第55話
「先程のお話では、ポール・ダンカンは一年程前に?」
「ええ。彼の作品が評価され始めた矢先の事だったわ。
……ポールの弟……前サーリセル公爵から手紙が来て、彼が亡くなった事を知ったの。夫が亡くなった時には一滴も出なかった涙が止めど無く溢れたわ。
もう二度と会う事は無いだろうと思ってはいたし、それは仕方のない事だと頭では理解していたけれど、それでもこの世界の何処かで生きていて欲しかった。
それだけで私は満足だと……そう思っていたの」
話ながらも王太后様は涙を一粒流した。
「それからよ。私が彼の絵を集め始めたのは」
彼女は自分の目元をハンカチで拭うと、ぎこちない笑顔を作ってみせた。
私はふと、ビアンキがこの絵を私に持ってきた時の事を思い出していた。
ビアンキは言っていた。ポール・ダンカンの絵は今やかなり希少なのだと。
彼が生涯で残した作品の数が少ない事もその理由の一つだが、どうにも闇のオークションで取引されていて、そのせいで尚更値がつり上がっているのだと。
彼……ポール・ダンカンはそれを望んでいただろうか?
自分の絵が高値で取引されて、裕福な暮らしが彼の望みだったとは、私には考え難かった。
もしかすると……私の目の前に居る女性の生きる希望になる事。それこそが彼が絵に込めた願いなのではないか……そう考えずにはいられなかった。
そしてこれも……答えを一生得る事の出来ない疑問なんだと、私は彼女の手の中の風景画を見て強く思った。
「ステラが探してくれたこの絵。これはアンプロ王国の王宮の庭の景色よ。とても懐かしいわ。ポールは私と居る時には風景画ばかりを描いていたのに……何故かポール・ダンカンと名乗るようになってから描いた絵の殆どは人物画や静物画なの。
もしかするとこの絵は、まだ公爵家にいた頃に描いた物かもしれない。珍しい作品よ、本当にありがとう、改めてお礼を言うわ」
「私はパトリシア様にご相談を受けただけ。それに見つけてきたのは画商であるビアンキです。私はその二人を繋ぐ役目をしただけです」
「では、そのビアンキという画商にも礼をしなくてはね。
その画商を先に知っていたら、額縁の修理をそのビアンキに頼みたかったわ」
と王太后様は何もない壁を見つめた。
「そういえば、前にお伺いした時に飾られていた人物画……あれも彼の作品でしたよね?あの絵は?」
と私は気になっていた事を尋ねる。
「額縁が傷んでしまってね。絵に詳しいという商人が営んでいる商会に修理を頼んだの。メアリーが紹介してくれたのだけどね」
と王太后様は私の質問に答えてくれた。メアリー様は王太后様のご息女、カルロス国王陛下の妹君にあたる。
私と王太后様はその後もパトリシア様の事を話した。お互い心配する事しか出来ない自分達の無力さを嘆く。
「パトリシアにはビクターが付いている。それがせめてもの救いだわ。あの子達は本当に想い合っているから」
そう言った王太后様は少し寂しそうに見えた。
自分の屋敷に帰るとテオが待っていた。
「どうしたの?」
「俺……ちょっと思い出した事があって。ステラ様に報告しておいた方が良いかなって」
と言うテオを連れて執務室へと入る。
「奥様、お帰りなさいませ。遅かったですね」
「ごめんなさいね、アーロンに仕事を任せきりで」
「いえいえ。私はどうでも良いんです。
ただ、ムスカがイライラしてましたよ」
今日は私の代わりにアーロンに仕事を与えていた為、テオとフランクにはムスカを付けて外出した。
ムスカがそれに抗議したのは言うまでもないが、外出先は王太后様の宮。警備面では心配ないからと、なんとか納得させたのだ。
「ムスカったら。置いて外出したのを恨んでるのね」
と苦笑いする私に、
「……ムスカさんは、ステラ様に特別な感情を抱いているんじゃないんですか?」
と少し拗ねた様な物言いでテオが質問した。
「特別な感情って……ムスカが私に好意を持ってるってこと?ない、ない。それはないわ」
と私が笑うと、
「でも……っ!」
とテオは反論しようと前のめりになる。
「ムスカはね……公爵様の一件で過敏になってるの。彼はああ見えてとても情に厚い。私を守る事に命懸けなのよ」
と私が静かに答えれば、テオは
「……それだけ……ですかね?」
とまだ不満そうに首を傾げた。
「そうよ。で、テオは私に話があったんじゃないの?」
と私がここへ来た目的を促せば、
「あ!すみません。実は昔、子どもの頃なんですけど、あの人に会いに来ていた男性が公爵様以外にも居たんです」
とテオは思い出すように頷きながら私に話始めた。
「何かキザったらしい格好の男で……あの人はいつも村の外れの墓地でその男と会ってました。年に一回くらいかな?
俺はその男に絶対会うなって言われてたんで、家からは出ないようにしてたんですが、一度家の外で二人が揉めてる声が聞こえて……」
キザったらしい格好の男。間違いなく公爵様ではない。
アイリスさんをあの村まで訪ねて来る男。コビーさんではないとしたら……残るは……
「で、俺、そっとカーテンの隙間から外を見たんです。その時、男がどんな奴かは見たんですけど。……あの人がその男を『兄さん』って呼んでるのが聞こえて。
あの人に兄妹がいるなんて聞いた事なかったから。今まですっかり忘れてたんですけど、一応報告しとこうと思って」
と言うテオの言葉に私は目を丸くしていた。
アイリスさんを訪ねて来ていた人物……私の推測が正しければそれは『ユニタス商会』のアルベルトだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます