ぐだぐだルディ③


 いったい何に呼び出されたのかと思えば、ルディがぶっ倒れていた。カズを呼び出した飲み屋の親父はカウンターの向こうで苦笑いするだけで何も説明しない。答えてくれそうなのは、ルディのそばでその背中を擦りながら介抱する奥方だけである。


「あの、奥様? いったい何があったのでしょう?」

 カズが尋ねると、ルディの奥方であるルタが困ったように首を傾げた。そして思い当たったように申し訳なさそうな表情を浮かべた。この辺り、ルディから聞いていたルタ像にぴったり当てはまる。

 元魔女であったルタ様は、人間の細やかなプラスの感情があまりよく読み取れないことがある。


「抱えて帰ろうと思ったのですが、意外と重たくて。それに、どうしても目を覚まさないものですから……。ご迷惑をおかけするようなことになってしまって申し訳ありません」

「いやいやいや、そういうことではないんです」

 カズが慌ててルタを否定したものだから、ルタがさらに不思議そうな顔をした。


 ルディが言うには、別に分かっていないということではないらしい。事実に対する相手の答えを読み取りすぎるのかもしれないそうだ。例えば今なら、親友であるカズ自身がルディのこの状態を心配するのは彼女にとって当たり前であり、驚くことではない。わざわざそれを尋ねた意味を省みた結果の返事と捉えるべきなのかもしれない。


 要するに、カズはもちろんルディのその様を見て心配したのだが、ルタは自分が心配されるような事態に陥ったこともなく、心配されるような立場にいたこともないので、それに気付けない。


「呼び出されるのも、こいつ……いえ、ルディ様を運ぶのも構わないのです。それよりも、奥様が運ばれる方が問題で……」

 そう言いながら、ルタがその言葉に納得していないという空気がひしひしとカズに伝わってくる。どう言えばこの元魔女のルタに、カズの驚きと心配の意味が伝わるのだろう。カズは頭を捻りながら考えた。


「いえ、その、普段なら酔い潰れるといっても、ここまでにはならないもので、驚いてしまったのです。いえ、何よりも奥様のお手を煩わせなければならなくなった理由をお聞かせ願えれば、と思います」

 カズの説明を聞いたルタがやっと合点がいったように話し始めた。

 まず、そもそもがルディの『好き』探しから始まったそうだ。


「わたくしは、ルディの言う『好き』の意味がよく分かりませんので、ルディがいったい何に興味を持つのかを知ろうと思いまして、そこでセシルに相談したのです」

 あぁ、大奥様と……。

「するとセシルが言ったのです」

 ――ルディが喜ぶと思うことをなさっては? そうだわ、明日の公務はお父様に任せて、二人の『好き』探しをしてはいかがでしょう?

 あぁ、大奥様っぽい……。

 しかし、カズの目の前にいるルタはやはり申し訳なさそうにする。

「隠居の身のアースに大変申し訳ないことをしてしまいました」


 そこは、ルタが申し訳なく思う必要は全くないとカズは思う。むしろ安易にそんな提案をした大奥様に問題があるのだから。それに加え、前領主のアースも二つ返事で承諾しただろうとは思うし、そこも問題ない。

 だから、別にルタが申し訳ないことをしたわけではないのだ。


 そもそも、ルディの言う『好き』が分からないというルタのそれは、ルディも覚悟の上だったわけで、その上で結婚を申し込んだわけで。いや、考えようによってはむしろ好き探しをしようとするそれこそルディの『好き』と同意と言ってもいいのではなかろうか? 


 しかし、好きの延長線上にある『興味を持つ』が研究対象になっている可能性だってあるのかもしれない。そう思えば、報われることのないルディが少し哀れなのだろうか?

 いや、何よりも今日一日のこれは最早デートと呼んでもよいのではないだろうか?


