ルディと特別な魔女


 館中を探し回った。しかし、どこにもいない。ルディは脱いだばかりの外套を取り、灯りを手に取り、ルタが住んでいたときわの森へ入る準備を手早く済ませた。

 だいたいどうして、ルタ様を掴まえておけるだなんて奢りを持ってしまったのだろう。

 そんな思いを胸に、ルディはやっとその思い人の姿を見つけることができた。


 寒空の下、庭の中心にある枯れた噴水の縁に腰を掛けているルタがいたのだ。ルディは大きく深呼吸し、その息の乱れを整え、臆病な足に力を入れて踏み出した。

「風邪引くよ。ルタ様は、もう」

 ルディがそこで口を噤んだ。もう、魔女でも特別な存在でもなく『か弱い人間』なのだから。ちょっとしたことで体を壊し、病に伏し、儚くなってしまうもの。そんなうすい羽織一枚じゃ、夜の冷気からも護られない。

 しかし、それを言えばさらにルタが追い込まれてしまうように思われ、ルディは言葉を紡がなかった。そして、ルタはルディに視線を合わすことなく、ただ一言、返事を返した。


「星を見ておりました」

「星を?」

 確かに頭上には数多の星がある。別に珍しいものでもなんでもない。普段と変わらないディアトーラの夜空だ。

「えぇ」

「一緒に、いい?」


 ルタが何も言わないので、ルディはそれを了承と捉え、彼女の隣に腰を下ろした。石の縁はやはり冷えており、その体を芯から凍えさせそうにも思える。しかし、隣に座るルタはその素振りもなく、その冷たさに溶け込んでいるようにすら思えた。

「ルタ様……」

 ルディは心配しながら声を掛けた。


「人は道を失わないように星をつなげて、しるべにしました」

「星座のこと?」

 ルタは視線を夜空へあげたままだ。

「よくあの子と星を繋いで過ごしたものです」

「ワカバ様と?」


 ルタがとても大切に思うトーラ。それがワカバだ。だけど、ワカバは『ラルー』という魔女をもう必要としていない。だから、ラルーは『ルタ』となり、人間となった。

 ルディは一度も会ったことがないが、その大切に思う気持ちも、今感じているだろう寂しさもルディにはよく分かる。

 今、ルタがここにいるのは、昨日家族がルタを引き留めてくれたからだということをルディはよく知っていた。そもそも、ルタがルディを好きだという気持ちは、ルディが思うその気持ちとは別のものであるのだ。ルタのその好きは、祖父に対してでも、母に対してでも使われるものであり、実際、知らなかったわけではない。


 例えば、ルタが明日にでもルディの元からいなくなってしまったら、そう、それはきっと今のルタと同じような悲しみがルディに襲いかかるのだろう。だから、ルディは不必要に言葉を発することができない。時を進めたくないのだ。ルディはそんな気持ちを胸に抱いて、自分の太もも辺りに視線を落とした。まるでその沈黙が苦行のように思えてしまう。昨日までなら、軽口でもたたけていたのに。気持ちに蓋をしながら、偽りながら。上手く付き合って行けたかもしれないのに。


「別にどのように繋ごうとも構わない……のですわよね」

 ルタの言うその言葉の真意を測りかねていたルディの耳に、ルタの言葉が続いた。

「わたくしは、やはり、恋とか愛とかはよく分かりません。だけど、ルディと共にこの土地を護っていきたいと思う気持ちに偽りはないと、それだけはお約束できると思うのです」

 ふわりと立ち上がるルタは月明かりに輝いて、溶けてしまう気がした。そして、ルディに振り返る。


「だけど、わたくしは、どこの馬の骨ともしれない人間です。しかも、わたくしが魔女としてあったことを知る者もいるでしょう。そのような者が様々な国の重鎮と真っ正面から肩を並べられるとも思えません。人間にとってわたくしは、」


 ルタが微かに震えている。もうそれ以上ルタに何も言わせたくなかった。

 ルタの言葉は全部偽りだ。

 ルディはそれをよく知っている。


 魔女だろうがなんだろうが、ルタが一度たりとも無慈悲になったことなんてないのだ。そして、彼女は一度たりとも自身の誇りを傷つけるような行為をしたことはない。何よりルタが誰よりもディアトーラを思ってくれていることも、よく知っている。

 ――だから言わないで。


「ほら、やっぱり寒いんだ」

 ルディは自分の外套をルタに纏わせた。

「ほんとうは、抱きしめたい気分。だけど、またどうせ子どもをあやすように背中を擦られるだけだろうから。だから、聞いて」


 ルタが瞬きを一つする。それは夜の闇よりも深い色。だけど、輝きを失わない夜空にも似ている色。


「僕と一緒にこの土地を護ってくれるんだよね。だったらそれで充分。ルタ様が思う以上に僕がルタ様を大切にするから。知ってるよね? 僕、一応かのリディアス国王の孫なんだよね。だから、そんなことどこの国の奴らにも言わせない。それが虎の威であるなんて思わせたりしない。約束する」


 恋とか愛とか、そんなことは今はどうでもいい。

 ただ、最期がやってきた時に、ルタ様が僕のそばにいてくれて、僕の死をただ誰よりも悲しんで泣いてくれるようになってくれると良いなとは思う。


「だから、もう一度言わせて」

 今度はルタが逃げてしまわないように、その冷たくなった手をしっかり掴む。

「どうか、僕と共に生きてください。ルタ様を妻として迎えさせてください」

 ルタの手は、離れなかった。その一時、星の瞬きさえ聞こえそうな沈黙があった。しかし、瞬きのその代わり、クスリと笑う声が聞こえる。


「わたくしは、あなたの妻になるのですよね」

「う、うん」

 何がおかしいのかよく分からないルディがルタのその顔を見つめていた。その表情からは、からかわれているのではないことだけしか分からない。

「では、そのルタ様というのはおやめくださいませ」

 ルタはただ穏やかに、優しい眼差しをルディに向けて続けた。


「そう、ただルタとお呼びくださればと」


 あの薔薇が咲き乱れる頃には、恋とか愛とか、それが溢れていることを夢見て。

 夜が二人を見つめていた。

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