アノールと魔女


 全くうちの馬鹿息子は……。

 ルディの父であるアノールは思っていた。

 しかし、義父であるアースが了承したのだ。アノールに反対の余地は残っていなかった。しかも、自身の過去を持ち出されては、なおさら。

 いや、それよりも、あの熱弁の時は『世界が滅ぶのならば』という前提があったはずだ。ということは、根底が変わったのだ。計画は見直されるべきである。

 アノールは起きたことを整然と並べ、考える。


 まず、ルタがこの世界を滅ぼすかもしれない客人をここに寄越すと言う。そもそも、クロノプス家は魔女の贄となるべく存在している家系だ。断る理由はない。

 そして、ルディが「例えば世界が滅んでしまうのならば、ルタ様と一緒になりたい」と言い出した。

 家族会議が持たれる。

 その客人をリディアスに悟られないようにアノールの実家であるリディアス王家へ、妻のセシルと共にリディアスへと向かい、リディアスの動向を探った。その間、義父アースが他の国にある伝手を伝い、別方向からリディアスが動いていないかを探っていたのだ。

 結果、リディアスは何も気付くことなく、世界は三百年は持つらしい。さらに、なぜかラルーだったルタが役目を終え、二度と魔女に戻らないと言う。


 なぜ、役目を終えたのか、それはルディに聞いてもはぐらかしてしまう。ただ「ルタ様はもうラルーという魔女にはなれないんだ」と言うのみだ。

 そして、ルディが彼女に求婚したが断られる。想い合っているのではなかったのか?という疑問があったが、ルタの言うここに入れない理由には大きく頷いてしまった。ルディのわがままなんかよりもずっと理路整然と、道理が通っていたのだから。


 ルタ・グラウェオエンス・コラクーウンは銀の剣の所持者である。それは、知っている。

 ディアトーラにも血縁者に継ぐ口伝と指南書があるように、リディアスにも家督を継ぐ権利を持つ者は、幼い頃から帝王学と共に事あるごとに叩き込まれることがある。


 銀の剣所持者であるルタ・グラウェオエンス・コラクーウンは、その剣を人間に与えることで勇者を選ぶ。そして、その剣は魔女『トーラ』を消すために必要な武器であると吹聴するのだ。

 そして、その名は国王の血縁でも直系でかつ王位継承権がある者にしか伝えられない口伝である。しかし、そのルタが魔女のラルーであることも知られていた。

 どういった理由で、彼女がトーラを護り、トーラを切るのかは分からないが、ルタは決してリディアスのために銀の剣を勇者に持たせるのではないことだけは分かっていた。

 もちろん、リディアス王家はそれにも気づいていた。しかし、現時点では、リディアスはルタと銀の剣の勇者を利用するしか、トーラを持つ魔女の特定すらできないのだ。選択肢はないし、それを正義だと貫くしかない。

 最後は聖書に頼り、それが正義だと信じる。


 トーラが過去を変えれば、魔女狩りをし続けてきたリディア家はおそらく消えて無くなるのだから。

 だから、ここに婿入りした時、アノールは表向きここを監視せよと仰せつかったのだ。

 しかし、それはあくまで表向き。

 息を吐き出したアノールはそこで自身を振り返った。


「いかに第四王子ともあろう者が……、その所存を答えよ」

 現リディアス国王、そう、アノールにとって父であるアサカナの言葉だ。

「だから、裏切りとかそういうものではなく、ほら、昔仰ってくださったあの言葉通りにしただけで」

 父王がギロリとアノールを睨み付けた。その眼光はすべての者を畏怖させるに効果的だ。しかし、アノールはそれを別に怖いと思ったことがない。父はただ目つきが悪いだけである。

「だからと言って、ディアトーラに婿入りとは、どういう所存なのかと訊いておるのだっ」

 恵まれたことに第一王子は健康であり、将来有望である。その上、良き伴侶も得ている。第二王子も文武ともに健やかだ……お前ももちろん劣るところは全くないが、また第三王子も遜色なく……。だから、王位継承権はあろうがおそらく回ってこない。