 そう思い至り、カズはなんとなくの経緯を頭に浮かべ、ルディを見遣る。そう思えば、これは幸せの結末なのかもしれない。


 今日一日、彼らはディアトーラという町を巡り巡ったのだ。

 朝、二人で教会の朝日を浴びた女神さまに祈りを捧げ、厩で目覚めた馬に挨拶し、朝食を食べて、館の庭を歩く。館から下りていくと広大な麦畑が広がっており、その麦踏みの様子を眺め、卵拾いの娘に、牛の世話をする少年に手を振る。

 花咲く小枝を抱える花屋に折れた花を一輪もらい、肉屋の威勢のいい呼び込みに遭い、売れ残りのパンを配るパン屋からパンを一つもらい、お礼に花を手渡した。


 夕暮れの町角から匂う夕餉の匂いにパンをかじり、二人に気付いた犬の声に笑い合う。

 漏れてくる団欒と女神さまに今日一日の感謝を捧げる声を聞くと穏やかな気持ちになる。そして、夕闇を連れてきたカラスに、月を見上げて鳴き声を上げる野良猫に時を感じる。


 鎮まった町。滲み出る窓明かりを頼りに影踏みをしながら、帰路へ向かう。その途中、ルディが「忘れてた」と立ち止まった。


「で、ルディがよく来るここへ来たのですね?」

「でも、今日の目的は達成されませんでした。ルディはなんでも喜ぶので、全く分かりませんでしたので」

 困ったようなルタを見たカズが苦笑いをする。ルディはこの土地のことならなんでも好きなのだ。それは彼女も同じである。この二人は確かに恋には足りないのかもしれない。それなのに、なぜか完成されている気がするのはなぜだろう。それがカズには疑問だった。


「ここへ来てからも、ずっと嬉しそうだったんじゃないですか?」

「えぇ。とてもご機嫌で」

 四杯飲んだらしい。

「あぁ、飲み過ぎですね、それ」

「そうなのですか?」

「えぇ、こいつの限界値は度数が低いという条件で二杯までです。覚えておいてやってください。二杯くらいなら、勝手に起きてくるようになりますよ」


 いずれどこかの宴に招かれてこんな事態があるかもしれない。調子に乗ったルディを止めなければならないかもしれない。それをルタがフォローしなければならないかもしれない。それにしても、幸せそうに眠りこけやがって。

 カズがそんなことを思いながらルディの背中を見つめてからルタを見遣ると、ルタが優しくルディの背中を見つめていた。


「兄のようなあなたがそばにいて、ルディは幸せですね」

 その姿を見ていると別の言葉をかけたくなるが、さすがに立場を弁える。

 だから、カズは当たり前の返事を返す。

「そう言っていただけると光栄です。ところで、奥様はお飲みにならなかったのですか?」

「いいえ」

 その返事を聞いてカズは驚いた。ルタは全く顔色が変わっていないのだ。


「奥様はお酒にお強いのですね」

「そうなのでしょうか? 何せ初めて飲みましたので、強いのかどうかは分かりませんわ」

「初めて、ですか?」

 なんとなくカズの脳裏に悪いイメージが浮かんだ。

「えぇ」

 それに気付いているのか、ルタの同じ返事も僅かに変わったようにカズは感じられた。そこはやはりさすがルタ様なのだ。


「ちなみに、どれを飲まれました?」

 ルタが指さすその銘柄はいずれも初めて酒を飲むという子に勧めるものではない。それらはいつも、どちらかと言えば酒に強いカズが頼んでいるもので。

「あれが美味しいらしいからと勧められましたわ」

 あぁ、ルディ……。お前は絶対にこの方に勝つことはできないんだろうな……。

 僅かに冷ややかな視線を送るカズの様子に気付いたルタが尋ねた。

「どうされました?」

 そして、その僅かな機微に気付くルタに射竦められたカズは、思わず頭を振っていた。


「いえ、本当になんでもないのです。さぁ、帰りましょう」

 未だに起きそうにないルディを急いで背負い、カズは帰路を急かした。

 本当にお前って残念な奴だな……。

 負われる側になって帰ることになるんだから……。

「以前なら確実にお手を煩わせることなどなかったのですが、本当に申し訳ありません」


 そのカズをルタが本気で気遣う言葉を聞いていると、どこか羨ましく思うのも確かだった。


 残念な奴だけど、お前が幸せな奴だって認めざるを得ないんだよな。


 私ではなく、あなたがそばにいるからルディは幸せなのですよ。


 言わなかった言葉をカズは一生ルタには伝えない。カズはルディを背負い直し、ルディに小さな仕返しを試みるのだ。

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