第3話 陰陽師

 ウォシュレット付きのトイレに違和感を覚えながらも用を済ませ、顔を洗って鏡を見る。洗面台は昭和初期を思わせるタイル張りだ。

 久しぶりに布団でぐっすり寝たせいか、目元のクマもかなり薄くなった。

 切ろうと思いながらも時間が取れなかった髪は、目元まで伸びてしまっている。

 水で濡らした手櫛で真ん中の分け目を整えると、だいぶ身綺麗になった気がした。

(時代背景がわからん)

 水道と電気がある事にひとまず安心すると、志人は廊下を進んでみた。

 先ほど寝ていた部屋の隣が台所になっており、銀髪の女性が電気ケトルで湯を沸かしているところだった。

 キッチンは安アパートレベルのものだ。

(色々ミスマッチすぎる)

 苦笑いを浮かべる彼を少し不思議そうに見つめ、彼女は志人をちゃぶ台へと誘った。

 程なくしてお茶が出されたが、熱くて飲めそうにない。

 志人は軽く会釈をして感謝の意を伝えると、早速疑問を投げかけた。

「さっきも聞きましたが、今の状況を説明してもらえますか?」

 問う志人に彼女は一つ頷くと、彼を真っ直ぐに見つめて話し始めた。

「ここは栃木県にある陰陽師の隠れ里です。この屋敷は滋岡家のもので、現当主は志人様にございます。私は志人様に仕えるクオンと申します」

 予想外すぎる発言に、彼は天井を見上げて息を整える。

 落ち着こうと湯呑みに手を伸ばしたが、熱かったので飲むのは諦めた。

「まず、私には父がおりましてですね。当主となると、父親になるのではないかと思うんですが。それに、なぜに陰陽師?」

 もう敬語も何もわからくなりつつ聞くと、クオンは淡々と説明を始めた。


 今の世界にもあやかしと呼ばれる化け物は存在する。

 それらを祓う事ができる陰陽師は人知れず日夜戦っているが、戦死者も多くなり近年その数が減ってきている。

 基本的に血筋で力が決まる事が多い陰陽師において、無差別に募集をかけても戦力にはなりにくい。

 志人は先先代が分家になったため、その事実を知らされないまま今まで生きてきた。

 父親には陰陽師としての素養がないため、志人に白羽の矢が立ったという。

(そういえば、陰陽師の映画を見ながら酒飲んでた親父が「うちは陰陽師の家系なんだぜ」とか言ってたことあったな。酔っ払いの戯言だと思って聞き流してたけど)

 志人はまだ釈然としない。

「そもそもビルから飛び降りたはずなんですけど」

「私が助けました」

 しれっと言われて、また言葉に詰まる。

「本来であれば志人様に事情を説明し、ご理解いただいた上でこの里にお連れするつもりでございました。その機会を伺っておりましたところ、急に飛び降りられたのでお助けしてそのまま里まで運ばせていただきました」

 眉一つ動かさずに淡々と答える。

「いや、どうやってさ」

 少し苛立ち気味に眉を寄せる志人に、クオンは一枚の紙を取り出してみせた。

 折り紙くらいの大きさの白い紙には、見慣れない赤い文字が書かれている。

 彼女が目を閉じると、手のひらに乗せたそれは勝手に折れ始めた。志人にも分かる、鶴の折り方だ。

 手品のように出来上がったそれを、クオンは縁側の方に飛ばす。

 一直線に進んだそれは、庭に出た途端に巨大な鷹に姿を変えた。その爪は、志人の胴回りを普通に掴めるくらいに大きかった。

「私の使役する式神の一つです」

 志人は目を丸くして鷹とクオンを見比べる。その視線が鷹の存在をしっかり認識したのを確認すると、クオンは術を解いた。

 鷹が姿を消して、先程までと変わらない景色が戻ってくる。

「い、今のは?」

「私が呼び寄せた式神、名は焔鷹ほだかです」

 クオンは再び真っ直ぐに志人を見つめる。

 その赤い瞳を見つめ返す。嘘でも幻でもない事はわかる。だが、常識という壁が理解を妨げていた。

「すぐには信じられないかもしれませんね」

 諦めたのか、クオンは視線を落として湯呑みを手に取った。湯を冷ます仕草が、今までの凜とした姿とは違って可愛らしく見えた。

 志人も合わせて自分の湯呑みを手に取る。

 二人がお茶をすする音だけが静かに部屋に響いた。

「うまっ」

 思わず口をついて出た言葉に、志人は自分で驚く。今までずっとペットボトルで飲んできたものとは違う、深みのある味がした。

 その反応にクオンは初めて微笑みを見せた。その笑顔は彼よりもずっと年下のようにも写る。

(不思議な人だな。いろんな意味で)

 見惚れそうになるのを誤魔化して、志人はもう一口お茶をすする。

 体の中から温まるのを感じながら、目を閉じて思考をまとめる。

 クオンは黙ってその時を待っていた。

「おねーちゃん、今焔鷹呼ばなかった?」

 唐突に聞こえた子供の声が、志人の思考を止める。

 視線を向けると、庭に一人の女の子が立っていた。

 小学校の低学年くらいの少女は目を輝かせながらクオンを見ていたが、志人の存在に気がつくと好奇の目を向けてきた。

「この人誰?」

 突然の乱入者に、志人はとりあえず笑みを浮かべてみる。

「この方は私のご主人様。滋岡志人様よ」

 クオンが同じく微笑みを浮かべて少女に告げた。

 すると彼女はパッと嬉しそうな笑顔を見せた。

「やっと見つかったんだね! よかったね、おねーちゃん!」

 自分の代わりに喜びを見せてくれる少女に歩み寄ると、クオンは黙って少女の頭を撫でた。

 満面の笑みでそれを受けていた少女は、はっと我に返った様子で志人に向き直った。

「はじめまして。向かいに住んでる倉橋希くらはしのぞみです」

 名乗ってぺこりと頭を下げた。

「滋岡志人です。よろしくね」

 志人も少女に向き直って会釈した。

「希、私達はこれから出かけなくちゃいけないの」

 挨拶が済んだのを見届けたクオンが、優しい声音でそう言った。

「えー、焔鷹見たかったのにー」

 不服そうに口を尖らせたが、すぐに笑顔に戻る。

「今度呼ぶときは見せてね」

 頷くクオンに満足したのか、希は志人に手を振って走り去っていった。

「元気な子だね」

 今までの緊張からすっかり和んだ志人が、クオンの背中に声をかける。

「はい。私の妹みたいな……存在です」

 後半は落ち着いた口調に戻っていた。

 静かに立ち上がると、再び志人の正面に腰を下ろす。

「あまり畏まらないでいいですよ。こっちも気疲れしますし」

 志人がそう言ってみたが、クオンは元の無表情に戻ってしまった。

「私は志人様にお仕えする身。身分は弁えております」

「俺が望んでなくても?」

「はい」

 彼女の意思は硬いようだった。

 志人は小さくため息をつく。

「志人様、着替えていただけますか?」

 もう一口お茶を飲んでいた彼を見つめて、クオンが申し出た。

「そういえば出かけるとか言ってましたね。どこへ?」

 その問いに、クオンは無表情だった顔を少しだけ強張らせて告げる。

「安倍家のお屋敷です」

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