 だから、お前は好きに生きればよい。


 それまでも自由にしていたところがあったので、諦めも兼ね、そんな言葉をかけられたのだろうが、アノールはそれすら気に留めなかった。国に迷惑がかからないと思える範囲であれば、好きに生きたかったアノールにとって、それは願ってもない言葉だったのだから。

 だから、好きな人と一緒になるんだって。分からないだろうけど、とても素敵な人なんだから。今時、魔女だなんだって古いんだよ。

 もちろん、言葉にはしていない。

 しかし、今回、義父にそのことを持ち出されては、反論できなかった。

 だけど、だからアノールはリディアスに監視されている。一応親戚づきあいはしているが、実質は縁を切られており、不穏な動きでもすれば直ぐに斬られる。

 父王はそんな方だ。

 だから余計に思うのだ。

 なぜルタ・グラウェオエンス・コラクーウンなんだと。


 アノールは頭を抱えた。しかし、あれだけ熱弁されたのだ。ルタがどれほどここの領主婦人として最適なのかを。どれほど自分がルタを慕っているのかを。

 父としては応援したい気持ちも出てしまう。案の定、実質振られてしまっている息子へ助言までしてしまった。しかし、それは、ルディの手中であることにも気付いた。

 ルディはそういう息子である。どこか、手助けしてやりたくなるような……。計算なのか、無自覚なのかもよく分からない。

 とにかく、プラスに考えよう。


 ルディが生まれて、その姿を見せて、その成長を喜んでくれたアサカナ王は、確かにルディの祖父の顔をしていた。もしかしたら、一番かわいがってもらっているのではないかとも思えるくらいだ。

 それは、ただ猫かわいがりをしてもいい孫だからなのかもしれないし、ルディの手腕が幼い頃から発揮されていたからかもしれないのだが、確かにルディはかわいがられている。

 ルディであるから……であるのなら、……。


 アノールはもう一度、大きな溜息をついた。

 溜息をついて不思議な臭いに気が付いた。薬品臭ともでもいうのだろうか……。それは、ふと風に乗せられて運ばれてきた臭いのようで、いや、嗅ぎ慣れてくると清涼感のある匂いにも思える。

 いったい何の匂いなのだろう。

 その匂いの元を探るようにして食堂に入ったアノールは、さらに奥の調理場へと足を運ぶ。


 ルタがいた。お湯を沸かしながら、草をゴリゴリとすり鉢で潰している。そして、人の気配に気づいたのだろう。彼女がその視線をアノールへと向けた。一瞬、驚いたように目を丸くしたルタだったが、アノールを見るとゆっくりと微笑んだ。

「少しだけお台所をお借りしておりますわ。お湯が必要でしたので」

 例えば、家長であり、ここの領主でもあるアノールの姿を見てこのように落ち着いていられる者は、家族以外誰もいない。そこは、さすが『ルタ様』と呼ばれていただけある。

「何をしておられるのです?」

「薔薇に虫が付いておりましたので、その葉につける薬を作っております」

 そう言うと視線を下げ、再びすりこぎを動かそうとし、その動きが止まった。

「ご心配なさらなくても、人間に毒になるようなものをここで煮炊きしておりませんわ」

 二度目の視線。その言葉に偽りはないということが分かった。


「いえ、心配などしておりませんが……」

 それもアノールの偽りのない言葉だった。『何をしているのか』とは、全くそのままの意味だったのだから。しかし、ルタが微笑みながら続けた。

「領主様であるならば、まずそれをお疑いくださいませ。ルタはむやみに信用できる者ではありませんわ」

 その返答に困った。いや、しかし、まず疑えとはリディアスでもよく言われていたことだ。


 長となる者、まずその者を疑え。

 それは、信用するなを意味するのではない。

 信用に足る者にするために、疑いを埋めていくのだ。


「では、お邪魔でなければ、ご一緒させていただきたく。よろしいかな?」

「えぇ、今この中に入っているハーブはこちらでございますわ」


 ルタはやはり臆することなくアノールに説明し、彼の質問に誠実に答えていった。


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