クロックワーク・エンジェル

佐熊カズサ

配達士、極秘の配達物をバンガローへ運ぶ

第1話 キーラ・ベイルのおしごと

 中央集荷局にて。ひとつ前に並んでいた人の用事が済み、柔らかい癖のある金髪を肩の上で揺らす小柄な少女がカウンターの前に進んだ。少女が動くたびに、ランドセルのように背負った機械羽がガシャガシャと音を立てる。


「担当区域は?」


 カウンターの内側で、錆びた鉄格子越しの集荷倉庫を背に目つきの悪い受付の女性が黒いバインダーに何かを書き込みながら、業務的な口調で気だるそうに、しかし周囲の騒音に負けないように声を張って少女にいった。小さくまとめられたほつれた銀髪やまだ新しそうな頬の裂傷は、粗暴なハイエナを思わせた。


「東のBからD」


 応答するキーラ・ベイルの口調はいい慣れている。彼女のメッセンジャーとしての経歴はベテランと呼ぶにはまだ浅いが、すでに3週間は集荷局に通っていた。左手に掴んでいた艶消しの黒い金属ヘルメットをカウンターに載せる。受付係が一瞥をくれるが、キーラは気に留める様子もない。


「ねえ、お姉さん」キーラはにこりと期待に目を輝かせていった。「バーナード街の本屋さん宛の荷物ってある?」


「ええっと……ちょっと待ってよ……」受付係はバインダーを睨んで指でなぞり、荷の宛先をチェックする。「ないよ。残念だね」


「そっか、ありがとう」


「本当にいいのかい? 何か頼まれていた荷物があるとか……」


「いや、そういうんじゃないんだよ。ただ、あればいいなって思っただけ」


 ふうん、と受付係は興味なさげにいうとバインダーに視線を落として自分の仕事に取り掛かった。バインダーから紙を1枚抜いてカウンターを離れ、腰に下げていた鍵で鉄格子を解錠して集荷倉庫に入る。後ろ手で鉄格子を閉め、棚から手際よく書簡や小包を腕の中にピックアップしていく。キーラは彼女の無駄のない一連の動きを目で追った。


 倉庫から戻ってきて、受付係は青い紐で縛られた書簡を5束と古新聞で包装された小包を3つ、少し乱雑な手つきでカウンターに並べた。


「ほら、これで今あんたに任せられる荷物はぜんぶだよ」


 サインしな、と手に持っていた紙をキーラに渡す。キーラはカウンターに備え付けられていたペンを取り、下部の署名欄にフルネームを書き込む。他のどの業務をすっぽかしたとしても、この作業だけは怠ってはならない。なぜなら、あの紙に署名しなければ、この配達分の給料を受け取る資格は与えられないのだ。


 キーラが紙を返却すると、受付係はスタンプを押してカウンターの裏にしまい込んだ。代わりに数字がプレスされたキータグのようなサイズの銅板を取り出してカウンターに置き、勢いをつけてキーラに向けてスライドさせた。キーラは銅板をぱしっと押さえつけて勢いを殺してところどころほつれたブラウンのコートのポケットに入れた。


 受付係はにっと口の片端を上げて見せ、次のメッセンジャーを呼んだ。


 キーラはカウンターの上に出された荷物を少し左にスライドさせて後ろに並んでいた人に場所を譲り、茶色い革製の頑丈なメッセンジャーバッグに詰め込んだ。


 ずっしりと重くなったバックを肩から斜めに下げ、ヘルメットを掴む。ベルトをいじって位置を調節しながら、受付の待機列を横目に扉に向かう。


 上半分がガラスに覆われた青緑色の木製扉から優しい陽光が入り込み、オーク材の床に光の平行四辺形を4つ作っている。


 真鍮のドアノブをひねって重い扉を引いて開ける。閉まらないように手で押さえながら外に出る。冷たい微風がキーラの癖のある髪をほぐし、眩むような陽光に栗色の眼が細められる。


 キーラはヘルメットを被り、コートのポケットにぞんざいに突っ込んでいたゴーグルを装着する。それから周囲の状況を確認する。幸いにも人通りは少ない。


 意を決して数メートルを全速力で走る。重い革製のブーツがブロック状に敷き詰められた石の道を鳴らす。十分に加速して地面を思い切り蹴った。


 背中で小さく収まっていた機械羽が大きく広がって羽ばたく。キーラの小さな身体はぐんぐんと上昇する。青い針葉樹を超え、赤レンガが積み上がったテラスハウスの煙突を超えていく。鋼鉄の骨と歯車が軋り、帆布が風で膨らんでばさばさと波打つ。


 もう十分だろう。眼下に広がる景色を見下ろしてキーラはそう判断し、身体を地面と平行にする。刺すような向かい風が、ヘルメットからはみ出た髪やコートをすくい上げてはためかせる。


 キーラは空を飛ぶのが好きだった。時々、法に触れないギリギリの角度で旋回し、雲にわざと突っ込んだ。少なくともこの時間だけは、彼女は誰よりも自由で、どこまでも行けた。


 空を貫くようにそびえ立つ塔の先端に、石彫のガチョウが大きく翼を広げているのが見えた。配達区域のシンボルになっている教会だ。


 キーラは機械羽の開きを少し小さくしてゆっくりと高度を下げていった。


 世界との距離が縮まっていく。

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