第2話 どうして……!? 二
無意味な抵抗や弁明をしないのが、チェザンヌにできる精一杯の防御だった。スイシァは残忍ではあるものの馬鹿ではない。こんな言動をなんの保証もないままするはずがなかった。王子に泣きついても邪険にされるだけだろう。
さりながら、なにか重大な誤解があるに違いない。それは、一時退却してから手だてを考えればいい。なにしろ自分は無罪潔白なのだから。
そうは思いつつも、どの廊下を通ってどの階段を上り下りしたのかよく覚えてない。たまにすれ違う貴族やメイド達は、どれほど親しくとも顔も合わせずにさっと脇に避けた。大丈夫、家に帰れば両親が話を聞いてくれると頭の中で念じ続けるほかない。
そのまま宮殿の正門に進むのかと思いきや、どんどん狭く薄暗い通路に進んでいった。
「お疲れ様でした」
案内役の黒服の一人が告げて、古ぼけてはいるが頑丈なドアを開けた。すすり泣くようにきしみつつ、戸口が開く。月明かりを通して、一台の馬車が目の前に横づけされていた。車輪が踏みしめている石畳といい、味も素っ気もない空間といい、裏口なのは間違いない。それに馬車といっても、荷車に毛を生やした程度の代物にすぎない。御者も座ったまま。つまり、自分から歩いて乗れということだ。
たちすくんだままだと背中を突きとばされかねない。そんな圧力を無意識に感じとり、チェザンヌは黙って荷台にあがった。縁でこすれたせいで、せっかくのドレスが情け容赦なく傷んだ。嘆くことさえ許されない。なぜなら、腰を降ろすか降ろさないかの内に馬車は出発したから。慌てて両手をつくと、弾みでハイヒールの右かかとが折れてしまった。
ガタガタ揺れる荷台にもてあそばれながら、どうにかチェザンヌは振りかえった。ほんの少し前まであんなに楽しかった宮殿が、月に青白く照らされながら冷ややかにそびえている。王都バンドン……それはもう、遠い彼方に消えた。
それからしばらくの間、膝を抱える以外にすることはなかった。そういえば、実家をでてからは数ヶ月に一度のごく短い面会時間をとるだけだった。だからといって家族愛が冷めた覚えはない。
硬く冷たい荷台に足腰が悲鳴をあげかけたとき、焦げ臭さがチェザンヌの顔をしかめさせた。馬車にはなんの異常もない。首を伸ばすと、夜空を焦がす炎とかすかな煙に目を奪われた。馬車は一直線にそこへ進んでいる。
荷台で手足をすくませる暇もあればこそ、馬車は火元を前にして止まった。焼け落ちていく建築物は、まだどうにか原型を保っているレンガ造りの正門から辛うじて実家と察しがついた。そして、馬車がつくと同時に闇から現れた数人の男達が走りよってきた。一様に灰色の実用的な制服を身につけている。それは下級の役人を示していた。
「チェザンヌ嬢、降りて下さい」
一人がいった。ハイヒールのかかとが折れているし、なによりこんな状況で身体に力がはいるはずがない。それでも、まつ毛を涙に濡らしたりはしなかった。それがぎりぎりの自尊心というものだった。
「やむをえん」
降りろといった役人が、二言目を終えてから顎をしゃくった。残りの連中が荷台に近づく。
「一人で降りられます!」
気がつくと、そう叫んでいた。まずハイヒールを両足とも脱ぎ、それを左手でまとめてから右手で荷台の縁にしがみつく。そこから地面に降りようとして、縁のささくれにドレスの裾がひっかかった。びりいっと嫌な音がして、裾の一部が裂け……ふくらはぎが見えるくらいではあるが……顔や腕以外の生身の部分があらわになる。更に、地面ともろにご対面した。どうにか顔をそむけはした。だからといって屈辱が薄れたわけではない。
「チェザンヌ嬢、ソロランツ王国にまします国王陛下の
最後の自尊心を振りしぼってたちあがったチェザンヌに、慈悲のかけらもない伝達が振りおろされた。ブルギータ伯爵家の子はチェザンヌだけでない。兄が二人に妹が一人いる。妹に至ってはまだ十一歳だったはずだ。
「そんな……嘘よ。なにかの間違いですわ!」
こんな仕打ちをいきなり理解できる方がどうかしている。
「なお、チェザンヌ嬢に関してだけは、かつて第五王子・マギルス殿下のご学友だったよしみで罪一等を免じるとのことです。これにはスイシァ嬢の強い嘆願もありました」
きびきびと、反吐がでるほど忌々しい事実が続いた。
「それから、チェザンヌ嬢の身柄につきましては平民となること、私有財産は衣服を別として当人が両手で持てるだけのものを持ちだしてよいこと、王都バンドンから追放すること。それ以外は自由勝手たるべしとのことです」
持ちだせるもなにも、屋敷はまさに今焼け落ちているところだ。
「お父様もお母様も……みんなお屋敷の中ですの?」
鉄面皮の役人に、なけなしの気力を固めて聞いた。
「はい。私どもが見届けました」
「あなた達が手を下したのでしょう!」
「いえ、国王陛下から
つまりは毒入りワインで、それを飲んで死ねという意味だ。
「でも火をつけたのは……」
「まだ続きがあります」
どこまで叩きのめされねばならないのか。
「なんですか!」
「待機している魔法絵師に、あなたの魔法肖像画を作らせます。これは国王陛下のご意向ではなく、スイシァ嬢のたってのご希望です」
「……」
絶句するしかない。
「スイシァ嬢としては長年の友情を形にして保存しておきたいとのことで、国王陛下も特別に寛大なご回答でした」
チェザンヌが二の句を口にできない内に、フードつきのローブを身につけた中年の男が金色の額縁を手に進みでた。額縁だけで中身はない。どうせ抵抗しても無意味だから、黙ってなすがままに任せた。
魔法使いが額縁をチェザンヌにかざすと、かすかに輝いた。次の瞬間、ハイヒールを左手に持ち裾の裂けたドレスをまとう惨め極まりない彼女の姿が寸分違わず額縁の中に現れた。ご丁寧にも白い画布に写した形で。ただ魔法で画を作っただけで、燃やせもすれば壊せもする。今のチェザンヌにはいずれも不可能だが。
「これで伝達は終わりです」
役人と魔法絵師は、合理的にもチェザンヌを乗せてきた馬車に次々と乗りこんだ。そして速やかに去った。ちょうどその時、炎に耐えられなくなった屋敷の天井が恐ろしく大きな音をたてて地面に落ちた。
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