ブランコ
秋風紫暮
ブランコ
キイ、キイ。
静かな夕暮れの公園、私はブランコを漕いでいる。
「あはははっ! 何度やっても楽しいね、これ!」
少し色素の薄いツインテールを夕日に煌めかせ、隣でビュンビュンと乗りまわす彼女とは違い、ゆっくりと、低い位置で漕いでいる。
「そう、良かったね」
私は独り言のように呟く。公園には私と彼女以外には誰もおらず、彼女がブランコを漕ぐ音以外は静寂に包まれている。まるで別世界のようだった。
「うん! だって私、ブランコ大好きだもん! それにここって、あんまり人がいないでしょ? そっちの方が好きなんだ。それにこの時間、同じ所なのに違う所に見える。あ、ほら月も出てきたよ」
彼女はブランコに乗ったまま足で月を示す。少し前は半月だったのに、もうすぐ満月だ。
「ふふふ、あはは」
また笑いながらブランコに乗る彼女に、私は問うた。
「どうしてそんなにブランコが好きなの?」
すると、彼女はようやくこちらを向く。猫のように縦に切れた瞳孔がキラリと光った。
「だって、このまま漕いで漕いで漕ぎ続けたら月にまで行けそうでしょ?」
彼女の言葉はいつもこちらの問いに答えているようで答えていない。子供の支離滅裂な説明のようだ。
“もっとしっかりしろ。こんなのが娘とは気が滅入る”
(大人に、ならなきゃ)
ニコニコと楽しそうに笑う彼女に、私は目を伏せる。
「私は少し怖いな。月まで行って、この暗闇に呑まれて帰ってこれなくなりそうで」
いつのまにか暗くなった空を見上げると、月に向かって漕ぐ彼女の笑い声がふと止まった。
「……そんな風にこのままどこかに消えちゃえたら良かったってこぼしたら、君は許してくれる?」
どういうことかと彼女を見るが、いつものようにヘラヘラと笑う彼女がいるだけだ。
「ふふっ、冗談。や〜い引っかかった〜!」
音を立ててブランコを止めると、彼女はぴょんっと飛び降りた。
「じゃ、また遊んでね。カナデちゃん」
そう言い残して走り去っていく彼女に、私は名前を教えたことがあっただろうか。
次の夕暮れ、果たして彼女はそこにいた。誰もいない公園で、いつものようにブランコを漕いでいる。
「……あ」
「ふふっ、また会ったね」
私は隣のブランコに腰掛け、ゆっくりと漕ぎ出す。
「ねえ、私って君に名前言ったことあった?」
「ないよ?」
「それならどうして、私の名前を知っていたの?」
「ん〜とね、なんとなく? なんかそんな感じがしたからそう呼んだんだ!」
えへへっと笑う彼女は、私よりは歳上だと思うが本当に年齢が分からない。子供らしい態度が大人びた顔立ちに不釣り合いに見える反面、逆にバランスが取れているようにも思える。そして、彼女が持つ不思議な魅力が浮世離れした雰囲気を醸し出していた。
「君は名前、何ていうの?」
「名前? 名前か……う〜んとね……って呼んで!」
彼女はその間もブランコを漕ぎ続けている。どこに進むとも分からず、どこを目指すかも分からずに。
「そろそろ帰ろうかな。じゃ、また遊んでね。カナデちゃん」
昨日と全く同じことを繰り返し、彼女は宵闇に消えた。
次の日、私は昼間に例の公園へとやってきた。陽だまりの中で笑う彼女は何故か想像がつかなかったが、当たり前のようにブランコを漕いでいるとばかり思っていた。
思っていた、のに。
彼女はそこにはいなかった。
ひゅ、と喉が鳴る。昼の喧騒に呑まれて、この世界が今すぐに終わってしまうかのような恐怖心に襲われた。
ふらふらとブランコに座り、いつまでそこにいただろう。
「あっれれ〜? そっちが先にいるの珍しいね」
いつのまにか夕暮れになった公園で、彼女がまたブランコを漕いでいる。
「……もう、会えないかと思った」
「そっかそっか〜。私もそう思ってたよ」
ふと理解出来ずに首を傾げる。
「どうして?」
「もう私のこと、忘れちゃったのかなって」
「忘れるわけないよ」
「どうかな」
彼女は私を見て、ふわっと微笑む。夕暮れに染まって、彼女の猫のような瞳が茜色に光った。
「だって君、もう大人でしょ?」
「えっ?」
ブランコが止まる。目線を下ろして自分を見ると、確かに見慣れた会社帰りの私だった。
キイ、キイ。
慌てて隣を見るとそこには誰もいなくて、ただブランコが揺れていた。
そうか。私は、大人なのか。
どうして気付かなかったのだろう。どうして忘れていたのだろう。十五年前、十一歳の夏、彼女と過ごした日々を。最後まで何者か分からなかった彼女。私の初めての友人になってくれた彼女。私にない沢山のものを持っていた彼女。私がなりたくてもなれなかった彼女。いつしか思い出すこともやめてしまって、二度と会うことはなかった彼女。記憶の海に沈んでしまった、彼女の名前は……。
「名前? 名前か……う〜んとね、セツナって呼んで!」
その名の通り刹那の思い出に消えてしまった彼女と会える日は、もう来ないのだろうか。
「また、遊ぼうね」
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