第9話 道づれ靴ずれ 五

 チェザンヌはタコに対して右手をかざし、『原初の炎』をほとばしらせた。水中ではないので全く問題ない。あっという間にタコから水分が失われ、湯気が昇った。保護色も使えなくなり、真っ赤になって足を縮める。


「よくやった」


 カボは額の汗を右手の甲でぬぐった。


「サメが助けてくれたのです」


 血の気が薄くなった自分の顔を、チェザンヌは右手でかるくなでた。あっという間の死闘で術を使い、体力をかなり消耗している。カボは黙って右手から小ビンをだし、チェザンヌに渡した。


「ありがとうございます」


 チェザンヌが栓を開けて中身を飲むと、いつぞやカボの小屋で飲んだのと同じ茶の味がした。多少なりと回復したが、完全というわけでもない。この先なにが待ち受けているかわからないので、カボとしても無制限にだすわけにはいかなかった。


 それにしても、道具を作る度にサメが現れる。普段はカボがいちいち回収するのだが、今回ばかりはタイミングがずれて助かった。むろん、チェザンヌの身代わりとしてタコに食べられてしまったのだが。


 毒さえなければ茹でダコを賞味したいところだが、調べものが先だ。カボはチェザンヌが作ったのと同じ棒をだし、プールの底からまずチェザンヌの棒を引きあげた。タコは別個としてやりかけの仕事を放りだすなという意味であり、いうまでもなくチェザンヌもそのつもりだ。


「ありがとうございます」


 一言感謝してから、チェザンヌは自分の棒をカボから受けとった。プールサイドにもどって作業を再開する。ルンの指示もあり、呆気なく終わった。


 水面からだしたばかりのそれは、一枚のカードだった。人間の手の平にちょうど収まるくらいで、文字も模様もない。鈍い灰色をしているのだけが、特徴といえば特徴だった。


「客船にこんな化け物がいるはずがないよな?」


 カボは、自分がだした棒の横腹でコツコツとタコを叩いた。


「もちろんです」

「その一方で、カードか……」


 カボが手をだし、チェザンヌは彼にカードが渡るように自分の棒から外した。棒自体はしまった。カボも棒をしまい、カードをためつすがめつした。


「たしかに、弱いが魔力を感じる」


 ルンは妖精なだけに、カボやチェザンヌよりずっと鋭敏に察知できたというわけだ。


「ルン様はタコには気づかなかったのでしょう?」

「うん」

「それなら、タコは自然にいる生き物であって呪いかなにかで合成したのではないということになりますわ」

「だが、それなら客船にいるはずがない……。とにかく、これは魔法で施錠されたドアを開けるためのカードだな」


 カボくらいの術者になれば、この程度の品なら少し触わればわかる。


「それなら、船長室のドアがちょうど同じ色です」


 なんとも皮肉な運命の噛みあわせだ。カードの持ち主が船長なら、どんな末路になったかは推して知るべしだろう。その気になって調べれば、衣服や靴くらいはプールから見つかるかもしれない。


「クナムさん以外の乗員や乗客が犠牲になったとして、海賊はどうなったのでしょう?」


 客室とプールを、チェザンヌは交互に見比べた。


「調べれば調べるほど謎が深まるな……船長室でなにかわかるといいんだが」


 カボはカードをズボンのポケットにしまった。


 改めて、チェザンヌ達は船長室の前まできた。クナムのいう通り、ドアは灰色に塗られている。表面には船をかたどった浮彫が施されている。見た目には美しいが、取っても鍵穴もなかった。


 さっそく、カボはカードをだした。音もなくドアが開き、室内が全員の目にさらされる。


 戸口の真むかいで部屋の一番奥には大きく分厚い黄色がかった茶色のテーブルが置いてあった。船長室というだけあって、テーブルには星球儀やコンパスが乗せられている。黒光りする革張りの椅子はテーブルを挟んで戸口に面していて、空だった。


「航海日誌があれば一番いい資料になるな」

「でも、テーブルにそれらしい物はございませんわ」

「最後の瞬間に隠したのかもしれませんね」

「錬金術でちゃっちゃと探せないの?」

「そこまで便利じゃない。ルンこそ使える魔法はないのか?」

「魔力がない品はぱっとは見つけられないよ」

「手わけするのが一番じゃありませんこと?」


 チェザンヌの台詞に応じ、一同は特に話しあうまでもなく実行した。本棚、戸棚、壁かけ、星球儀から椅子の裏まで調べた。目ぼしい品はない。航海日誌もさることながら、チェザンヌ個人としては航海や修理の専門書に気を引かれる。堅苦しくとも書物は書物だ。しかし、いうまでもなくそんな場合ではない。いかにも意地悪な状況だが、勝手な行為は慎まねばならなかった。


「船長が持ちだしたか……」


 ひととおり終わってから、ルンは腕組みした。


「さすがに、少し疲れましたわ」


 なにげなく壁にもうけられた丸いガラス窓の一つを眺めるチェザンヌ。海が見える。ここは森の中だ。


「あら……?」


 自分の発見をより深く明らかにしようと、チェザンヌはくだんの窓に近より右手で軽く押した。鈍い感触がして、ガラスがかすかに動いた。開け閉めできるのは不思議ではない。問題は、この窓は引き戸のように真横にしかずらせないことだ。


 用心しつつチェザンヌが窓をずらすと、壁にくりぬかれた四角い穴が室内にさらされた。つまりこの窓は海の絵を塗ったダミーで、実際には穴のふたを果たしていた。ふつうに航海している限り、他の窓から見える海面と違和感のないようにこしらえてあるのだろう。ルンがなにも気づかなかったところからして、魔法とは無関係のようだ。


「この本……航海日誌ですわ」


 穴にしまってあった書物は、まさしく表紙にそれと書いてあった。


「やったぞ! すごいな」

「い、いえ。それほどでも……」


 師匠に誉められるのは、悪くない一方で心のどこかがくすぐったい。


「さっそく読もう」


 カボに促され、チェザンヌは全員にわかるよう航海日誌をテーブルにひろげた。


 実のところ、どの方角に何日進んだかといった記録や飲料水の残量がほとんどだった。あたりまえといえばあたりまえで、面白おかしい出来事があるのではない。


「ナプタ氏……?」


 カボが眉をぴくっと動かした。


「五月二十日夜、自称発明家のナプタ氏(ドワーフ、男性、五十六歳)が船長室を訪問。自らの発明品として携帯式救命艇を営業。丁重に拒絶」


 声にだして読みあげるチェザンヌでなくとも、それがクナムのいた漁船だと察しをつけるのは簡単だった。


「五月二十ニ日昼、料理長より報告。船倉より調理用油の一部が漏洩。原因は樽の老朽化によるもの。漏洩した調理用油は海面に浮遊。船大工に樽の補修を指示」

「初めて耳にしました」


 クナムが目を大きく開いた。


「情報共有をしにくい職場だったのか?」

「はい」


 カボの質問は、ある意味答えにくいものだった。クナムは彼から目をそらさずにはっきりと答えた。


「五月二十三日夜、帆桁や帆柱の先端に青白い炎がともる。残留魔力による放電現象。当該海域で激しい魔法実験がおこなわれた可能性あり。乗員乗客に空を飛ぶサメの目撃との主張多数」

「サメ!?」


 ルンが、航海日誌を覗きつつ椅子代わりにしていたチェザンヌの肩を両足で蹴った。チェザンヌからすれば大した痛みではない。それよりサメの方が重要だ。

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