変な国には違いない
ベッドから起き上がり自分の腕を見る。まだ添え木は取れないが、動かさなければ痛みはない。クロノプス夫人であるルタの薬は良く効く。噂通り本当に元魔女なのかもしれない。しかし、彼女から感じられる雰囲気は、魔女ではなかった。少なくともフレドにはそう感じられる。
トマスが言う魔女は、誰かを陥れるためだけに存在するような、それを面白がっているような、そんな魔女だ。エリツェリ王がそんな魔女を狩ろうとして、逆に狩られてしまったのだ。同一人物であるのであれば、認識違いはトマスの方だと思える。
「ジーク……」
「さっきの話だよなぁ」
ジークは勝手にフレドがここに残ると言ったことを話し出すのだと勘違いしたようだ。フレドはそれでも構わなかった。あの魔女がクロノプス夫人であるかどうかは、単なるフレドの好奇心の範囲内のことなのだから。
それに、これからを考えなければならないのはジークも同じなのだ。ジークの傷はフレドよりも軽いが軽症ではない。利き腕の肩なのだから、ある意味フレドよりも重い。腕を上げると何だか違和感があるというくらいだから、これから先、兵士として生きることすら難しいのかもしれない。ただ、あの一瞬でフレドのことを『友達』認定するくらい人懐っこい性格なので、どこでもやっていけるようにも思えるのも確かだ。
「俺は戻るよ。やっぱり故郷はエリツェリだしさぁ。親兄弟もあっちにいるし。マイアーのことも心配だし……」
マイアーとは助けた木こりの少年だ。身丈はもう大人と変わらない。だけど、残された家族を背負うと考えれば、まだまだ幼さしかない年齢である。だから、そんなマイアーがジークは心配だという。
マイアーは父親が先の木こり募集で帰ってこなくなったため、今回半年ぶりに募集された伐採計画に参加したと言っていた。
その森のどこかに父親が生きているかもしれない。森をよく知る父親が、森で簡単に死ぬとは思えなかったらしい。しかし、その森がときわの森だと知ると、ディアトーラにいるかもしれない、と考えたらしい。
だから彼はジークの背であの言葉をずっと呟き続けたのだ。
『森の神様が怒ってらっしゃるんだ』
「森の神様の逆鱗に触れてしまった父さんは、もう生きていない」
彼らよりも早く回復し、領主館の手伝いをしていた彼は、ディアトーラの森を真っ直ぐ見つめてそんなことを言った。
森は、恵みをくれる場所であるが、侵してはならない場所でもある。
それをエリツェリの木こり達が口を揃えて言う。それでも、貧しさに負けてしまう。
そして、マイアーは不思議なことを言ったのだ。
「あの時、僕さぁ、声が聞こえたんだよね。『あなたのお父さんは、そっちにいないの』って。振り返った時に、なんでか木の根に足を掴まれていて、こけちゃった。ごめんね。捻挫なんかしてたから、僕を負わなければならなくなって。怪我させちゃって……」
素直に謝ろうとして、最後は泣きながら笑顔を作った彼は、ジークとフレドに頭を下げた。だけど謝罪は必要なかった。彼らを護ることが仕事だったのだから。彼らを護れなかったという時点で、謝罪はこちらがするものだったのだから。「ほんとうに、ごめんね」それなのにマイアーはもう一度、今度は表情を曇らせて謝罪した。
そして、フレドは、あの日クロノプス夫人から『お願い』をされたことを改めて考えた。
「あの木こりの少年の話を聞いてやってください」と。
「色々と胸に秘めているようですので。森を抱くわたくしたちにはおそらく話してはくれないでしょうし」と。
そして、聞いた内容を教えていただきたいと。
森が荒れる理由を知りたいのだと思った。いや、本当はエリツェリが領地を侵している事実を、その口から聞きたかったのだろうと思った。
いや、それも違う。
ときわ森の神様の存在をエリツェリの少年が語るようになることを願っていたのかもしれない。
しかし、それも、ここで過ごす時間が長くなってきて、少し違うように思えてきた。
「ごめんな。全部任せる形になるかもしれないけれど」
