださり本当にありがとうございます。




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