気づけば陰陽師に転職してました

@k-souma

第1話 滋岡志人

 雑居ビルの屋上で男が一人、空を眺めていた。

 深夜二時を過ぎたとはいえ都内が闇に包まれる事もなく、星などほとんど見えはしない。

 九月が終わろうとする時期に、上着がないのは少し肌寒かった。

 手にした缶ビールを一口飲むと、空になった缶を足元に置く。

 五百ミリの缶ビール二本は、酒が弱い彼を酔わすのには十分だった。

 二本の空き缶の傍らには、首から外した社員証が置かれている。

 彼は一度それを拾い上げると、面白くもなさそうに眺めた。

 少し疲れた顔をした自分の顔写真の下に、滋岡志人の名前が刻まれている。

 初見で『しげおかゆきひと』と読める人が少なく、彼はこの名前があまり好きではなかった。

(こんな物とも、もうお別れだ)

 乱暴に社員証を投げ捨てると、志人はおぼつかない足取りでフェンスに向かう。

(二十四年、短い人生だったな)

 専門学校を卒業してソフトウェア開発の仕事に就いてから四年、志人は疲れきっていた。

 家に帰る事ができるのは半月に一度。ほとんど会社に泊まり込みでパソコンに向かう毎日。

 隣のビルにコインランドリーが併設されたスポーツジムがあるせいで、着替えや風呂のために帰る事もできない。

 福利厚生でそこの利用が無料となっていたのが罠だと気がついたのは、入社してすぐの事だった。

 転職も考えたが、先に逃げた先輩達の話を聞く限りどこも変わらないようで断念した。

 実家と呼べる場所もない。

 志人が上京するのを機に、父親は自分の職場近くのワンルームに引っ越してしまったからだ。

 母親が幼い頃に病気で他界したので、一人で住むには元のマンションは少し広すぎると苦笑いしていた。

 父と二人で生活するようになってから家事のほとんどをやらされていたので、育ててもらった事への感謝も薄い。

 働くだけの日々でほとんど使う事のなかった給料だけでも、礼としては充分だろうと考えていた。

(いや、そうじゃないな)

 七階の屋上から下を見下ろしながら志人は思う。

(この現実から逃げるために、自分を引き留めるものを切り捨てたいだけか)

 疲れ果てた笑みを浮かべて、溜息をつく。

 もう、そんな考えもどうでもよく思えていた。

 生と死を分つフェンスに手をかける。

 転落防止用でしかないそれを乗り越えるのは容易な事だった。

 一度フェンスを越えた所で止まろうとしていたが、酔いが回った彼は大きくバランスを崩して落ちていった。

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