「いいよ、友達だから。それに、ここの人たちにも迷惑掛けたのは事実だしさ」
回復してからも、領地侵害を犯している彼らは、その沙汰が下りるのを待つためにディアトーラの町に留まらざるを得なかったのだ。しかし、なぜかその領地内を跡目夫妻と歩くこともあった。
最初こそその町の者にも警戒されていたが、跡目夫妻と共に買い出しに歩くことが増えてくると、少しずつ挨拶までされるまでになってきた。それも、跡目夫妻がフレド達を罪人として扱わなかったせいだ。
「森で魔獣に襲われたんだ。やっと怪我が治ってきたみたいで。友達思いの良い子達だから、仲良くしてあげてくれると嬉しい」
跡目は町の者にそんな風にフレド達を紹介した。
「木こりはともかく、私達は警戒すべきではないのですか?」と尋ねれば、笑ってこう答える。
「警戒した方が良いの?」
それは、絶対的な余裕からなのか、それとも単なる馬鹿なのかも分からない口調でもあった。
トマスがここに来るということも伝えられた。自分たちを迎えに来たのだろうということも分かっていた。それなのに、その頃には木こりの少年が森の神様の話をその前でしてしまっては、大変だと思うようになっていた。
トマスに踊らされたとしか思えなかった、あの木こりのようになってしまうと、エリツェリを疑うようにすらなった。
だから、ここにいるのは、フレドだけというようにして欲しいと、ここの跡目に伝えた。あの二人は、自力で森からの生還を果たしたことにしたかった。彼ら二人だけでも、普通に戻れれば思ったのだ。
跡目は「いいけど、大丈夫だと思うよ」とだけ言って、はっきりとした返事はくれず、時だけが過ぎた。
あの跡目は飄々としていて、何を考えているのか、何も考えていないのかよく分からない。ディアトーラ領主よりもとっつきやすいが、本当に掴めない。
しかし、トマスの時代が終わるらしい。トマスがこのディアトーラにやってきたその夜に、領主夫妻がやってきて、フレド達に今後を考えるようにと伝えた。
それを聞いたフレドの心は、それまで陰に押しやられていた『森と共に生きているディアトーラの人たちが、森に入れなくなった理由を作ったのは、エリツェリである』というそちらの思いを大きく育てはじめた。
「ここで、ここの人たちの役に立てることをしたい」
そのフレドの言葉を思い出したジークが腹を抱えて笑い出した。
「だけど、肉屋の養子って……」
「仕方ないだろう? ここでは兵士に渡す給金は出ないって言われたんだから。他に職を見つけておかなければ、食うに困るんだから。それに、この国ではどこかと繋がっている方が、警戒されないって言うし……そもそも俺エリツェリ出身じゃなくて、流れ兵でもあったし、元々、人間関係作る事自体苦手っていうか、その土地で上手く生きていけるんならそっちの方がいいし」
あまりにもジークが笑うので、思わず言い訳染みたことをしてしまう。いや、別にいいのだけれど。嫌というわけじゃないのだけれど。親という者が出来るという気恥ずかしさが、フレドにはあるのだ。
「いいじゃん、だって家族ができるんだろう?」
「急に親だぜ? 商売なんてしたことないんだぜ? 戸惑いしかないよ……」
まず、なんて呼ぼう……。
だけど、本当に不思議な国である。
跡目のあのルディという男もその夫人であるルタという女も含めて、すべてが異質に思える。
「ごめんね、うち貧乏だから、雇うとか出来ないんだよね。気持ちだけ……あ、ちょっと待って、本当にここで働いてくれる気があるんだったら、肉屋の倅にならない? あそこ跡取りがなくて困ってたんだよね。あれだけ大型魔獣と戦えたんだから、獣も仕留められるでしょう? 倅じゃなくても、継いでくれるだけで良いと思うんだけど……ごめん、そこは確かめておく。でも、どう? 威勢が良くて、気持ちの良い親父さんなんだ。きっと気に入るよ」
「だけど、変な国には違いない」
不思議なスカウトをされたフレドはそう思い、静かに笑った。
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